第五話-【第一幕:銀鈴の微笑】(挿絵あり)
第五話:廃鉄と真心、傲慢な女王が触れた狂気の温度
工房の大広間には、炉の熱がまだ残っていた。
けれど、先ほどまで人の喉を締めつけていた政治の重さは、リナ・ヴァンデルの強硬な宣言によって、いったん奥へ退いていた。
汚染された鉄木のロットは、裏庭の倉庫に積まれたままだ。
山王国からの責任追及と損害賠償という刃も、頭上から消えたわけではない。
リナの数言で、危機そのものが片づいたわけではなかった。
それでも、恐怖と自責に押し潰されかけていたアイアンソーン家にとって、ヴァンデル家の継承者がこちら側に立ったという事実は、何よりも大きな支えだった。
敵ばかりに見えた場所で、背後に強力な味方がいる。
その実感だけで、工房にいた者たちの呼吸は、少しだけ戻っていた。
大広間の中央で、リナは静かに息を吐いた。
空気を凍らせていた声の硬さがほどけていく。
伸びていた背筋がわずかに緩み、氷のようだった青い瞳に、少女らしい柔らかな光が戻った。
それは、場を休ませるための演技だった。
リナはうつむき、自分の左手を見た。
雪のように白いシルクの手袋には、親指と人差し指の間から指先にかけて、黒い煤と機油の汚れが残っている。
先ほどトールが測定記録を渡した時についたものだ。
清潔さと体面を重んじる半精霊の令嬢にとって、それは即座に交換すべき汚れだった。
ウォーレンが音もなく現れ、盆に乗せた新しい手袋を差し出す。
交換なさいますか、と目で尋ねていた。
リナはほんのわずか眉をひそめた。
だが、すぐに首を横へ振った。
今ここで汚れた手袋を脱ぎ、新しいものへ替えれば、どれほど優雅に振る舞っても、工匠たちの目には無言の嫌悪として映る。
彼女はそれを理解していた。
「あれを持ってきなさい」
リナが低く命じる。
ウォーレンは即座に意図を汲み、随行用の金庫から、美しく包装された紫檀の箱を取り出した。
リナは懐から長春藤の刺繍が入ったシルクのハンカチを取り出す。
そして、汚れた左手にそっとかぶせた。
汚れを隔てるためでもあり、その贈り物へ最大限の敬意を払うためでもあった。
彼女はハンカチ越しに、両手で紫檀の箱を受け取った。
その一連の動作は滑らかで、外から見れば、育ちの良い令嬢の丁寧な所作にしか見えない。
リナは振り返った。
その顔には、アーガスがよく知り、トールが懐かしんでいた、銀の鈴のように甘く無害な笑みが浮かんでいる。
「ブレイク大師、サラ夫人」
リナは紫檀の箱を捧げ持ち、まだ呆気に取られている夫婦の前へ歩み寄った。
そして、標準的な後輩の礼を取る。
「これは、父がパラディアから持たせてくれた雪頂のローヤルゼリーです。疲労回復と精神を落ち着けるのに、とてもよく効きます。工房が大変な状況だと聞き、父も深く心配しておりまして、必ず私の手でお渡しするようにと言われました」
ブレイクの大きな手は、どこに置けばよいのか分からないまま宙で迷った。
つい先ほどまで女王のように命令していた少女が、今は隣家の娘のように礼儀正しく立っている。
その落差に、彼の理解が追いついていなかった。
「こ、これは……申し訳ない。ヴァンデルお嬢様、あなたは先ほど……」
「あら、私とアーガスは同年代ですもの。どうかリナちゃんと呼んでくださいな」
リナは悪戯っぽく瞬きをした。
それだけで、距離が一気に縮まる。
「先ほどは、商会の幹部たちの前でああ振る舞うしかなかったんです。私はまだ若いですから、少し怖くて理不尽なくらいに見せておかないと、あの人たちはすぐに足元を見るんです。そうなれば、私たちアイアンソーン工房まで軽く見られてしまいますから」
私たち。
その言葉に、ブレイクとサラの目が揺れた。
リナは困ったように笑い、トールとアーガスへ視線を向けた。
「全部、大局のためです。父の悪名を少し借りただけなんです。皆様、どうか驚かないでくださいね。普段の私は、あんなふうに人を脅かしてばかりいるわけではありませんから。そうですよね、トール兄さん? アーガス?」
隅で固まっていたトールは、久しぶりに聞くトール兄さんという呼び声に、はっと顔を上げた。
彼の視線は、リナの笑顔とアーガスの呆れた顔の間を何度も往復する。
本当にそうなのか。
さっき竜族を食い殺しそうな顔をしていたあの女王と、目の前で甘く笑っている少女は、同じ人物なのか。
アーガスは深くため息をつき、ほとんど気づかれないほど小さく頷いた。
その確認だけで、トールの顔に血の気が戻った。
「やっぱりな! リナの姉御はいい子だって俺は言っただろ! さっきのは絶対に芝居だ! 父さん、見たか? 俺の言った通りだろ。前に会った時だって、すごく親切だったんだから!」
その言葉と、リナが汚れた手を隠しながらも贈り物を丁寧に差し出している姿が、ブレイクとサラの心に残っていた最後の恐れを溶かしていった。
「そういうことだったのね……本当に、気を遣わせてしまったわ」
サラは目元を赤くしながら、急いで紫檀の箱を受け取った。
「遠くから助けに来てくれて、そんなお芝居までしてくれるなんて。さあ、早く座って休んでちょうだい」
工房の空気が、一気に温かくなった。
氷のような交渉の場は、いつの間にか家族が客人を迎える空間へ変わっている。
ただ一人、アーガスだけが、口元をわずかに引きつらせていた。
彼はリナの完璧な作り笑いと、汚れを優雅に隔てるハンカチの動きを見つめていた。
感心と呆れが、胸の奥で同時に湧き上がる。
この女は、親しみやすさでさえ戦術にする。




