第十三話-【第三幕:鉄木のワルツ】(挿絵あり)
「グオオオオッ!」
キメラ熊が吠えた。
空気が震え、枝に残っていた雪と水滴が一斉に落ちる。
獲物を奪われた。
背中の脚も二本失った。
赤い目が黒曜だけを捉える。
残った六本の金属脚が地面を叩いた。
どん。
どん。
太い根が裂ける。
泥が深く抉れる。
一本が黒曜の足元へ落ちる。
彼女は半歩ずれる。
二本目が横から薙ぐ。
上体を倒す。
黒い髪が刃先すれすれを通った。
三本目。
黒曜は退かない。
逆に、その脚へ一歩近づく。
金属脚が地面へ刺さる直前、その側面へ靴底を乗せた。
踏む。
跳ぶ。
熊の肩より高い位置へ身体が上がる。
直後、巨大な熊掌が横から振り抜かれた。
黒曜は空中で腰を捻る。
爪が女中服の裾を掠める。
布の端が少し裂けた。
本人はもう次の鉄木へ向かっている。
幹へ足を着く。
一歩。
二歩。
三歩。
垂直の鉄木を駆け上がった。
下から金属脚が追う。
一本が樹皮へ突き刺さる。
黒曜はその直前に幹を蹴った。
身体が横へ飛ぶ。
次の枝。
着地。
すぐ跳ぶ。
六本の金属脚が、彼女のいた場所を順番に破壊していく。
太い枝が折れる。
幹に穴が開く。
三人で抱えるほどの鉄木が、根元から大きく揺れた。
黒曜は止まらない。
枝。
幹。
突き出した金属脚。
熊の肩。
触れられる場所を一瞬だけ足場に変え、次の位置へ移る。
キメラ熊も追った。
金属脚を幹へ打ち込み、巨体を引き上げる。
本来なら、この森であの脚から逃げ切れる獲物はいない。
地上でも。
樹上でも。
六本の脚が巨体を支え、空いた脚が獲物を刺す。
だが黒曜を捉えられない。
熊掌が落ちる。
風圧だけで足元の落葉が吹き飛んだ。
黒曜は外へ逃げない。
熊の懐へ入る。
爪が背中のすぐ後ろを通り、鉄木の幹を削った。
木片が肩へ当たる。
黒曜は顔も向けない。
黒曜石の刃が走る。
前脚の表面に細い赤線。
深くはない。
熊が振り向く。
今度は肩。
また一線。
次は脇腹。
また浅い傷。
キメラ熊が怒鳴る。
六本の脚が同時に広がった。
逃げ道を塞ぐように、左右から三本ずつ迫る。
黒曜は低く沈んだ。
一番下の一本を跳び越える。
上から落ちる二本の間へ身体を滑らせる。
最後の一本へ足を置く。
そのまま走る。
自分を刺すために伸びてきた金属脚の上を、熊へ向かって三歩。
熊の目が黒曜を追い切れない。
黒曜石の刃が頬を横切る。
血が散る。
熊が噛みつく。
黒曜は頭を僅かに引く。
牙が前髪を数本だけ奪った。
その距離から、彼女は熊の鼻先へ靴底を当てる。
そこを足場に、自分の身体を後方へ押し出した。
黒曜は熊の頭上を越え、背後の枝へ移った。
着地と同時に枝が沈む。
次の瞬間には、もう別の場所にいる。
戦場の中央で、黒と白だけが位置を変え続けていた。
大きな熊の動きは荒くなる。
黒曜の動きは崩れない。
金属脚が鉄木を貫く。
熊掌が幹を砕く。
爪が土を削る。
攻撃のたびに森だけが壊れていった。
「何なんだよ、あの女中……」
泥の中から起き上がった若い矮人が呟いた。
ゲイルは答えない。
トールも答えない。
ズボンを引き上げることすら忘れ、口を開けたまま見ている。
黒曜が枝を蹴った。
身体が大きく回転する。
熊の肩口へ近づく。
刃が一度。
二度。
浅い傷だけを残す。
すぐ離れる。
キメラ熊が振り返って爪を振る。
空を切る。
黒曜はその背後。
もう一度、刃が走る。
血が一筋増えた。
森の中に、一定の拍子が生まれていた。
熊が壊す。
黒曜が避ける。
熊が追う。
黒曜が切る。
重い足音と、短い金属音。
その繰り返しが、奇妙な舞踏の拍子になっていく。
黒い女中服の裾が回る。
白い肌が一瞬だけ覗く。
黒曜石の刃が細い弧を描く。
また血が落ちる。
黒曜は踊っていた。
相手だけが、その舞踏の意味を知らなかった。




