第十一話:【第三幕:槌で刻む魔法陣】
「俺の槌を?」
「うん」
トールは怪訝な顔をしながらも、鍛造槌を差し出した。
アーガスには重い。
両手で受け取ると、腕が僅かに沈む。
だが、振る必要はなかった。
左手の掌を、槌頭へ押し当てる。
曙光から溢れた青い魔力が、鉄の表面へ走った。
細い線が生まれる。
枝分かれする。
盛り上がる。
やがて光は硬質な輪郭を持ち、槌頭の片面に複雑な凸型を作り上げた。
鏡像の魔法陣。
細い線も。
小さな節点も。
すべて逆向きに盛り上がっている。
青白い光を帯びた、巨大な印だった。
「……何だ、それ」
トールが槌へ顔を寄せる。
リナも一歩前へ出た。
「判子?」
「近い」
アーガスは答え、鉄床の上を指した。
そこには、薄い鉄板が赤く焼かれている。
加工に最も向く温度。
「兄さん。持って」
槌を返す。
「これを、あの板へ打ち込む」
トールの眉間に深い皺が寄った。
「打ち込む?」
「全力で」
「待て。これ術式だろ?」
「そう」
「術式ってのは、もっとこう……」
トールが空中で指を細かく動かす。
「こそこそ彫るもんじゃねえのか?」
「今日は違う」
「壊れても知らねえぞ」
「壊れない」
アーガスは兄を見る。
「信じて。叩いて」
短い沈黙。
トールは息を吐いた。
「後で文句言うなよ」
両足を開く。
腰を落とす。
槌を持ち上げる。
腕と背中の筋肉が盛り上がった。
「おおおっ!」
振り下ろす。
轟音。
火花。
魔力の高い唸り。
鉄床まで床ごと揺れた。
青白い光が一度大きく広がり、すぐ槌頭へ戻る。
「上げて!」
アーガスが叫ぶ。
トールが槌を持ち上げる。
全員の視線が鉄板へ落ちた。
中央に深い凹みがある。
トールの顔が曇る。
「おい、潰れ」
言葉が止まった。
凹みではなかった。
複雑な線が、同じ深さで鉄板へ沈んでいる。
節点は一つも潰れていない。
線幅も揃っている。
魔力経路は、図面と同じ形を保っていた。
「……これ」
トールが顔を近づける。
「全部、一発か?」
「一発」
「これ、本当に動くのか?」
「冷えたら確認する」
「いやいやいや」
トールが槌を見る。
鉄板を見る。
また槌を見る。
「こんなのありかよ」
鍛冶場で何十年も生きてきた男の顔に、純粋な困惑が浮かんでいた。
アーガスはもう次のカードを抜いている。
B-2。
差し込む。
「ルーン鋼印モジュールB-2『逆向き緩衝陣』、ロード」
槌頭の青い凸型がほどける。
別の模様へ再構築される。
「次」
アーガスが新しい赤熱板を鉄床へ置いた。
トールの目が輝いた。
「また叩けばいいんだな?」
「同じ位置に」
「任せろ!」
今度は迷いがなかった。
槌が上がる。
落ちる。
かん!
次。
かん!
もう一枚。
かん!
工房に一定の拍子が生まれた。
アーガスがカードを切り替える。
曙光が鋼印を組み替える。
トールが叩く。
工程は、それだけだった。
付与術師なら三日掛ける部品が、一枚ずつ数分で形になっていく。
十分も経たないうちに、必要なルーン板が作業台へ並んだ。
熱を残す鉄板。
同じ深さ。
同じ線。
同じ節点。
リナが近づいた。
「触るな、まだ熱いぞ」
トールが言う。
リナは聞かなかった。
指先で一枚の端へ触れる。
僅かに顔を顰めながら、細い魔力を流した。
ぶん、と低い音が鳴る。
術式が青く灯った。
線の端から端まで、光が止まらず走る。
途切れない。
淀まない。
リナの目が細くなる。
「もう一枚」
隣の同型の板へ手を移す。
魔力を流す。
同じ場所が。
同じ順序で。
同じ明るさで光った。
リナの指が止まった。
一枚目を見る。
二枚目を見る。
アーガスを見る。
「……同じ」
「同じ型だから」
「そういう意味じゃないわ」
声が少し低くなった。
彼女が見ているのは、二枚の完成品だった。
同じものが、同じ精度で、短時間に二つ存在している。
この世界の魔法道具は高い。
材料だけが理由ではない。
刻む者の腕。
魔力の癖。
その日の体調。
一本の線を引く手の震え。
同じ設計図を渡しても、完成品には必ず差が出る。
だから職人が価値を持つ。
だから量が増えない。
だから値段が落ちない。
今、目の前の二枚には差がない。
型さえ同じなら、三枚目も四枚目も同じになる。
一度型を作れば、刻む者の手癖にも、その日の調子にも左右されにくい。
同じ位置へ、同じ型を、同じ要領で打つ。
職人の手癖から切り離された、同一規格の部品。
リナの目には、その先に並ぶ百枚、千枚まで見えていた。
青い瞳に熱が宿った。
「アーガス」
「何?」
「これ、前にも使った?」
アーガスが一瞬考える。
「似た考え方なら」
「学級対抗戦」
リナが距離を詰めた。
「あの時、短時間で大量の地雷式を用意したでしょう」
「うん」
「どうやってあの数を作ったのか、ずっと気になってた」
さらに一歩。
アーガスが僅かに後ろへ引く。
「まさか」
リナの両手がアーガスの肩へ置かれた。
目が近い。
「この方法だったの?」
「全部じゃないけど、原理は近い」
「型を作って」
「うん」
「押して」
「まあ」
「同じものを何枚も?」
「必要なだけ」
リナの口元がゆっくり上がった。
社交用の笑顔ではない。
家族へ向ける柔らかなものでもない。
価値を見つけた商人の顔だった。
鉱脈を掘り当てた者のような熱が、隠しきれずに浮いている。
「これが」
声が弾む。
「あなたの魔法工芸なのね」
「いや、これは時間がなかったから作っただけで」
「最高」
「え?」
リナは深く息を吸った。
それから、無理やり表情を整える。
指揮官の顔へ戻った。
それでも目の奥の火だけは消えない。
「話は後」
アーガスの肩から手を離す。
「今は組み立てる」
作業台を指差した。
「最大の詰まりが消えた。朝までにまず一丁を完成させる。そのまま三丁とも仕上げる」
トールが鼻を鳴らす。
「言われなくてもやる」
リナは即座に返す。
「なら手を動かして」
「お前、本当に可愛げねえな!」
「知ってる」
鍛造場に、再び槌音が響き始めた。




