第20話
その日は、曇天だった。
明日の朝には王都を発つ。だから、今日中に部隊のみんなに土産を買わなければならない。だというのに、静馬は部屋から出る気が起きず、宿舎の部屋で仰向けに寝ていた。
思考が鬱々としている。天気も心境も晴れず、ため息ばかりがこぼれる。
(……いけないな、こんな気持ちでは)
アウレリアーナの誘いを蹴り、彼女に剣の道を応援してもらったというのに。
それであって未練を見せていては、彼女に失礼だ。
静馬は身体を起こすと、ベッドの脇に置いてある太刀に手を伸ばし、刃を引き抜いた。曇りのない刃に映った自分の顔を見つめる。
その目は自分から見ても覇気がないのが丸わかりだった。グノーシス将軍に見られれば活を入れられること間違いない。
(第三軍に戻る前に、未練を振り切らないと)
そのためならば、やはり剣を振るのが一番だろう。
宿舎の裏手には、広場がある。そこで太刀を振らせてもらおう。そう思い立って静馬はベッドから立ち上がり、簡単に身支度を整える。
それから改めて太刀を手に取り、部屋から出ようとして――ふと、視線を感じた。
振り返った先には、窓。その外には何もない。
(……気のせいか)
そもそも、ここは三階。誰かが覗き込むはずがない。
小さく吐息をついて視線を逸らした瞬間、こつこつ、と音が響く。
窓に再び視線を向け、思わず目を見開く。窓枠の下から半分にょきりと顔が覗かせている黒装束の人影があった。フードを脱いだその顔は見覚えがある。
静馬は慌てて窓に近寄り、ガラス戸を開けて声を掛ける。
「ユーラ殿、何故窓からここに……」
「不躾な訪問、お詫びします――が、主の命令ですので」
「殿下の?」
思わず聞き返すと、ユーラは頷きながら部屋の中に視線を向ける。
「……何かご用事が?」
「いえ、特には」
「でしたら、ご一緒いただけますか」
「いいですが……王城ですか?」
「いえ、王都の外です。表通りで、お待ちしていますので」
そう告げると、ひらりとユーラは身を返して飛び降りる。窓の下を覗き込めば、彼女は身軽に地面に飛び降り、ころんと転がるように受け身を取っている。
力を逃がす軽々とした動きは彼女の言う護身術、なのだろう。
(……全く、動きを隠さなくなったな)
素性を詮索しない静馬を信じているのだろうが、堂々とその動きを見せられれば、少しは詮索したくもなる。静馬は苦笑をこぼしながら手にした太刀を腰に佩き、扉から外に出た。
◇
宿舎から出ると、通りの先で黒装束のユーラは待っていた。
今日はメイド服ではなく、ローブを身にまとった旅人のような姿だ。そこに歩み寄ると、彼女は頷きながら先導して歩きだす。
無言の彼女の後ろを静馬はついて歩き、背に声を掛ける。
「で、用件をお伺いしてもいいですか。ユーラ殿」
「ここでは申し上げづらいです――どこに耳があるか分からないので」
「では、ついていけば?」
「はい、申し訳ないですが」
「……分かりました」
何にせよ、アウレリアーナには王都で良くしていただいた。その彼女が絡んでいる以上、同行するのも吝かではない。
ユーラは無言で歩き、王都を取り囲む城壁まで辿り着く。
初日に潜った城門。そこには通行する荷馬車が列を為しているが、ユーラはその脇をすり抜けて歩いていき、門の前を守る衛兵に何かを見せる。衛兵は無言で頷いて小さな通用口を開け、ユーラと共に静馬はそこを潜り抜ける。
視界に広がるのは拓けた平原。静馬が王都に向かう道中にも見た、青々とした光景だ。その中を通らず、ユーラは無言で王都を取り囲む城壁沿いに進んでいく。
やがて、その先に見えてきたのは、人影。
一人の人影が馬を連れてこちらを見ていた。見覚えのある姿に、なるほど、と静馬は吐息をこぼし、ユーラの背に声をかける。
「自分を呼んでいたのは、あの人ですか」
「はい」
「王都にいなくて良いのですか」
「大丈夫です――仮病を使っていますので」
「悪いお方ですね」
「同感です。それに人使いが荒い」
「ちょっと、もう聞こえているわよ、二人とも」
軍服姿の待ち人が呆れた声を掛けてくる。彼女は風に長い金髪をなびかせながら腰に手を当て、静馬を真紅の瞳でじっと見つめる。
「ユーラはともかく、貴方も遠慮なくなってきたわね。シズマ」
「それは失礼。あまりも親しみやすいお方ですので。アウレリアーナ殿下」
彼女の名を呼ぶと、アウレリアーナはくすりと笑みをこぼして朱色の唇で弧を描く。静馬は歩み寄りながら少し首を傾げる。
「不敬でしたら、改めますが?」
「まさか。貴方にそこまで親しみを抱いてもらえて嬉しいわ」
彼女はそう言いながら馬の手綱を手に取り、静馬へ差し出す。
「本当は今日、予定があったのだけど、仮病でごまかして抜け出してきたわ。今日はお忍びで貴方と出かけようと思って」
「嬉しいですが、あまり褒められる行為ではありませんね」
「うん。でも、その予定は別日でもできる。貴方は明日で第三軍に戻ってしまうわ。だからこの日を貴方に使いたいの――お供してくれるかしら?」
「……全く」
小さくため息をこぼしながら、ユーラの方に視線を向ける。王女の侍女は平然とした顔つきで馬の方に歩み寄り、鬣を撫でている。
「ユーラ殿は止めるべき立場なのでは?」
「残念ですが、アウラ様はお言葉で止まるような方ではありません――それに」
ユーラはちらりと静馬を振り返り、口角をわずかに吊り上げて囁いた。
「そんな奔放なアウラ様だからこそ、お仕えしているのです」
「……なるほどな」
思わず苦笑をこぼしてしまう。静馬は視線をアウレリアーナに戻すと、彼女は馬の手綱を握るように促しながら微笑んだ。
「貴方は私を止めるような騎士かしら? シズマ」
「……まさか。自分は剣士です故」
正直、気晴らしになる遠乗りは魅力的な提案だった。彼女の差し出した手綱を手に取り、馬に歩み寄る。
「遠乗りのお供をさせていただきます。護衛が少ないことが気になりますが」
「私は気にならないわ。手練れの護衛がいるもの」
「殿下も腕が立ちますからね」
「ありがと。嬉しいわ」
彼女は誰に手も借りず、ひらりと華麗に馬に跨る。静馬も馬に乗って隣に馬首を並べると、ふと思い出したようにアウレリアーナは静馬を振り返った。
「あと今はお忍びだから、殿下呼びは止めて頂戴。何なら呼び捨てで構わないわよ」
「それはさすがに恐れ多いです」
そう答えながら静馬は少し悩んでから、言葉を続けた。
「アウラ様、でよろしいですか?」
それにアウレリアーナは嬉しそうに目尻を下げて頷く。そして前に視線を向けると、馬を軽快に走らせ始める。その後に続くべく、静馬は軽く馬の腹を蹴った。
彼の頬を涼しい風が撫で始めていた。




