第28話
第三者視点
会場の控室へ続く廊下――そこには、一人の騎士が早足に歩いていた。
その表情は今から戦場に赴くかのように、血気迫っている。その気迫に気圧されたようにすれ違う女官は足を止め、頭を深々と下げる。
その前を歩き去りながら、その騎士――ダーバン・モストは憎悪を滾らせる。
(おのれ、ナカトミ……!)
憎しみの対象は、中臣静馬――数日前、模擬戦で自身を負かした相手だった。
彼は男爵家として恥じない騎士になるべく、鍛錬を重ね続けてきた。型稽古を欠かした日は一日たりともなかった。その努力が実り、士官学院を卒業してすぐにギルバルド殿下から声が掛かり、王城警護の役を授かるに至った。
それはまさに栄誉。父からも称賛され、いけ好かない兄たちも自身を認めてくれた。
今、自身は出世の花道にいる。そう彼は確信していたというのに――。
あの敗北後、周りからの見る目が一変した。
同僚たちからは白い目で見られ、先輩からは『王城警護の恥さらし』と罵られる。父からは失望の手紙が届き、兄たちは嘲笑する。
夜は毎日、敗北の悪夢に苛まれて眠れず、自身の剣も冴えをなくしていく。
それらはあまりに苦痛だった。ようやく手にした栄誉が手から零れ落ちていく。
のみならず、上司からは異動を示唆されるようになっていた。
その先は第四軍――近衛から転落するだけにとどまらず、片田舎に左遷されるなど。
屈辱と苦痛に彼は憎悪の炎を燃やす。その矛先は当然、自身をこの境遇に追いやった男――中臣静馬だ。その彼に復讐しなければ、気が済まない。
そんな彼に機会が訪れた。先日、酒場で一人の男が接触してきたのである。
ある方の腹心と名乗った彼はモストに告げた。
『我が主も田舎者が王族に取り入ろうとしている事態を憂いております。やはり王族に仕えるべきは然るべき血筋の方であられる、と』
そう告げた男はさりげなく机の上に紙を置いた。それは一枚の許可証。
御前試合の会場に出入りを許可する書状。
『その不届き者を排除する、気高き騎士を我が主を探しておられます。それを成し遂げた者がいれば、必ずや取り立てるとも仰っておられました』
独り言のように呟いたその男はするりと立ち上がり、そのまま立ち去ってしまう。
何かを頼むでも、命じるでもない。だが、彼が示したことは明白だった。
(これを使って、ナカトミを殺す――そうすれば、再び出世の花道へ……)
それどころか、ギルバルド殿下に取り立ててもらえる可能性すらあるのだ。
その可能性が彼を後押しした。狂気に取り憑かれた彼は懐に短刀を収め、凶行に呼ぶべく彼は廊下を歩んでいた。
そして、ついに目に入る。ナカトミと名札が掛けられた部屋の扉。
(ここが奴の――)
心拍数が異常に高鳴る。視界にはそれすら映らなくなりそうだ。
モストは深呼吸しながら慎重に辺りを伺い、人の気配が一切ないことを確かめると、ドアノブに手を掛けてゆっくりと薄く扉を開いた。
細く開いた隙間。そこに見えたのは、着替えをしている男の姿だった。
中臣静馬。しかも背を向けて無防備。その好機にモストは歓喜する。
(運命は、味方している――!)
短刀を握りしめながら、憎き男の背を睨みつけ、息を詰め――。
「――え」
彼の剥き出しの身体に、思わず目を奪われた。
しっかりと筋肉がついたその身体には、無数の傷跡が刻まれていた。身体の側面しか見えないが、そこからも分かるほどに、いくつもの傷が刻まれている。
それも小さいものだけではなく、左肩には大きな傷跡まで刻まれている。
(一体、どれだけの戦いを乗り越えれば、そんな身体に――)
モストと歳はそう変わらないはずなのに、すでに歴戦の剣士のような身体になっている。思い返せば、彼の動きはそれに見合うだけの動きだった。
柔軟でありながらもしっかりと刃を受け止める、洗練な剣技。
(それに対して、俺は――)
短刀を握った自身の手を見る。確かに剣を握り続けた手は表面が固い。
だが、その腕も身体も傷一つはなく、艶やかだ。それもそのはず――その振るい続けた剣は一人だけのものであり、戦いの中で振るったものではない。形だけの、剣だ。
そんな剣が果たして、戦場の剣に勝てるのだろうか。
それに気づいた瞬間、身震いが身体を襲う。何かとてつもない間違いをしているのではないか。その実感に震えが止まらず、手にした短刀が手から零れ落ち――。
不意に、真後ろから何かが襲い掛かってきた。
◆
「――っ」
刺客の首を紐でしばらく締め上げると、ぐったりとその男の身体の力が抜ける。
失神を確認してから一人の侍女――ユーラは安堵の吐息をこぼし、紐を握る手を休めた。それからその身体を横倒しにし、地面に落ちた短刀を拾い上げる。
(……シズマさんの傍で護衛していて正解でした)
