↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

230/257

第十一話:【第七幕:門番の嘘】

 隊列が霧の奥へ消えた。


 足音も聞こえなくなった。


 工房の入口には、ブレイクとサラ、アイリーン、そしてリナだけが残った。


 朝の薄い光が、入口の外から差し込んでいる。


 碧緑の背中へ淡い輪郭ができていた。


 ブレイクとサラは、しばらく何も言わなかった。


 さっきの言葉が、まだ耳に残っていた。


 山王本人が来ても、一個の煉瓦も持っていかせない。


 あの細い背中が、今は妙に大きく見える。


「頼もしい子だねえ」


 サラが小さく呟いた。


 その時、リナが振り返った。


 変化は一瞬だった。


 上がっていた顎が少し下がる。


 眉が僅かに寄る。


 肩から強さが抜ける。


 さっきまでの自信は、顔からきれいに消えた。


 残ったのは、疲れと心配を隠しきれない少女の表情だった。


 リナは両手を胸の前で軽く組む。


 視線を、アーガスたちが消えた方角へ向けた。


「……何事もなければいいけど」


 独り言にしては少しだけ大きい声だった。


 ブレイクとサラには、はっきり聞こえる。


「アーガスって、家のことが気になるとすぐ顔に出るから」


 困ったように笑う。


「本当のことを言ったら、森へ入ってからも何度も後ろを気にするでしょう」


 サラの顔が曇る。


 リナは続けた。


「戦ってる時に余計なことを考えて、怪我でもしたら嫌だもの」


 指先が僅かに絡む。


「だから、あれくらい言っておけば安心するかなって」


「でも、リナちゃん」


 サラが近づく。


「あなたは大丈夫なの?」


 リナが目を伏せた。


「さあ」


 小さな苦笑。


「バロックがまた何をするか分からないし」


 一度、工房の外を見る。


「山王本人が来たら、さすがにどうしようもないわ」


 声が弱くなる。


「私、ただの小娘だもの」


 ブレイクとサラが顔を見合わせた。


 あれほど強く見えた少女が、今は年相応に見える。


 怖くないわけがない。


 ただ、アーガスを安心させるために立っていた。


 二人には、そう見えた。


「いい子だねえ……」


 サラがリナの手を取った。


「うちのアーガスが、あなたみたいな子と知り合えて本当によかった」


「そんな」


 リナは照れたように俯いた。


 口元を隠すためでもあった。


 この家の人間は、強すぎるものを恐れる。


 白昼の工房で、それはもう見た。


 だから時々、弱さを見せる。


 心配する。


 怯える。


 助けを求める。


 そうすれば距離が縮まる。


 守る側と守られる側が固定されず、家族の輪へ入りやすくなる。


 そして何より、彼らは安心してこの家を任せる。


 必要な嘘だった。


 その少し横で。


 アイリーンだけが、何も言わずリナを見ていた。


 輪椅子の上。


 包帯を巻いた手を膝へ置き。


 静かに。


 長く。


 リナがちらりと彼女を見る。


 目が合った。


 アイリーンの口元に、小さな笑みがある。


 責める色はない。


 驚きもない。


 分かっている顔だった。


 リナの眉がほんの僅かに動く。


 アイリーンは視線を外さない。


 山王本人が来ても煉瓦一つ持っていかせない。


 あの言葉。


 両親は大言壮語だと思った。


 弟を安心させるための、頼もしい虚勢。


 アイリーンには、そうは聞こえなかった。


 リナ・ヴァンデルという少女が、どこまでの力を背後に持っているのか。


 どれだけの札をまだ伏せているのか。


 アイリーンは知らない。


 ただ一つだけ、確かなことがある。


 この少女は、人の感情まで盤面へ置く。


 恐怖も。


 安心も。


 同情も。


 必要なら、自分自身の弱ささえ。


 それを知っても、不思議と怖くなかった。


 むしろ胸の力が抜ける。


 善意だけで家を守れる世界ではない。


 正しさだけで相手が退くわけでもない。


 これほど厄介で、怖くて、頭の切れる少女が、今はこちら側に立っている。


 それは、とても心強いことだった。


 アイリーンの笑みが少し深くなる。


 リナは数秒見返した後、小さく息を吐いた。


「……何ですか、アイリーン姉さん」


「ううん」


 アイリーンは穏やかに首を振った。


「何でもないよ」


 その返事が、一番信用できなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。