第十話:【第三幕:規則の穴】(挿絵あり)
ブレイクが一度だけ家族を振り返った。
拳を握る。
正門へ歩き、重い閂を外した。
扉を開けた途端、冷たい雨が風と一緒に吹き込んでくる。
ブレイクの目が止まった。
税務庁の役人はいない。
借金取りもいない。
雨の中に立っていたのは、矮人の一団だった。
全員、ずぶ濡れ。
厚い鎖帷子。
背には戦斧。
何人かは塔盾まで持っている。
鎧には傷と凹みがいくつも残り、どれも飾りではなかった。
何度も命を拾ってきた者の装備だった。
先頭にいるのは、太い髭を編んだ大柄な矮人。
ゲイル。
その後ろにも、ブレイクには見覚えのある顔が並んでいる。
昔、アイリーンを迎えに工房へ来ていた連中だ。
彼女が冒険者だった頃の仲間。
「お前ら……」
ブレイクの口がうまく動かない。
「どうしてここに。公会は依頼を止めてるはずだろ」
「ああ」
ゲイルは平然と工房へ入ってきた。
雨水を顔から拭い、黄ばんだ歯を見せる。
「掲示板には何もなかった」
にやり、と笑う。
「ただな。窓口の若い奴が、ずいぶん親切でよ」
「親切?」
「『アイアンソーン家には緊急の依頼があり、人手を必要としているが、その情報を絶対に外部へ伝えてはならない』って書かれた内部通達を持って、大広間のど真ん中に立ったんだ」
ゲイルは腹を抱えるように笑った。
「それを俺たちの前で三回も読み上げやがった」
トールの眉が上がる。
「三回?」
「ああ。『絶対に伝えるな!』『聞いても動くな!』『アイアンソーン家へ行くな!』ってな」
ゲイルは耳を指でほじる。
「声がでかすぎて、まだ頭が鳴ってる」
後ろの矮人たちが笑い始めた。
「俺たちは頭の出来が良くないからな」
ゲイルが両手を広げる。
「そこまで丁寧に言われたら、逆に何を言いたいのか分かっちまう」
張りつめていた空気に、初めてひびが入った。
トールの大槌が少し下がる。
ウォーレンも短剣から手を離した。
リナは黙ったままゲイルを見る。
「でも、公会の命令には逆らってるでしょう」
ゲイルは首を振った。
「いや?」
堂々とした顔だった。
「公会は俺たちに依頼を受けるなと言った。俺たちは依頼なんか受けてねえ」
後ろの仲間を親指で示す。
「古い友達の顔を見に来た。茶でも飲んで、近況を聞く。それだけだ」
一人が吹き出す。
「その帰りに森へ散歩へ行くかもしれん」
「暇なら害獣の一匹くらい追うかもな」
「俺たちが勝手に歩く場所まで、公会に決められる筋合いはねえ」
また笑いが起きた。
ゲイルも肩をすくめる。
「そういうことだ」
リナの目がわずかに細くなった。
命令の文面は破っていない。
依頼契約もない。
報酬の約束もない。
旧友が勝手に訪ねてきた。
その旧友が勝手に森へ入る。
公会が縛った規則の隙間を、現場の人間が自分たちで抜けてきた。
「ずいぶん大胆な散歩ね」
リナが言う。
「年寄りは足腰を動かさねえとな」
ゲイルは真顔で返した。
その後、笑みが消える。
「本当は、もっと来たがってた」
工房の空気が少し変わった。
「公会の中じゃ、話を聞いた連中が一斉に立ち上がった。誰がアイリーンに世話になってねえか探す方が難しい」
ゲイルは雨の向こうを振り返る。
「治癒魔法が珍しかった頃から、あいつは金のない新人まで診てた。報酬が払えねえ奴からも、ほとんど取らなかった」
声が低くなる。
「『白百合が困ってる』って聞いたら、そりゃ皆動く」
その呼び名に、何人かの顔が緩んだ。
「ただ、大勢で来りゃ窓口の若い奴まで巻き込む。だから昔の隊だけで来た」
ゲイルは右腕を上げた。
拳を握る。
以前はまともに動かなかった腕が、今はしっかり曲がっている。
「それに、この腕はアイリーンの弟に治してもらった」
視線がアーガスへ向いた。
「借りが増えたままじゃ、酒がまずい」
ブレイクを見る。
次にアーガスを見る。
「俺たちは恩を忘れねえ」
短く言った。
「助けてもらった奴が困ってるなら、今度はこっちが動く。それだけだ」




