第八話-【第三幕:捕食者の眼差し】(挿絵あり)
リナはそこで初めて、バロックを正面から見た。
バロックは一瞬、息を止めた。
リナの顔は静かだった。
激しい感情をぶつけられるより、その静けさの方が不気味だった。
これからどう処分されるかも知らずに立っている男を、先に結果だけ知っている者の目だった。
「き、貴様……何者だ!」
バロックが声を張り上げる。
必要以上に大きい。
自分の耳へ、自分の権威を聞かせるための声だった。
「山王国の行政執行へ、外国人が口を挟む気か!」
リナはすぐには答えなかった。
こめかみに落ちた金髪を、指でゆっくり耳へかける。
尖った耳が露わになる。
バロックの目が止まった。
「ハーフエルフ……?」
顔色が僅かに変わる。
大陸でも最大級の商圏を持つハーフエルフ合衆国。
その名を知らない官吏はいない。
警戒が目に浮かんだ。
だが、バロックはすぐ周囲を見た。
黒鉄の兵。
石造りの工房。
窓の外に連なる鉄峰山。
自分の国。
自分の兵。
自分の地盤。
その確認が、彼の背をもう一度伸ばした。
「ふん。合衆国の商人か」
杖で床を叩く。
「大陸でどれだけ金を持っていようが、ここでは関係ない。ここは鉄峰山、山王国だ」
一歩近づく。
自分の大きな身体でリナを覆うように胸を張った。
「外国から来た小娘が、商売の金を盾に我々の執行へ口を出せると思うな」
声に勢いが戻っている。
自分の地盤を思い出した途端、恐怖を押し返せると思ったらしい。
リナはその変化を見て、ほんの少し口元を上げた。
勇気の出所まで見えた。
「そう」
首を傾ける。
「あなたの勇気って、土地にくっついているのね」
「何だと?」
「鉄峰山から一歩出たら、ずいぶん小さくなりそう」
バロックの眉間に皺が寄る。
「無礼な半人め。身の程を」
「身の程?」
初めて、リナが彼の言葉を遮った。
声は小さい。
それでもバロックの口が止まる。
リナは一歩近づいた。
「あなた、自分が誰に守られていると思っているの?」
「山王陛下だ!」
「そう思っているのね」
返事が早すぎて、バロックの顔が僅かに曇った。
「命令どおりに工房を押さえる。逆らう職人を黙らせる。提出された書類は受け取らない。検査具は部下に踏ませる」
リナは床に散った羊皮紙へ目を落とした。
「便利な役目ね」
「私を侮辱する気か!」
「あなたの行動を順番に並べただけよ」
青い目が戻る。
「命令した側が、失敗したあなたまで守る保証はどこにあるの?」
バロックの頬が僅かに引きつった。
「山王陛下への不敬だぞ!」
「陛下を侮辱した覚えはないわ」
リナは平然としている。
「あなたの価値を聞いているの」
バロックの声が止まった。
「上から命じられた。だから自分は安全。そう信じているのでしょう?」
リナの口元に薄い笑みが浮かぶ。
温度はない。
「甘いわね、デブ」
工房の空気がわずかに動いた。
トールが目を見開く。
ウォーレンは表情を変えない。
黒曜も動かない。
ただ、バロックの顔だけが一気に赤黒くなった。
「き、貴様!」
「声を大きくしても、価値は上がらないわよ」
リナがまた一歩詰めた。
今度はバロックが動かなかった。
動けなかった。
「あなたは、国の安全に関わるかもしれない証拠を受け取らなかった」
潰れた聴音管を見る。
「検査具を壊させた」
床の報告書を見る。
「そして、それを部下全員の前でやった」
視線が戻る。
「とても親切ね。責任の所在を、自分でこんなに分かりやすくしてくれた」
バロックの額に汗が滲む。
「何を……言っている」
「何か起きた時、誰を差し出せば一番簡単かって話よ」
リナは最後の距離を詰めた。
「あなた、棄てる側にいるつもりだったのでしょう?」
青い瞳が細くなる。
「残念ね」
「棄てられる側よ」
バロックの口が閉じた。
怒鳴り返すより先に、その言葉の意味を計算し始めた。
リナはそれを見ていた。
これで、この男は自分の卓に座った。




