第十五話:【第一幕:死線の釘】(挿絵あり)
第十五話:火力こそ正義
世界の背骨が折れたような轟音だった。
爆風が木片と土砂を巻き込み、戦場を横殴りに薙いだ。
アーガスの身体が浮く。
次の瞬間には天地が入れ替わり、腐葉の積もった森の外縁へ叩きつけられていた。
肺の空気が全部抜けた。
「がっ……」
遅れて、内臓を握り潰されたような痛みが来る。
咳き込む。
泥と鉄錆の味が混じった唾を吐き、震える腕で上体を起こした。
視界はまだ滲んでいる。
赤。
黒。
灰。
ばらばらだった色が少しずつ形を取り戻した。
百歩ほど先。
キメラ母獣が低く唸っていた。
左胸には、井戸口ほどの穴が開いている。
黒い甲殻が抉れ、奥の肉まで吹き飛んでいた。
暗緑色の血が噴き出し、地面へ落ちる。
じゅっ。
腐葉が煙を上げた。
あの爆発でも、死んでいない。
巨体は痛みに硬直しているが、背の十二本の金属脚は制御を失ったように痙攣していた。
煙が薄くなる。
その向こうに、黒曜が立っていた。
まだ立っている。
ただし、全身が血に濡れていた。
いつも一分の隙もなく整っていたヴァンデル家の女中服は、もう原形を保っていない。
裂けた布の下には傷が走り、肌のあちこちから血が滲んでいる。
右腕は肘から先が不自然な角度に落ちていた。
それでも倒れない。
黒曜は、死線へ打ち込まれた一本の黒い釘のように立っていた。
その向こうで、母獣が荒い息を吐く。
「アーガス! 生きてるか! 生きてんならぼさっとすんな!」
トールの怒鳴り声。
太い手が襟を掴み、アーガスを乱暴に引き起こした。
唾が頬へ飛ぶ。
それでも声が遠かった。
戦場の音が薄れていく。
怒鳴り声。
獣の唸り。
木の倒れる音。
全部が遠のき、一つの言葉だけが残った。
黒曜は、もう髪を梳いて差し上げられません。
髪を梳く。
そんな日常のために、あの女は命を置いてきた。
アーガスは奥歯を噛んだ。
考えろ。
今、他人を心配している時間か。
前世で設備が止まり、納期が飛び、復旧までの残り時間だけが削られていく時。
最後に頼れたのは、事実を並べ、優先順位を決め、不要な情報を捨てる手順だった。
今も同じだ。
呼吸を一度整える。
恐怖も、悲しみも、後回しにする。
視界から色が抜けていった。
母獣。
黒曜。
仲間。
地形。
距離。
使える装備。
頭の中で、全部が線と数値へ置き換わる。
仮説一。撤退成功。
全員生存率、三〇パーセント。
母獣の追撃速度が、負傷者を含む隊列の移動速度を上回る。
黒曜生存率、〇パーセント。
結果。
一。キメラ熊の生体証拠、あるいは核心標本を持ち帰れない。
二。鉄木変質と魔獣異常の因果を立証できない。
三。工房の製品危機は解消しない。バロックの介入を止められない。
四。黒曜戦死。リナとの同盟関係にも傷が残る。
結論。
逃げても敗北。
生き残ったという事実だけでは、何も守れない。
アーガスの指が泥へ食い込んだ。
「くそ……」
ここはゲームではない。
セーブもロードもない。
S/Lでやり直すこともできない。
母獣は数値でできたボスでもない。
現実の質量。
現実の筋肉。
現実の破壊力。
なら、現実の手段で落とすしかない。
頭の中で案を開く。
案A。C4連鎖地雷陣。
班別対抗戦で使った方式を大型化する。
必要数。数百、下手をすれば千単位。
設置時間。
充填時間。
誘導地形。
全部足りない。
ここは準備された戦場ではない。
却下。
案B。四属性融合魔法。
ユニコーン学派。
アマーラ教授が見せた戦術級術式。
威力は足りる。
問題は制御。
術式図は一度見ただけ。
再現できたとしても、自分の魔法には方向性がない。
撃てば、どこへ走るか分からない死線になる。
味方ごと消し飛ばす可能性が高い。
却下。
残った案はない。
アーガスは顔を上げた。
母獣の左胸。
抉れた傷の周囲で肉が蠢いている。
出血が弱くなる。
傷口が縮んでいく。
再生している。
「でかすぎる……」
声が漏れた。
硬すぎる。
毛皮。
脂肪。
甲殻。
鉄線虫の死骸を積み重ねた生体金属。
自分にあるのは、曙光と滑腔銃だけ。
細い棒で城門を殴るようなものだった。
絶望が、もう一度喉元まで上がってきた。




