第十一話:【第六幕:碧緑の砦】
朝霧が、少しずつ薄くなっていた。
隊列が動き始める。
先頭はゲイル。
森を知る古参たちがその周囲。
中央にアーガス。
トール。
黒曜。
装備と荷を背負い、黒い森へ続く道へ向かう。
アーガスだけが、何度も後ろを振り返った。
一度。
二度。
三度。
工房の入口に、家族がいる。
ブレイク。
サラ。
車椅子のアイリーン。
そして、リナ。
足が少し遅れる。
「アーガス!」
声が飛んだ。
振り返る。
リナが工房の石段に立っていた。
両手を腰へ当てている。
碧緑の長衣が、朝の風を受けて揺れていた。
曇り空の下でも、その色だけは鮮やかだった。
「前を見なさい!」
アーガスが立ち止まる。
「でも」
「でも、じゃない」
リナが顎を上げる。
「家のことが気になるんでしょう?」
図星だった。
アーガスは口を閉じる。
バロック。
税務庁。
自分たちが森へ入っている間に、何かされたら。
姉は手を怪我している。
父も母もいる。
自分は戻れない。
そう考えるたびに、足が工房へ引かれる。
リナは、その顔を見て声を張った。
「安心して行きなさい!」
霧の向こうまで届く声だった。
「ここには私がいる!」
周囲の冒険者まで振り返る。
リナは気にしない。
むしろ聞かせるように胸を張った。
「税務庁だろうが、兵隊だろうが、好きに来ればいいわ」
青い目に、昨日までの焦りはない。
「山王本人がここへ来たって」
一拍。
口元が上がる。
「私の目の前から、アイアンソーン家の煉瓦一個だって持っていかせない」
朝の空気が止まった。
トールが小さく口笛を吹く。
ゲイルが肩を揺らした。
「大きく出たな、嬢ちゃん」
「できないことは言わないわ」
リナは即答した。
その声には迷いがなかった。
アーガスは彼女を見る。
碧緑の服。
細い身体。
風に揺れる金髪。
山王国の兵を腕力で止められる姿には見えない。
だが、あの日バロックを退かせたのも彼女だった。
公会を止められても、別の道を探し続けた。
自分たちが森へ出るところまで、盤面を作った。
ここも任せていい。
胸の奥に引っ掛かっていたものが、少し落ちる。
アーガスは大きく頷いた。
「お願いします」
「任せなさい」
短い返事。
それで十分だった。
「行くぞ、小僧!」
ゲイルが呼ぶ。
アーガスは今度こそ前を向いた。
一行が朝霧の中へ入っていく。
足音が遠ざかる。
黒曜の黒い背も。
トールの大きな肩も。
ゲイルの斧も。
少しずつ白い霧へ溶けていった。
最後にアーガスが一度だけ振り返る。
リナはまだ同じ場所に立っている。
碧緑の裾を風に揺らし。
片手を腰へ当て。
もう片方の手を軽く上げた。
旗のように。
アーガスも手を上げる。
次に前を向いた。
今度は、もう振り返らなかった。




