↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

218/256

第十話:【第二幕:臨界点の交響曲】(挿絵あり)

 三日後。


 時間は、工房の首へ巻かれた縄のように縮んでいた。


 鍛造場では炉の火が昼夜を問わず燃えている。


 かん。


 かん。


 かん。


 トールの槌音が止まらない。


 普段なら一定の拍子を刻む音が、この三日間で少しずつ荒れていた。速い。重い。間がない。


 槌音には、残された時間そのものを殴りつける苛立ちが混じっていた。


 試験室では、アーガスがほとんど眠っていない。


 目の下には濃い隈ができ、顔色は白い。机の周囲には焼けた糸、歪んだ管、黒く焦げた石片、用途の分からない試作部品が山になっていた。


 成功したものより、失敗したものの方が多い。


 それでも彼の手は止まらない。


 曙光の内部構造を開き、閉じ、また開く。


 発射制御。


 魔力経路。


 治癒式。


 戦術カードスロット。


 一つを動かせば、別の場所へ負荷が出る。


 構造図の上では、何度も配置が組み替わっていた。


 計画は前へ進んでいる。


 網はある。


 発射管もトールの槌の下で形になりつつある。


 曙光の改修も進んでいる。


 それなのに、リナの眉間の皺は深くなるばかりだった。


 戦略室へ戻ったウォーレンの姿が、さらに空気を重くした。


 外套の片側が雨を吸って黒くなっている。


 髪からも水が落ちていた。


「お嬢様。想定より悪いです」


 珍しく、前置きがなかった。


 リナは窓辺に立ったまま振り返る。


「言って」


「鉄峰山城の冒険者公会は変わりません。窓口は『手続き審査中』の一点張りです。急行料も寄付金も受け取らない」


 ウォーレンは濡れた手袋を外した。


「近隣の三つの町にも人を走らせました。全部駄目です」


 リナの目が細くなる。


「全部?」


「矮人側の管轄に入る支部は、すでに話が回っています。アイアンソーン家に関係する依頼は、審査が終わるまで受理しない」


 ウォーレンの口元に苦い笑みが浮かぶ。


「バロック一人の嫌がらせで済む規模ではありません。少なくとも、行政側の誰かが広く止めています」


 雨が窓を叩く。


「人間領側は?」


 リナの声は静かだった。


「傭兵団。流れの狩人。金額は問わない」


「手は打ちました」


 ウォーレンは窓の外を見る。


「ですが、今度は天候です」


 黒い山肌を雨が覆っている。


「昨日の夜から二か所で土砂崩れ。山城へ入る主要道は両方とも塞がれました。商会の荷車も途中で止まっています」


「迂回路は?」


「荷を背負った獣でも厳しい。人間だけなら数日掛ければ可能ですが、外から呼んだ者を半月以内に森へ入れるには遅すぎます」


「空は」


「この雨と風では、飛行獣も無理でしょう」


 部屋が静まった。


 近くは人が止めた。


 遠くは山が止めた。


 金を積んでも、道そのものがない。


 リナは窓から離れた。


 机へ戻る。


 地図を見る。


 また窓へ向かう。


 足が止まらない。


 いつもなら椅子へ座ったまま、相手の条件を一つずつ分解していく。


 今夜はそれができなかった。


 羽根ペンを握る。


 軸が少し曲がっていた。


 羽根も乱れている。


 自分の手元から物事が外れていく感覚が、何より嫌いだった。


 金。


 人脈。


 規則。


 情報。


 いつもなら、そのどれかを使えば道が開く。


 今は全部、壁の向こうにある。


 もっと汚い札なら持っている。


 リナはそれも知っていた。


 だが、その札を切れば工房まで汚れる。


 守ると決めたものを、自分の手で壊すことになる。


 合法の範囲に残る。


 アイアンソーン家へ余計な罪を背負わせない。


 その条件を守る限り、目の前には高い壁しかなかった。


「……嫌な感じね」


 リナは曲がった羽根ペンを卓へ置いた。


 その時だった。


 かしゃ。


 かしゃ、かしゃ。


 雨音の向こうから、金属同士が擦れる音がした。


 全員が顔を上げる。


 足音だ。


 一人ではない。


 重い靴。


 鎖。


 鎧。


 何人もいる。


 音は工房の正門へ近づいてくる。


 ウォーレンの右手が腰へ落ちた。


 短剣の柄に触れる。


 鍛造場の扉が勢いよく開いた。


「何だ!」


 トールが飛び出してくる。


 上半身は裸のまま。汗と煤にまみれ、右手にはまだ赤みの残る大槌を握っていた。


「また役人か!?」


 その後ろではブレイクも動いた。


 何も言わず、生活区へ続く廊下の前に立つ。


 妻と娘がいる方角だった。


 足音が正門の前で止まる。


 誰も息をしない。


 次に響いたのは。


 どん。


 どん。


 どん。


 規則正しい三度のノックだった。


 トールの眉が寄る。


「……何で礼儀正しいんだ」


 誰も答えられなかった。


 荒くれ者なら蹴破る。


 役人なら名乗る。


 丁寧なノックだけが、今はかえって不気味だった。


挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。