第17話
庭園のガゼホには、いろとりどりの甘味が並んでいた。
「……これは……」
遠目から分かるほどの色鮮やかさに静馬は少し目を見開く。
彼は離宮の庭園に続く道を歩きながら横を見やる。案内してくれたユーラは相変わらずの無表情だったが、静馬の視線に気づくと片目を閉じてみせた。
思わず苦笑をこぼしながらガゼホに向かう――そこには、アウレリアーナがそわそわした様子で待っていた。周りに騎士は置かず、たった一人で。
(一応、遠くで警護しているようだが)
ちら、と庭園の外側を見る。そこに立つ近衛騎士の位置はガゼホからかなり遠い。恐らく話し声は聞こえない位置――つまり、一瞬では駆けつけられない。
つまりは、アウレリアーナは静馬をそれだけ信頼してくれているのだろう。
少し面映ゆい気持ちになりながら、ガゼホに近づいていく。アウレリアーナは彼を視界に入れるなり、ぱっと表情を輝かせて立ち上がる。
「シズマ! 待っていたわ」
アウレリアーナが歩み出て歓迎するのを見て、ユーラは小さく嘆息する。お茶会の作法としては、あまり良いものではないのだろう。
だが、歓迎の意図は充分に伝わってきた。静馬は歩み寄りながら軽く一礼する。
「本日はお招きいただき――といったご挨拶は必要ですかね?」
「もちろん、不要よ。そんな社交辞令を交わす暇があるなら、手合わせをしていた方が有意義だわ――今日の趣旨は、剣術談義だけどね」
気さくに笑う彼女はとても楽しそうだ。まるで昔からの友人に対するような、無防備な親しさ。砕けた口調で彼女はガゼホのテーブルを示した。
「折角だからと思って、今日はたっぷりと茶菓子を用意したわ」
「ユーラ殿から聞きましたか?」
「ええ、充分に。昨日はいろいろ楽しんだみたいね。いい剣は見つかった?」
「それがなかなか」
静馬は肩を竦めながら席につくと、ユーラが素早く傍に進み出て紅茶の支度を始めてくれる。アウレリアーナも静馬の正面の席について頷いた。
「そうでしょうね。貴方の太刀以上のものになると、なかなかないと思うわ」
「ただ、いろいろ勉強になりました。ユーラ殿との買い物も楽しめましたし」
「ふふ、それなら良かったわ。遣わせて良かった」
「ええ。殿下にも感謝を。ありがとうございます」
「どういたしまして。シズマ」
親しみを込めた笑みで答えるアウレリアーナ。その前にユーラが静かにティーカップを置く。静馬の前にも置き、軽く一礼した。
アウレリアーナはカップを持ち上げると、片目を閉じて明るく告げる。
「じゃあ、お茶会と洒落込みましょうか。紅茶をどうぞ」
「はい、かしこまりました。いただきます」
静馬も紅茶を口に運ぶ。芳醇な香りが口の中に広がり、思わず吐息がこぼれる。アウレリアーナも目を閉じてじっくりと紅茶を楽しんでいる。
やがて瞼を開くと、燃えるような真紅の瞳で静馬を見つめて微笑む。
「今日は一日時間があるし、じっくり話せるわね。何かしら話そうかしら」
「そうですね。この前は東方剣術と西方剣術の違いについて話しましたし」
静馬は少し迷っていると、ふと静かな声が小さく差し挟まれた。
「――殿下のことを知っていただくのはいかがでしょう」
その声に視線を上げる。声の主はアウレリアーナの傍に控えているユーラだ。声を発したとは思えないほど、無表情である彼女を振り返り、アウレリアーナは少し困ったように首を傾げる。
「……私のことを? でも話すようなことなんて」
「では、例えば」
ユーラが表情を動かさずに口を開く。その瞳が一瞬悪戯っぽく光ったのは気のせいか。わずかに嫌な予感がする中、ユーラは静かに告げる。
「先日、アウレリアーナ殿下がお寝坊されたお話とか」
とんでもない爆弾発言だった。
思わず静馬がぎょっとする一方、アウレリアーナも表情を引きつらせる。表情を変えないのは暴露したユーラだけだ。彼女は淡々とした口調で続ける。
「殿下はたびたび、そういう失態をされますので。そういうところを知っていただいた方がよろしいかと。殿下」
「だ、けど……ユーラ、貴女ねぇ……不敬じゃない?」
「ありのままの事実を言っているだけですが」
ユーラは悪びれもせず、心なしか楽しそうな声色だ。
(……侍女が主の失態を暴露するなんてな……)
ただ、アウレリアーナは表情を引きつらせているものの、怒っている雰囲気はない。仕方なさそうに眉尻を下げ、ため息をついていた。
恐らくこういったやり取りは頻繁にあるのだろう。上司や部下、主従の関係とは思えない。まるで長年連れ添った友人同士、あるいは仲間同士に思える。
私的な場ではこうしたやり取りも許し、気安い関係を築いているようだ。
思わず釣られて笑みをこぼすと、アウレリアーナは恥ずかしそうに頬を染め、視線を少し泳がせながら口を開いた。
「――そうね、寝坊したのは事実よ……公爵主催の夜会を、すっぽかしてね」