ユーラはアウレリアーナの命を受け、静馬に迫る妨害の手を阻止すべく動いていた。
様々な手段で彼の周りに迫る手を警戒しつつ、念には念を、と彼の傍に忍んでいたのだが、それが功を奏した。
それにしても、こんな直接的な手段を執るとは。
ユーラは戦慄しながら小さくため息をこぼしていると、部屋の中から声が聞こえた。
「――始末してくれたのかな?」
どうやら一連の物音をしっかり静馬は耳にしていたようだ。ユーラは無言で扉を開き、彼に気絶した男の姿を見せる。
それを見て静馬は小さく笑い、謝意を示すように軽く頭を下げた。
「ありがとう。ユーラ。手間が省けた」
「と、なると、気づかれていたのですね」
「あれだけ殺気を垂れ流しにしてくれればな」
そう言う彼は着替えの中に隠していた太刀を取り出し、近くの椅子に立てかけさせる。それを見てユーラは、なるほど、と目を細める。
(隙を見せていたのは敢えて――でしたか)
そうして踏み込んだところを、着替えの中に隠した太刀を引き抜き、振り抜きざまに一撃を加える算段だったのだろう。
さすが剣士。着替えているときも隙はない。
(しかし、すごい傷跡ですね。シズマさんの身体は――)
ちら、とさりげなく彼の身体を伺う。胸や腹には無数の傷跡があり、中には痛々しいほど大きい傷もある。思わず目を奪われてしまいそうだ。
この刺客の殺気が途中で減じていたのは、彼の身体に気圧されたせいかもしれない。
「――私の護衛は、不要かもしれませんね」
「いや、助かっているよ。ユーラが傍にいてくれるおかげで、精神集中できている。さすがに御前試合は気が抜けないからな」
「……それなら、いいのですが」
「ああ、できれば引き続きお願いしたい。ただ、別に屋根裏に隠れなくてもいいぞ」
その言葉にユーラは思わず言葉を詰まらせる。
(屋根裏で隠れていたのが、バレていましたか)
静馬は服に袖を通しながら小さく苦笑し、軽く肩を竦める。
「意外と気づくものだぞ。神経を研ぎ澄ませていると」
「つくづくすごい剣士ですね。シズマさんは――」
「未熟者だよ。自分は」
そう謙遜しながら彼は服を着終わり、身だしなみを軽く確認してか模擬戦用の剣を手に取る。
「少し早いが、もうすぐ呼ばれるだろうし、行ってくるよ」
「はい、御武運をお祈りしております」
出ていく彼の背に声をかければ、静馬は気負わずにひらひらと手を振って出ていく。だが、すでにその身体からは気迫が立ち上っている。
その姿を見て、ユーラは思わず苦笑をこぼしてしまった。
(――武運を祈らずとも、勝ち抜いてしまいそうですが)
彼女の予想は的中する。
やがて始まった準々決勝戦では、静馬が圧倒的な剣技を見せつけて完封。
相手の騎士が攻めに転ずる暇もなく、勝利を収める。
静馬の準決勝進出が、確定していた。
◆
ムーディ・バスクは焦っていた。
彼はギルバルドの腹心として命を受け、中臣静馬を敗退させるべく様々な策を打ってきた。主審を抱き込む、トーナメント表に細工をするなどはもちろんのこと、彼に恨みを抱いている騎士を唆すなど、直接的な妨害も試みている。
だが、どれも不発――それどころか、中臣静馬は準決勝に進出している。
(このままではギルバルド殿下のお心に沿うことができない――)
バスクは奥歯を噛みしめながらも、深呼吸を一つして冷静さを取り戻す。
中臣静馬は準決勝に進出した。だが、それは同時にさらなる強敵にあたるということを意味する。バスクは焦りを押し殺し、思考を巡らせる。
(ナカトミの相手は――第二軍のオリバルト・モレル、か)
オリバルト・モレル。平民出身だが、実力で伸し上がってきた騎士だ。事実、予選で見せた槍捌きはかなりのものだった。同時に野心的な一面もあり、出世に貪欲らしい。
今回の御前試合も勝ち上って、近衛に取り立てられようと意気込んでいると聞く。
であれば、試合中に何があったとしても、それを利用して立ち回るはずだ。
それが中臣静馬に対する、あからさまな妨害であったとしても――。
バスクは視線を闘技場の観客席に走らせる。長く続いた戦いの中で日は徐々に傾き、そろそろ西日が差す頃合いだ。
無論、闘技場自体には西日は当たらない。だが――。
視線を観客席に向ければ、西日が当たる席で何人かの男たちが懐から何かを取り出し始めていた。バスクが酒場で金を与え、唆した男たちである。
彼らが賭博の札を握りしめ、目を血走らせるのを見て不敵に笑う。
(いずれの妨害も搔い潜ってきたようだが――さすがにこれは避けられまい)
そして、その好機をオリバルト・モレルが見逃すはずがない。
妨害がすでに成ったことを確信し、バスクは視線を闘技場に向ける。そこには始まる準決勝を前に、中臣静馬とオリバルト・モレルが壇上に上がっていた。




