第八話-【第五幕:碧緑の鉄壁】(挿絵あり)
バロックはリナを睨み続けた。
歯を食いしばり、頬の肉が小刻みに震えている。
屈辱で顔は赤い。
額の汗だけは止まらない。
背後には部下がいる。
目の前には職人たちがいる。
ここで退けば面子を失う。
押し切れば、鉱務局の資材まで自分の首と一緒に賭けることになる。
知らない。
確認していない。
その二つが彼の足を止めた。
「……半月だ」
掠れた声が出た。
リナは返事をしない。
「半月だけ待ってやる!」
バロックは声量を上げた。
指をリナへ突きつける。
「期限までに証拠を出せなければ、私が直々に封印札を貼る! 工房も資産も、全部だ!」
「ええ」
リナは短く答えた。
「忘れないでね」
視線が潰れた聴音管へ落ちる。
バロックの顔がさらに歪んだ。
「帰るぞ!」
怒鳴りつけ、外套を翻す。
重装兵が一斉に向きを変えた。
先ほど長戟を落とした若い兵が、遅れて武器を拾う。
その際も黒曜を見ないようにしていた。
鉄靴の音が遠ざかっていく。
壊された正門の向こうへ、深紅の官服が消えた。
最後の兵が外へ出る。
工房へ冬の風だけが残った。
誰も歓声を上げなかった。
勝った、と叫ぶ者もいない。
張り詰めていた時間が長すぎて、身体がまだ終わったことを理解していない。
リナは入口に立ったまま、兵たちが去った方向を見ていた。
碧緑の天鵞絨が寒風を受けて揺れる。
背筋は真っ直ぐだった。
腕は自然に下りている。
指先も動かない。
呼吸も一定。
一片の震えもない。
バロックが消えても、彼女の中ではまだ刃を鞘へ戻す時ではなかった。
ブレイクもトールも、声を掛ける時機を測れずにいる。
サラさえ黙っていた。
工房の者たちには、さっきまで自分たちと同じ食卓へ座っていた少女と、今そこに立つ人物がうまく重ならない。
碧緑の礼服だけが、昨日と同じ色をしている。
朝、リナはこの服を選んだ。
アイアンソーン家へ馴染まないために。
自分とこの家の間へ、冷たい境界を引くために。
今、その碧緑は工房の入口に立っていた。
外から押し寄せるものを通さない位置に。
山王の兵と、アイアンソーン家の間に。
誰にも命じられていない。
契約にも書かれていない。
それでも、その背中は壁のように動かなかった。
碧緑色の、鉄壁だった。




