第十話:【第二幕:臨界点の交響曲】(挿絵あり)
三日後。
時間は、工房の首へ巻かれた縄のように縮んでいた。
鍛造場では炉の火が昼夜を問わず燃えている。
かん。
かん。
かん。
トールの槌音が止まらない。
普段なら一定の拍子を刻む音が、この三日間で少しずつ荒れていた。速い。重い。間がない。
槌音には、残された時間そのものを殴りつける苛立ちが混じっていた。
試験室では、アーガスがほとんど眠っていない。
目の下には濃い隈ができ、顔色は白い。机の周囲には焼けた糸、歪んだ管、黒く焦げた石片、用途の分からない試作部品が山になっていた。
成功したものより、失敗したものの方が多い。
それでも彼の手は止まらない。
曙光の内部構造を開き、閉じ、また開く。
発射制御。
魔力経路。
治癒式。
戦術カードスロット。
一つを動かせば、別の場所へ負荷が出る。
構造図の上では、何度も配置が組み替わっていた。
計画は前へ進んでいる。
網はある。
発射管もトールの槌の下で形になりつつある。
曙光の改修も進んでいる。
それなのに、リナの眉間の皺は深くなるばかりだった。
戦略室へ戻ったウォーレンの姿が、さらに空気を重くした。
外套の片側が雨を吸って黒くなっている。
髪からも水が落ちていた。
「お嬢様。想定より悪いです」
珍しく、前置きがなかった。
リナは窓辺に立ったまま振り返る。
「言って」
「鉄峰山城の冒険者公会は変わりません。窓口は『手続き審査中』の一点張りです。急行料も寄付金も受け取らない」
ウォーレンは濡れた手袋を外した。
「近隣の三つの町にも人を走らせました。全部駄目です」
リナの目が細くなる。
「全部?」
「矮人側の管轄に入る支部は、すでに話が回っています。アイアンソーン家に関係する依頼は、審査が終わるまで受理しない」
ウォーレンの口元に苦い笑みが浮かぶ。
「バロック一人の嫌がらせで済む規模ではありません。少なくとも、行政側の誰かが広く止めています」
雨が窓を叩く。
「人間領側は?」
リナの声は静かだった。
「傭兵団。流れの狩人。金額は問わない」
「手は打ちました」
ウォーレンは窓の外を見る。
「ですが、今度は天候です」
黒い山肌を雨が覆っている。
「昨日の夜から二か所で土砂崩れ。山城へ入る主要道は両方とも塞がれました。商会の荷車も途中で止まっています」
「迂回路は?」
「荷を背負った獣でも厳しい。人間だけなら数日掛ければ可能ですが、外から呼んだ者を半月以内に森へ入れるには遅すぎます」
「空は」
「この雨と風では、飛行獣も無理でしょう」
部屋が静まった。
近くは人が止めた。
遠くは山が止めた。
金を積んでも、道そのものがない。
リナは窓から離れた。
机へ戻る。
地図を見る。
また窓へ向かう。
足が止まらない。
いつもなら椅子へ座ったまま、相手の条件を一つずつ分解していく。
今夜はそれができなかった。
羽根ペンを握る。
軸が少し曲がっていた。
羽根も乱れている。
自分の手元から物事が外れていく感覚が、何より嫌いだった。
金。
人脈。
規則。
情報。
いつもなら、そのどれかを使えば道が開く。
今は全部、壁の向こうにある。
もっと汚い札なら持っている。
リナはそれも知っていた。
だが、その札を切れば工房まで汚れる。
守ると決めたものを、自分の手で壊すことになる。
合法の範囲に残る。
アイアンソーン家へ余計な罪を背負わせない。
その条件を守る限り、目の前には高い壁しかなかった。
「……嫌な感じね」
リナは曲がった羽根ペンを卓へ置いた。
その時だった。
かしゃ。
かしゃ、かしゃ。
雨音の向こうから、金属同士が擦れる音がした。
全員が顔を上げる。
足音だ。
一人ではない。
重い靴。
鎖。
鎧。
何人もいる。
音は工房の正門へ近づいてくる。
ウォーレンの右手が腰へ落ちた。
短剣の柄に触れる。
鍛造場の扉が勢いよく開いた。
「何だ!」
トールが飛び出してくる。
上半身は裸のまま。汗と煤にまみれ、右手にはまだ赤みの残る大槌を握っていた。
「また役人か!?」
その後ろではブレイクも動いた。
何も言わず、生活区へ続く廊下の前に立つ。
妻と娘がいる方角だった。
足音が正門の前で止まる。
誰も息をしない。
次に響いたのは。
どん。
どん。
どん。
規則正しい三度のノックだった。
トールの眉が寄る。
「……何で礼儀正しいんだ」
誰も答えられなかった。
荒くれ者なら蹴破る。
役人なら名乗る。
丁寧なノックだけが、今はかえって不気味だった。




