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第十二話-【第一幕:違和の森】

第十二話:鋼鉄の寄生

 鉄峰山脈の陰側では、朝の光さえ弱かった。


 幾重にも重なる黒い樹冠が空を塞ぎ、わずかに差し込んだ光を細かく砕いて地面へ落としている。


 風もない。


 枝葉の擦れる音すら聞こえなかった。


 耳に残るのは、隊列の靴が泥へ沈む音だけだ。


 ぼこ。


 ぼこ。


 雪解け水と腐葉が混ざった地面は、場所によって脛まで沈む。踏み出すたびに黒い泥が靴へまとわりついた。


 アーガスは隊列の中央を歩いていた。


 湿った冷気が頬へ張りつく。


 腐った葉。


 濡れた木。


 泥。


 その奥に、細い鉄錆の臭いが混じっていた。


「くそ。俺の脛当て」


 前を歩く若い矮人が足を止めた。


 黒鉄の脛当てを指で擦る。


「まだ半日だぞ」


 金属の表面には暗赤色の斑点が浮いていた。よく見れば、他の者の鎖帷子や盾にも赤黒い水滴が付いている。


「この森、鉄を食ってやがる」


 誰かが吐き捨てた。


「止まれ」


 先頭のゲイルが拳を上げた。


 全員が足を止める。


 ゲイルはしゃがみ込み、指先で黒い泥を摘まんだ。鼻先へ近づけ、少し擦る。


 顔が険しくなる。


「近いぞ」


 低い声だった。


 彼は立ち上がり、前方を見た。


 巨大な鉄木が二本。


 三人で腕を回しても届かないほど太い幹の間に、灰白色のものが張られている。


 網だった。


 大きい。


 人間なら数人まとめて包めるほどの広さがあり、糸一本一本も異様に太い。


 濡れているのに垂れない。


 風がないとはいえ、自重で沈む様子すらなかった。


 表面には黒い毛が何本も絡んでいる。


 トールが戦斧を肩へ担いだまま、眉を寄せた。


「熊の毛だな」


 ゲイルが頷く。


「俺たちが前に引っ掛かったのも、これだ」


 近くの枝へ残っていた糸を指先で摘まむ。


 引く。


 糸はほとんど伸びなかった。


「この臭いも覚えてる」


 指を放す。


「目ぇ開けとけ。もう縄張りの中だ」


 矮人たちが盾を上げた。


 斧の柄を握り直す音が続く。


「なあ、隊長」


 若い矮人が喉を鳴らした。


「一つ聞いていいか」


「何だ」


「熊って、こういう汁気の多そうな虫が好物じゃなかったか?」


「……何が言いたい」


「いや、熊と蜘蛛が一緒に住んでるなんて変だろ。もしかして、あの熊が飼ってるとか?」


 誰も笑わなかった。


 若者の笑みが引きつる。


 ゲイルが振り返った。


「だから言っただろ」


 声が硬い。


「俺が見た熊には蜘蛛の脚が生えてた。あの時は酔ってるって笑いやがったくせに」


 若者の笑みが消えた。


 一行は再び歩き始めた。


 速度はさっきより遅い。


 アーガスは周囲の鉄木を見ながら進んだ。


 どの木も元気がない。


 葉は黒ずみ、幹の一部は湿った傷口のように崩れている。


 森全体が、病気に侵された巨大な器官に見えた。


 足が滑った。


「っ」


 身体が傾く。


 反射的に、横の鉄木へ手を伸ばした。


「触るな!」


 太い手が手首を掴んだ。


 ゲイルだった。


 強く引かれ、アーガスの手が樹皮から離れる。


「見ろ」


 ゲイルが顎で幹を示した。


 灰黒い樹皮の裂け目。


 その奥に、何かが埋まっている。


 指ほどの太さの灰色の線。


 円筒状に曲がり、半分ほど樹皮へ食い込んでいた。


「針金?」


 アーガスが顔を寄せる。


「違う」


 ゲイルは腰の短剣を抜いた。


 刃先で、その灰色の線を軽く突く。


 次の瞬間。


 ぎりっ。


 金属を擦る嫌な音がした。


 灰色の線が跳ねた。


 生きている。


 細長い身体が激しく捩れ、短剣の刃へ巻きついた。


 ぎち。


 ぎちぎち。


 力が強い。


 精鋼の短剣が、小さく軋んだ。


 アーガスの目が見開かれる。


「何だ、これ」


 ゲイルは手首を返し、絡みついたものを地面へ叩き落とした。


 靴底が上がる。


「鉄線虫だ」

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