第十一話:【第四幕:金貨で舗く道】
二日後の朝。
雨は止んだ。
雲の切れ間から久しぶりの光が差し込み、工房の中庭に残った水溜まりを白く光らせている。
空気は冷たく、濡れた土の匂いが強かった。
武器架には三丁の網銃が並んでいた。
黒鉄の筒。
鬼面蜘蛛の糸を収めた弾体。
内壁の奥には、淡い青のルーンが見える。
「来い!」
朝の静けさを、太い声が破った。
ゲイルの仲間の一人が、中庭の向こうで胸を叩いている。
腕はアーガスの脚より太い。
首も太い。
本人は妙に楽しそうだった。
「撃ってみろ! そんな網で俺を止められるか試してやる!」
「本当にいいんだな?」
トールが網銃を構えながら笑う。
「山熊くらい素手で締められる男だぞ、俺は!」
「後で泣くなよ」
「撃て!」
男が腰を落とす。
両腕を開く。
トールが引き金を引いた。
どん!
短く重い爆発音。
筒口から黒い弾体が飛び出す。
空中で割れる。
銀白の網が一気に広がった。
「おおっ!」
男が両腕を振り上げる。
網を掴む。
引き裂こうとする。
その前に、四方の重りが回った。
肩。
胴。
脚。
鬼面蜘蛛の糸が身体へ巻き付き、勢いのまま締まる。
「ぐっ!」
男の声が潰れた。
一秒。
次の瞬間には、巨大な白い塊が地面に転がっていた。
腕は胸へ固定。
両脚もまとめて縛られている。
男が転がる。
「何だこれ!」
さらに転がる。
「おい、待て!」
もがく。
糸が締まる。
「痛い痛い痛い!」
さっきまでの豪語は完全に消えた。
「肋が! 肋が折れる! 助けろ! トール! いやトール様!」
中庭が笑いに包まれた。
「動くなって!」
トールが腹を抱える。
「動くほど締まるんだよ!」
「先に言え!」
「言ったら試験にならねえだろ!」
ゲイルがしゃがみ込み、一本の糸を摘んだ。
腰の短剣を抜く。
刃を返し、背で張った糸を強く叩いた。
きん、と高い音がした。
短剣が跳ね返る。
糸には目立った傷がない。
「こりゃいい」
ゲイルの目が輝く。
「この馬鹿が一秒なら、熊でも数秒は止まる」
「数秒あれば十分」
アーガスが答えた。
「最初の一張で姿勢を崩す。二張目で脚。三張目で完全拘束」
「外したら?」
「外さないように近づく」
「いい答えだ」
ゲイルは笑った。
「使える」
その頃、中庭の反対側では、別の戦いが進んでいた。
リナが冒険者たちの装備を一人ずつ見ている。
今日は高い場所から指示を飛ばしていない。
数人の商会技師を連れ、自分で列の間を歩いていた。
「その斧、見せて」
「これか?」
年長の冒険者が戦斧を渡す。
リナは刃を傾け、光へ透かした。
「刃先が潰れてる」
「まだ使える」
「使える、は商品基準じゃ最低評価よ」
後ろの技師へ差し出す。
「克銀の砥石。刃を立て直して。破砕ルーンも追加」
「おいおい、そこまで要らねえぞ」
「必要かどうかは、熊に聞いて」
「金が掛かるだろ」
「私の金よ」
「そういう問題か?」
「そういう問題」
次の男へ移る。
若い斥候だった。
革鎧を指で押す。
「防水処理は?」
「油を塗ってある」
「この雨じゃ足りない」
裾を確認する。
「軽量ルーンと強靭化ルーンを入れて」
斥候の口が開く。
「両方?」
「両方」
「胴だけ?」
リナは少し考えた。
次いで、技師を見る。
「全身」
「え?」
「革防具全部。靴も」
「お嬢様、予算が」
「後で見る」
「……承知しました」
斥候の顔が引きつる。
「全部、二重付与?」
「嫌?」
「嫌なわけないだろ!」
一つ入れるだけでも、普通の冒険者なら数か月分の稼ぎが飛ぶ。しかも今回は全身に二種類だ。
斥候は自分の革鎧とリナを交互に見て、まだ現実を飲み込めていなかった。
その横では、別の箱が開かれていた。
高品質の砥石。
抗毒薬。
体力回復薬。
防水油。
替えの靴紐。
羊毛の靴下。
「靴下まで?」
ゲイルが呆れた声を出す。
「森で足を濡らして歩けなくなる馬鹿を出したくないの」
「戦争か遠足か分からなくなってきたな」
「生きて帰るならどっちでもいいわ」
リナは笑う。
声は柔らかい。
手元では、必要な物を一つずつ埋めていく。
武器。
防具。
薬。
防寒。
食料。
水。
小さな不足が戦場で死人へ変わることを、彼女は知っていた。
金で消せる不足なら、出発前に全部消す。
そのやり方は露骨だった。
そして強かった。
半刻ほど後。
冒険者たちの様子は明らかに変わっていた。
刃は研がれ。
鎧には新しい術式が灯り。
荷袋には薬が入り。
濡れた靴の中には乾いた羊毛が入っている。
「お嬢ちゃん」
さっきの年長者が斧を受け取りながら言った。
「俺ら、恩返しに来たんだぞ」
「知ってる」
「これじゃ逆に借りが増える」
リナはにこりと笑った。
「生きて帰ってから考えて」
男が吹き出した。
その笑いは、すぐ周囲へ広がった。
朝の中庭に、戦いへ向かう者たちの熱が戻っていった。




