第十三話(下)-【第二幕:攻城石弾】(挿絵あり)
地上の準備が整う頃、黒曜は樹冠を渡っていた。
枝を蹴る。
次の枝へ。
さらに上。
キメラ熊も追う。
残った六本の金属脚を幹へ打ち込み、巨体を無理やり引き上げてくる。
黒曜がもう一度跳んだ。
着地するはずだった枝へ片足を伸ばす。
足を置いた直後。
滑った。
身体が傾く。
重心が大きく崩れた。
「黒曜さん!」
アーガスの喉から声が出た。
黒曜は枝を掴まない。
次の足場へも届かない。
身体が真っ直ぐ下へ落ち始めた。
腕が開く。
腹も胸も無防備に晒される。
ここまで一度も見せなかった致命的な崩れだった。
キメラ熊が吠えた。
「グオオオオッ!」
声に興奮が混じる。
何度爪を振っても。
何度金属脚を突き出しても。
目の前で逃げ続けた黒い獲物が、ついに落ちた。
熊は残った六本の脚を一気に縮めた。
巨体を丸める。
前脚を抱え込む。
爪を前へ向ける。
数トンの肉と骨と金属が、一つの塊になる。
狙いは黒曜の落下点。
金属脚が鉄木を蹴った。
幹が砕ける。
熊の巨体が宙へ出た。
棘と牙を生やした巨大な石弾となって、真下へ落ちる。
風が鳴る。
黒曜の前髪が吹き上がった。
地面までは、もう僅か。
熊との距離も一気に縮む。
三メートル。
二メートル。
一メートル。
その時。
黒曜の落下が止まった。
不自然なほど、唐突に。
足は地面へ届いていない。
枝にも触れていない。
地上から五メートルほどの高さ。
黒曜の身体だけが宙に残った。
「え?」
トールが間の抜けた声を出す。
アーガスは目を凝らした。
光が細く反射している。
一本。
もう一本。
樹冠から樹冠へ張られた、細い銀白色の糸。
「鬼面蜘蛛の糸……」
網銃を作った時に余った材料だった。
黒曜の左手には、その糸が何重にも巻かれている。
アーガスは直前の追走を思い返した。
熊の爪を避けた時。
鉄木を駆け上がった時。
枝から枝へ移った時。
黒曜は逃げながら糸を通していた。
今、その糸が彼女の体重を受け止めている。
四百ポンドの鉄床さえ吊った鬼面蜘蛛の糸。
人一人の重さでは切れない。
黒曜は片手で糸を握ったまま、ゆっくり振り子のように揺れた。
黒いスカートの裾が自然に垂れ、逆さに咲いたチューリップのような形を作る。
熊は止まれない。
落下へ全身を預けた。
金属脚も縮めた。
爪も前へ出した。
逃げ続けた獲物を潰すため、自分から加速している。
キメラ熊の赤い目が大きく開いた。
黒曜の足元を、その巨体が通過する。
風圧が裾を揺らした。
黒曜は下を見た。
ほんの少し、目が細くなる。
「ふん」
短い鼻息。
それだけが、落ちていく熊を見送った。




