第十三話(下)-【第六幕:赤い眼】(挿絵あり)
「待って」
アーガスが言った。
トールの足が止まる。
「何だ?」
熊がまた鳴く。
「ウゥオオオオオオッ!」
森の奥まで伸びる。
声が切れる。
一定の間。
次。
「ウゥオオオオオオッ!」
アーガスは顔を上げた。
さっきまで聞こえていた小鳥の声がない。
虫の羽音もない。
上の枝は僅かに揺れている。
森の生き物だけが、一斉に口を閉ざしていた。
熊の声だけが残る。
長い音。
間隔。
繰り返し。
同じ形。
アーガスの背中が冷えた。
「違う」
「何が?」
ゲイルが見る。
熊が四度目の声を上げる。
アーガスの顔色が変わった。
「長さも、間隔も揃ってる」
息を吸う。
「信号だ! 助けを呼んでる! 早く黙らせて!」
全員が止まった。
「何?」
黒曜の手が止まる。
袖口を直していた指が固まった。
異色の瞳が一気に細くなる。
視線が森の奥へ走る。
次に熊。
すぐ横にいた矮人の両手持ちの大槌を片手で奪った。
「え、ちょっ」
持ち主の声を置き去りにして走る。
黒いスカートが翻る。
穴の縁。
踏み切る。
熊の頭上。
片手で大槌を持ち上げる。
振り下ろす。
ごん!
鈍い衝撃音。
キメラ熊の声が途中で潰れた。
「ゥ……」
首から力が抜ける。
巨大な頭が泥へ落ちた。
気を失った。
静寂。
誰も動かない。
数秒。
何も起きない。
トールが息を吐きかけた。
その時。
どん。
低い音がした。
遠い。
地面の下から響く。
誰かが振り返る。
「今の……」
どん。
二度目。
今度は明確に地面が揺れた。
足元の小石が僅かに跳ねる。
水溜まりへ円い波紋が広がった。
どん。
三度目。
近い。
鉄木の幹が震える。
枝から葉が落ち始めた。
一枚。
十枚。
百枚。
雨のように降る。
「何だよ」
若い矮人の声が掠れた。
「何が来るんだよ」
ゲイルは答えない。
顔が森の奥へ向いている。
全員がその視線を追った。
鉄木の深部。
光が届かない。
黒い幹が幾重にも重なる、そのさらに奥。
何かが動いている。
大きい。
樹冠が揺れる位置が高すぎる。
枝と同じ高さ。
木々の間に、赤い光が一つ灯った。
もう一つ。
二つの赤。
ゆっくり開く。
巨大な眼だった。
遠くにあるのに、大きさが分かる。
穴の底で眠る個体より、遥かに高い位置からこちらを見ている。
どん。
また地面が揺れる。
二つの赤い眼が少し近づいた。
誰も声を出さない。
黒曜は大槌を下ろした。
アーガスの指が網銃を握り直す。
ゲイルの喉が鳴った。
「……母獣だ」
森の奥で、赤い眼が細くなった。
キメラ母獣。
呼び声を聞いて。
来た。




