第19話
王女の引き抜きを、断る。
それは聞く人によっては失笑するだろう。
何しろ、たかが剣の道を行くためだけに、名誉や給与、待遇――約束されたそれらを投げ打とうとしているのだから。
だが、その剣が彼には何よりも重要なのだ。惹かれ、導かれ、その道も行く先に恋い焦がれざるを得ない。だからこその、決断だった。
ここまで正直に本心を吐露したのは、初めてだった。
ただ、アウレリアーナなら理解してもらえると思った。
同じ剣士であるアウレリアーナだからこそ、ここまで話してしまったのだ。
「…………」
果たしてアウレリアーナはその言葉を聞いて少し辛そうに表情を歪めていた。やがて彼女は深く吐息をこぼして視線を伏せさせる。
「眩しいのは貴方よ、シズマ。そこまで真っ直ぐに剣を追い求める貴方が眩しくて……羨ましいわ。その生き様が」
彼女の言葉は重々しく、誰一人として言葉を返すことができない。
苦しい沈黙の中、静馬はカップに手を伸ばそうとして、紅茶が空であることに気づいた。
ユーラがゆっくりと動き、紅茶のおかわりを注ぐ。その水音でアウレリアーナは視線を上げた。それから儚げな笑顔を浮かべて告げる。
「お師匠様やユーラを始め、多くの仲間に恵まれている。それでも人を求めるというのは傲慢なのかもしれないわね」
その言葉は自身に言い聞かせるようだった。
真紅の瞳は再び寂しそうに伏せられ、憂いを帯びた吐息がこぼれる。
そんな顔は見たくなかった。静馬の胸がかきむしられ、言葉を翻したくなるのを堪える。しばらくの沈黙の後に、彼女は振り切るように明るい笑みを浮かべて告げた。
「でも――私は貴方の道を妨げてまで、貴方を傍に置こうとは思わない。この話はなかったことにして構わないわ。無為な時間を使わせたわね」
「……申し訳、ありません」
「謝る必要はないわ。ただ――うん、そうね。未練がましいけど、いいかしら」
「なん、でしょうか?」
静馬が問い返すと、彼女は悪戯っぽい笑みで片目を閉じて言う。
「王都に来る機会があれば、ここに立ち寄って欲しいわ。剣術談義はもちろん、第三軍でも様々な活躍をしているそうじゃない。その話を聞いてみたいわ」
「そんなに活躍した記憶はありませんが……」
「へぇ? じゃあ、三か月前の功績はどうなの? 突然、郊外の村を襲撃した魔獣の群れを貴方たちの部隊が撃退したそうじゃない」
ああ、と静馬は思い出す。北方の巡回中に遭遇した魔獣の群れとの戦いのことだ。
静馬は一人でも多くの村人を救うため、一部を救援要請に向かわせつつ、部隊を率いて村に駆けつけ、大いに暴れて魔獣を討ち取った。
その中には魔獣を統率する魔人もいたのが、静馬が斬り捨てている。
(あんまり持ち上げて欲しくないから、適当な報告で済ませていたが)
グノーシス将軍も戦果の過少報告に感づいていたが、意外といろんな人が静馬の戦果に気づいているらしい。静馬は小さく苦笑しながら首を振る。
「騎士として、当然の役目を果たしたまでです」
「そうだとしても、その話も聞かせてほしいの……だめ?」
「まさか。喜んで」
アウレリアーナにはいろいろと便宜を図ってもらった。
おかげで王都の日々は楽しく過ごすことができた。貴重な体験になったのは言うまでもない。だからこそ、些細な頼みであれば引き受けたいと思う。
静馬は茶菓子を摘まみながら、できるだけ明るい口調で続ける。
「では――何のお話からしましょうか」
◇
昼前から始まったアウレリアーナの茶会は長く続いた。
昼食を挟んだ後、離宮の庭園でアウレリアーナと軽い手合わせも行い、汗も流した。彼女の鋭い突きは手合わせのときよりも冴えが増していた。
その後はまた剣術談義をする。静馬が知る古今東西の剣術についての話に、アウレリアーナは興味深そうに聞き、それに対して意見を口にする。ヘロスの師事を受けているだけあり、彼女もまた博識。談義はさらに花が咲く。
あっという間に日暮れを迎えつつあった。
「遅くまでありがとう。シズマ――この数日間、とても濃密だったわ。退屈な王城での生活の気を紛らわせることができた」
「こちらこそ貴重な時間でした。王都に来て良かったと思えるほどに」
王城の城門――そこまでアウレリアーナはわざわざ足を運び、見送りに来てくれていた。静馬はその彼女と別れの言葉を交わす。
薄暗くなりつつその場でも、彼女の真紅の瞳ははっきりと見える。
名残惜しそうに見つめる、彼女の表情もまた。
(……そんな目で見ないでほしい)
静馬も正直、後ろ髪を引かれているのだ。彼女は髪を軽くなびかせながら軽く首を傾げる。
「もう――王都は発つの?」
「……明後日には発つ予定です」
「じゃあ、御前試合は一緒に見られないわね」
残念そうに吐息をこぼす。少し考えて思い出す――週末が御前試合の本選だ。
「貴方が望めば、特等席を用意してあげられるし、何なら推薦もしてあげられる」
「……推薦?」
「王族は騎士を一人、御前試合に推薦できるの。本選に無条件で出場できるわ」
「なるほど、そんなものが」
初めて知った制度だ。だが、静馬には無用の話でもある。思わず苦笑いを浮かべながら静馬は首を振った。
「出場も観戦も誘惑ですが、止めておきます」
「そう……じゃあ、お別れ、ね」
「はい、おさらばです」
アウレリアーナが手を差し出す。静馬はそれを手に取り、握り返す。小さく柔らかいが、わずかに肌が固くなっている。剣が使う癖のある手だ。
その手と握手を交わし、力を抜く。だが、彼女は手を離さない。
視線を上げると、彼女と目が合った。眉尻を下げて、力のない笑みを浮かべる。
まるで、幼子が必死に泣きたいのを、我慢しているように。
その笑みを見た瞬間、心がぐらりと揺れるような心地がして――。
それを振り払うように、静馬は声を絞り出した。
「……殿下」
「……うん、ごめんなさい」
彼女は手をそっと引き、一歩後ずさる。その彼女の顔を見ないように静馬は無理やり笑みを浮かべて一礼した。
「では殿下、機会があればまたお目にかからせていただきます」
「ええ……そのときを楽しみにしているわ。貴方の剣の道を、応援している」
踵を返して歩き出す――だけど、気配で、分かっていた。
アウレリアーナがいつまでも見送ってくれていることに――振り返ってくれることを、期待しているように。だが、静馬は一度も振り返らずに歩く。
そして彼女の気配が遠ざかり、完全に感じられなくなったところで静馬は立ち止まる。道端の木に寄りかかり、自分の手を夜空に透かす。
彼女の手の感触が、彼女の笑顔が、彼女の声が鮮明に蘇るようだ。
それが感じられない今――胸にぽっかりと空いたような喪失感があった。
ため息が思わずこぼれる。重苦しい、ため息だった。




