第十一話:【第一幕:嵐の前のカウントダウン】
第十一話:出発
雨脚は、ようやく弱まり始めていた。
三日続いた凍雨が、四日目の朝になってようやく息を切らし始めたらしい。
空はまだ、黴びた鉛板の色に沈んでいる。それでも遠くの鉄峰山脈、その鋸歯状の稜線の向こうには、薄く白い光が滲んでいた。
腐葉土。濡れた木。融け始めた雪。
工房の外には、冬と春の境目だけに漂う重い土の匂いが満ちている。
軒先から水滴が落ちる。
ぽつ。
ぽつ。
ゲイルは入口に立ち、黙って片手を差し出していた。
節くれだった指。古い傷。厚い胼胝。
掌へ落ちた一滴を、親指と人差し指でゆっくり擦る。
水の冷たさ。
風向き。
湿り気。
アーガスとトールは、その背後で黙って待っていた。
何を見ているのか、二人には分からない。
だが、森で何十年も生き残ってきた男が、ただ雨水を弄んでいるわけではないことだけは分かった。
「三日降った」
やがてゲイルが口を開いた。
掠れた声だった。
「あの化け物も、穴の中で腹を空かせてる」
掌の水を振り落とす。
振り返った時、濁って見えていた目に鋭い光が戻っていた。
「二日だ」
太い指を二本立てる。
「風が変わった。あと二日で雲が切れる」
トールが空を見る。
「分かるのか?」
「匂いが変わった」
ゲイルは鼻を鳴らした。
「雪の後、最初に日が差す朝が来る。でかい熊は、その頃が一番腹を空かせてる。身体も冷えてる。巣の中に三日も籠もってりゃ、なおさらだ」
視線がアーガスへ向く。
「出てくるぞ」
アーガスの喉が僅かに動いた。
「餌を探すために?」
「ああ。しかも腹が減ってる時は、普段より雑になる。匂いにも釣られやすい。警戒も落ちる」
ゲイルの指が一本折れる。
「そこで仕留める」
「殺さない。捕まえる」
アーガスがすぐ訂正した。
ゲイルが片眉を上げる。
「そうだったな。面倒くせえ連中だ」
口では悪態をつきながら、目は笑っていない。
「いいか、小僧。狙うならその朝だ」
もう一度、二本の指を見せる。
「二日後。それが一番いい」
声が低くなる。
「逃したら、次は分からん」
トールの表情から冗談が消えた。
「腹を満たせば、奴はまた森の奥へ潜る。あの辺りは洞穴と裂け目だらけだ。縮こまって寝られたら、探すだけで何日も食う」
ゲイルは山の方角を顎で示す。
「見つけても、腹の減ってねえ熊は厄介だ。無理に追い込めば、今度はこっちが狩られる」
アーガスは黙った。
二日。
四十八時間。
網銃の完成。
ルーン部品の製作。
曙光の改修。
組み立て。
実射試験。
人員の動き合わせ。
全部、その中へ押し込まなければならない。
失敗してから直す時間はない。
試作を何度も壊し、原因を拾い、次を作る余裕もない。
ゲイルはアーガスの顔を見た。
「怖くなったか?」
「時間が足りない」
返事は即座だった。
「怖がってる暇はない」
ゲイルの口元が僅かに上がる。
「その顔ならいい」
アーガスは工房の奥を見る。
すでに槌音が聞こえていた。
トールが作った発射管。
自分がまだ完成させていない術式。
机の上で開かれたままの曙光。
あと四十八時間。
鼓動が一つ鳴るたび、残り時間が削れていく。
時間は、完全に固定された。




