第十二話-【第三幕:完璧な足手まとい?】
半日ほど進んだところで、ゲイルが休止を命じた。
「十分だ。水飲め。装備も見ろ」
矮人たちは円になるように腰を下ろした。
盾を手の届く位置へ置き、荷を下ろす。
「この森、口の中まで錆びそうだな」
若い矮人が水袋を煽った。
「塩肉持ってくりゃよかった」
「お前、朝食っただろ」
「朝は朝だ」
その横で、トールが盾を睨んでいた。
「何だこれ」
表面に黒緑色の染みが広がっている。
「さっき苔に擦っただけだぞ」
布で擦る。
落ちない。
もう一度。
広がった。
「くそ」
「少々お待ちください」
黒い影が横へ滑り込んだ。
黒曜だった。
荷の側面から、油を含ませた柔らかな絨布を取り出す。
盾の染みを二度、三度と拭う。
黒緑色が薄れた。
さらに磨く。
金属の光沢が戻る。
トールが盾を傾けた。
「……取れた」
「酸性の苔です。水拭きすると広がります」
黒曜は平然と答えた。
「最初に言ってくれ」
「今、確認しましたので」
「お前も初見かよ」
黒曜は返事をせず、隣の矮人の護肩へ手を伸ばした。
緩んだ留め具を直す。
次にアーガスの前へ来た。
「足を」
「え?」
見下ろす。
右の靴紐がほどけかけていた。
黒曜がしゃがむ。
細い指が動いた。
三秒。
二重に固定された結び目ができる。
強く引いても緩まない。
「ありがとう」
「どういたしまして」
黒曜は立ち上がると、銀の水筒と木杯を出した。
「温水です」
湯気が薄く立っている。
中にはミントの葉が一枚。
さらに小さな箱。
蓋を開ける。
切り分けた干し肉と硬質チーズが、隙間なく並んでいた。
「何だこれ」
トールが干し肉を一枚取る。
表面に薄く油が浮いている。
胡椒の香り。
「少し手を入れました」
黒曜が答える。
「冷えた環境では体温を維持する必要があります。香辛料も少量加えています」
若い矮人がおそるおそる齧った。
目が開く。
「うまっ」
もう一口。
「何だこれ。貴族って森でもこんなの食ってんのか?」
「普段は存じません」
「女中さん、赤い辛いやつある?」
黒曜の手が荷へ入る。
次に出た時には、小さな赤い粉袋を持っていた。
「どうぞ」
「あるのかよ!」
笑いが起きた。
出発前、黒曜の同行へ渋い顔をしていた者たちも、今は何も言わなかった。
装備の手入れ。
温水。
食事。
足元。
誰かが頼むより先に、小さな問題を一つずつ消している。
アーガスは木杯の温水を飲んだ。
ミントの冷たい香りが鼻へ抜ける。
黒曜を見る。
森の中でも動きに無駄がない。
荷を開く位置。
道具を戻す順番。
足音。
どれも静かだった。
リナがあれほど同行を求めた理由が、料理だけとは思えなかった。
そう思ったところで。
きい。
細い音がした。
アーガスが顔を上げる。
きい、きい。
ききききき。
数が増える。
爪で硝子を引っ掻くような音。
「立て!」
ゲイルが跳ね起きた。
「敵襲! 円陣!」
矮人たちが一斉に盾を掴む。
焚き火が蹴り散らされる。
頭上。
黒い樹冠が大きく揺れた。
次の瞬間。
何かが落ちてきた。
どん。
泥が跳ねる。
どん。
もう一体。
どん、どん、どん。
黒い雨だった。
牛の仔ほどある蜘蛛が、枝から次々と地面へ落ちてくる。
漆黒の甲殻。
背には白い髑髏に似た模様。
八本の脚が泥を掻いた。
「鬼面蜘蛛!」
誰かが叫ぶ。
十。
二十。
数える意味がなくなる。
「中央を守れ!」
盾が並ぶ。
斧が盾の上へ出る。
円形の壁ができた。
トールがアーガスの前へ出る。
大きな背中で弟を完全に隠す。
「アーガス! 勝手に動くな! 俺の後ろにいろ!」
さらに横へ怒鳴る。
「それと、そこの……あれだ! 女中の嬢ちゃん! お前も中へ入れ!」
黒曜は何も言わず、一歩だけ円陣の内側へ下がった。
アーガスは兄の背中越しに、迫る黒い群れを見た。
左手を上げる。
曙光の側面へ指を置く。
小さな操作片を押した。
淡い光が一度走る。
一定の間隔で、静かに脈打ち始めた。