「公爵閣下の夜会をですか……」
表情を引きつらせる。この国の公爵は何人かいるが、誰もが有力貴族。それをすっぽかすなど、かなりの大事だ。機嫌を損ねられてもおかしくはない。
ユーラは小さくため息をついて補足説明をする。
「その日はかなり激しい稽古をしていたため、夜会までのわずかな時間、少し休憩すると告げて自室に戻られたのです。ですが、時間になっても出て来ず、部屋に入ってみれば」
「殿下が寝ていらしたと」
「ええ。とんでもない寝相で」
「一言余計よっ、ユーラっ」
アウレリアーナは噛みつくように突っ込み、ユーラは表情を変えずに軽く頭を下げる。
「失礼しました。ただ、事実ですので。頭もぼさぼさ、汗も流せていない状況だったので、当然、時間までに支度が間に合うはずもなく」
「……結局、仮病でごまかしたのよ。兄上からお小言をもらったけど」
それを思い出したのか、深くため息をこぼしたアウレリアーナ。何も言えず静馬は愛想笑いをこぼしながら紅茶を口に運んだ。
それから、ちら、とユーラに視線をやって訊ねる。
「……ちなみに、こういうのがたびたび?」
「そうですね、年に数度は。こんな大ポカはあまりありませんが」
「それは大変ですね、ユーラ殿」
「はい、殿下の面倒を見てくれる騎士様を募集中です」
「自分には少し荷が重いかもしれませんね……」
「……貴方たちねぇ……」
アウレリアーナは顔を上げると、半眼でユーラと静馬を見やりながら唇を尖らせる。
「ユーラはともかく、シズマも遠慮がなくなってきたわね」
「殿下が親しみやすい方だと実感したので――不敬でしたか?」
「ううん、まさか。これくらい遠慮がない方がありがたいわ」
不機嫌そうな表情から一転、嬉しそうにくすりと笑うアウレリアーナ。その可憐な笑顔に一瞬、目を奪われてしまう。
だが、すぐに気を取り直し、静馬はアウレリアーナに訊ねる。
「で、その夜会は仮病でごまかして大丈夫だったのですか?」
「まぁ、それに関しては手紙を送って謝罪したからひとまずはね。次もやったらさすがにまずそうだから出席しないといけないけど……エプト公爵かぁ……」
アウレリアーナは憂鬱そうに小さく吐息をこぼす。はて、と静馬は首を傾げる。
(聞き覚えがあるな。確か――)
南方の公爵家だ。元々は子爵家だったそうだが、領地改革をして交易路を確保し、それで財を為したのだ。それ故に口性のないものは成金公爵と呼んでいるのだが。
騎士たちからすると別の異名があり、好ましく思われていない。
「その……エプト公爵でいい噂を、あまり聞かないですが……」
「……ああ、貴方たちも聞いている? 口外しないから、話してくれる?」
「いやその……好色公爵とか、好色閣下、とか」
「事実ね」
ずばりとアウレリアーナは言い放ち、ユーラはしみじみと頷いている。
(――まぁ、そうだよな)
その公爵の噂が遠く離れた北方まで流れており、それはどれも似たようなものだ。
はっきりしているのは、公爵はもういい歳の中年だが、金をつぎ込んでは女をかき集めているということ。自身の護衛の騎士すらも全て若い女で固めている徹底ぶりだ。
お気に入りの女騎士にはどんどん金を振舞う一方、他の騎士たちの待遇は良くなく、薄給。それに我慢できず、第三軍に流れてきた騎士もいるくらいだ。
アウレリアーナは深くため息をこぼすと、遠い目をして告げる。
「大金を叩いて名剣を買うのだけど、使わずに飾らせるのもどうかと思うし。他にも私はもちろん、随伴している近衛騎士にすら色目を使ってくるのよ。私の目の前で引き抜きをかけてきたときは唖然としたわね」
「それは気に食わない」
「でしょう? だから元々、サボるかどうか迷っていたの。それをぐるぐる考え込んでいるうちに、寝ちゃって、ね……」
小さくため息をつきながら頬杖をつくアウレリアーナに、静馬は相槌を打つ。
「心中お察しします」
「ありがと。エプト公爵に限らずだけど、ああいう夜会は正直、気が乗らないのよ。私は当然未婚。連れていく女騎士は既婚者を選んでいるけど、それでもいろいろセクハ――もとい、ちょっかいを受けるのよ」
(今、セクハラって言おうとしたのか……)
出所は不詳だが、巷で流行っている俗語らしい。アウレリアーナは親しみやすいだけでなく、そういった世俗にも詳しいようだ。
アウレリアーナは小さくため息をつくと、わずかに視線を伏せさせる。
「とはいえやはり寝坊は良くなかったわ――さすがにダメ、よね」
顔色を伺うように上目遣いで見つめてくるアウレリアーナに、思わず静馬は言葉を詰まらせてしまう。その仕草は可憐で目を奪われてしまう。
(この人はどれだけ魅力的なんだか……)
また惹かれてしまう。それを自覚して視線を泳がせると、アウレリアーナはわずかにきょとんとしていた。静馬は咳払いをし、改めて口を開く。




