第四話-【第二幕:女王の駕臨】(挿絵あり)
ノックはなかった。問いかけもない。
厚いオーク材の大扉が、外から有無を言わせぬ力で押し開けられた。
朝の光は本来、金色であるはずだった。だがその瞬間、工房へ流れ込んだのは碧緑の波だった。
深緑色の制服を着た人員が、次々と工房内へ入ってくる。胸には、樹葉に囲まれた馬車輪の紋章。ヴァンデル商会の徽章だ。
彼らは無言のまま散開し、工房の棚、原木置き場、半製品の作業台、出入口をすばやく押さえた。軍隊ではない。だが、その動きには訓練された商会実務部隊の冷徹な秩序があった。
最前列にいるのは、銀色の魔導器具を持った鑑定師と技師たちだった。真っ白な手袋、整った姿勢、磨かれた靴。煤と汗にまみれた工房とは、あまりにも異質だった。
そして、その碧緑の中心に、一人の少女が立っていた。
リナ・ヴァンデル。
今日の彼女は複雑なレースのドレスではなく、無駄のない深緑色の乗馬服を着ていた。黒いロングブーツ。手には短い杖。長い金髪は高く結い上げられ、氷のように冷たい青い瞳が露わになっている。
そこにいたのは、アーガスがよく知る、悪戯めいた笑みで彼をからかう先輩ではなかった。
トールの記憶にある、銀鈴のように笑い、高価な酒を気前よく贈ってくれた親しみやすい少女でもなかった。
今の彼女は、自らの領地を巡回し、資産の異常を検分しに来た、商業の女王だった。
アーガスは呆然とした。手にしていた鑿が落ちそうになる。
彼はリナが誰かを派遣してくる可能性なら考えていた。発注側の責任追及、損害賠償、契約解除。そんな見苦しい場面も、頭の中で何度も想定していた。
だが、彼女自身が来るとは思わなかった。しかも、こんなにも早く。
まるで、ずっとここを見ていたかのように。
それも、非難でも切り捨てでもなく、圧倒的な秩序でこの混乱へ介入するために。
アーガスの中で、限界まで張り詰めていた何かが、わずかに緩んだ。
つい先日、自分は彼女の機嫌を損ねたばかりだ。それでも彼女は、この最悪の瞬間に、迷わず彼の側へ立った。
気づかれないほど小さな温もりが、胸の奥に差し込んだ。
「父さん、母さん……こちらの人は実は」
「昔話は不要よ」
清冽な声が、氷の刃のようにアーガスの言葉を断ち切った。
リナは彼を見もしない。ただ白い手袋の指で、自分の胸に輝く馬車輪の紋章を軽く叩いた。
「私はヴァンデル商会の特派執行官よ」
その声は大きくなかった。だが、工房全体を押さえつけるだけの重みがあった。
「アーガス・アイアンソーン首席顧問。ここで重大な事故が発生したという報告を受けました。商会の投資安全を確保するため、私がこの場のリスク管理を引き継ぎます」
彼女はようやくアーガスへ向き直った。その眼差しには一片の温度もない。
「現状の説明を要求するわ。今すぐに」
工房内の空気が凍りついた。
アーガスは口を開きかけ、飲み込んだ。
リナ。
その名を呼ぶ場面ではない。彼は彼女の目から、はっきりと読み取った。
今は事実だけを話しなさい。感情を挟まず、問題を解決しなさい。
「分かりました」
アーガスは深く息を吸った。技術者としての冷静さが、急速に戻ってくる。
「三十分ください。資料は揃っています。整理するだけです」
「許可するわ」
リナは短く答えると、すぐに背後の人員へ指示を飛ばした。
「第一班、在庫棚卸しを引き継ぎなさい。原木を全面検査し、損害範囲を特定。第二班、半製品の構造確認。ウォーレン、外周を封鎖して。始めなさい」
「はい、お嬢様!」
整った返答が、工房の梁に溜まった埃を震わせた。




