第七話-【第四幕:震える太陽】(挿絵あり)
前工房の沈黙は続いていた。
リナの視線は、アーガスの背へ吸い寄せられる。
彼は俯いたまま立っていた。
両手だけが動く。
握る。
開く。
もう一度、握る。
指の関節が白く抜けていた。
耐えている。
父親のために。
家族のために。
工房を潰さないために。
床には、自分で作った聴音管の残骸がある。
その上へ、一つの音が重なった。
ごろ、ごろ。
車輪が回る音。
人の間が割れた。
アイリーンが輪椅子を進めてくる。
ブレイクの横を抜ける。
アーガスの前へ出る。
泥のついた報告書を踏まないよう、車輪を少しだけ避ける。
そして、家族と重装兵の間で止まった。
小さい。
鎧を着た矮人兵が並ぶ前では、肩も腕も驚くほど細く見えた。
「……この、大人」
声が震えた。
リナの眉が動く。
昨夜、暗い部屋で自分の手を包んだ時の声ではない。
明らかに怯えている。
「《山王法典》……第七章、第二十四条……」
息を吸う音まで聞こえそうだった。
「行政による差し押さえには……具体的な違反事実の提示と……当事者へ、十五日の……異議申立てと再検査の期間を……」
言葉が何度も途切れる。
喉が震えて、声が上ずる。
それでも続きを言う。
「必要と……します」
リナはアイリーンから目を離せなかった。
額から冷たい汗が流れている。
輪椅子の肘掛けを握る指が、木へ食い込むほど強い。
細い肩は、服の上から分かるほど震えていた。
怖いのだ。
目の前には武装した兵がいる。
長戟の穂先は、人の胸を貫くための形をしている。
相手は法を踏み越えても誰も止めない高官だ。
アイリーンは自力で立ち上がることさえできない。
逃げることも、相手を押し返すこともできない。
それでも輪椅子を前へ出した。
家族の前へ。
震えたまま。
リナの胸が詰まる。
戦場で見た勇者たちは、恐怖を顔から消して前へ進んだ。
アイリーンは怖さを隠しきれないまま、家族の盾になっている。
バロックの顔から笑みが消えた。
法の条文を、しかも震える少女に公衆の面前で読み上げられた。
細い目がさらに狭くなる。
何も言わない。
隣の衛兵へ、指を一度曲げた。
兵が前へ出る。
大きな影がアイリーンを覆った。
「法典?」
兜の下で口が歪む。
「ここでは、バロック大人が法典だ」
右脚が上がった。
次の瞬間。
どん、と鈍い音がした。
軍靴が輪椅子の側面を蹴り抜いた。
「きゃっ!」
車体が横へ跳ねる。
アイリーンの身体ごと傾き、床へ倒れた。
輪椅子の枠が動かない脚へ重なる。
片手をついた場所には、削り屑と尖った金属片が散っていた。
掌が裂ける。
赤い血が、灰色の床へ点々と落ちた。
「アイリーン!」
「姉さん!」
ブレイクとアーガスの声が重なる。
長戟が交差した。
家族の前へ、銀色の壁ができる。
「動くな!」
衛兵隊長が怒鳴った。
「一歩でも出れば反逆とみなす!」
アイリーンは床へ倒れたままだった。
長い髪が顔へかかる。
身体が痛みで小さく震えている。
誰も動けない。
その右手が床を探った。
血のついた掌をつく。
滑る。
もう一度つく。
肘を伸ばし、少しずつ上半身を起こす。
髪の間から顔が上がった。
涙で濡れた翠緑の目が、バロックを見ていた。
「……文書……」
声は弱い。
恐怖も痛みも隠せていない。
それでも言葉を押し出す。
「執行の……文書を……出してください……」
手の血が、床へもう一滴落ちた。
リナの指が、茶杯の取っ手を強く握った。




