↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

177/213

第四話-【第一幕:理性の止血】

第四話:女王の駕臨

 早朝の光が高い通風窓から差し込み、舞い上がる塵を白く照らしていた。だが、その光でさえ、アイアンソーン工房に沈んだ重苦しい空気を払うことはできなかった。


 そこに泣き声はなかった。落胆の溜め息もない。ただ、重い原木を引きずる音と、木炭のペンが羊皮紙の上を擦る乾いた音だけが続いていた。


「第三列、第十五本。廃棄」


「第四列、第二本。保留」


 倉庫の奥で、アーガス・アイアンソーンは巨大な原木の山の前にしゃがみ込んでいた。手には鋭い鑿と、紫色に乾いたリトマス草の束がある。


 彼の動作は疲労を含みながらも正確だった。樹皮を削り、木質部を露出させ、水を含ませ、リトマス草を押し当てる。色の変化を確認し、その木材の運命を決める。


 同じ作業を、一本の原木に対して上から下まで少なくとも十回。疑わしければ、さらに削る。削るたびに、使えるはずだった材料が少しずつ傷ついていく。


「くそっ……また赤い」


 アーガスは変色した草の葉を見て、低く悪態をついた。


「また一本?」


 アイリーンが車椅子を滑らせて近づいてきた。膝の上には分厚い在庫台帳が置かれている。目元にはまだ昨夜の疲れが残っていたが、その眼差しはすでに管理者のものへ戻っていた。


 彼女は木炭のペンで帳簿に強く一本の線を引いた。


「これで今日の十二本目よ。アーガス、このやり方じゃ間に合わない。この速度で数百本の原木を全部調べていたら、注文の納期なんてとっくに過ぎてしまうわ」


「分かっています」


 アーガスは立ち上がり、額の汗と煤を拭った。その目にあるのは迷いではない。解くべき問題を前にしながら、手元にある道具があまりにも足りないことへの焦燥だった。


 昨夜の検証によって、この秋収月ロットの鉄木が強酸性の毒素に汚染されている可能性は高くなった。ならば今の最優先は、健全な木材と汚染された木材を切り分け、残された注文を守ることだった。


 だが、問題は検査手段にあった。


 毒素は木材の内部に浸透している。外見だけでは分からない。リトマス草による検査は確実ではあるが、木を削る必要がある。非効率で、しかも検査そのものが材料を傷つける。


「非破壊で、大量に、素早く選別できる方法が必要だ……」


 アーガスは独り言のように呟いた。頭の中にはいくつもの検査技術が浮かぶ。光で透かす。音で探る。魔力の反応を見る。だが鉄木は硬く、密度が高く、魔力の通りも悪い。どれも、今すぐ使える手段にはならなかった。


 彼は工房の別の隅へ目を向けた。


 ブレイクとトールが、黙々と原木を運んでいた。アーガスが廃棄と判定した重い木を、二人が力を合わせて廃棄場所へ移している。


 ブレイクの背中は、いつもより少し丸く見えた。それでも彼は手を止めない。化学反応など分からなくても、一つだけは分かっていたからだ。


 壊れた木は売らない。


 それが、アイアンソーン家に残された最後の防衛線だった。


「冒険者ギルドへの書類はできているの?」


 アイリーンの声が、アーガスの思考を引き戻した。


「ここにあります」


 アーガスは腰のポーチから巻かれた羊皮紙を取り出し、姉へ渡した。


「昨晩、徹夜で書いた特定魔物討伐の依頼書です」


 アイリーンは羊皮紙を広げ、内容に素早く目を走らせた。


 そこに感情的な訴えはなかった。怒りに任せた討伐の檄文でもない。並んでいたのは、冷たい特徴、範囲、危険度、そして推奨装備だった。


 目標特徴。大型節足動物由来と思われる消化毒。苦杏仁に似た匂い。


 活動区域。鉄峰山脈第百三伐採場周辺、半径五キロメートル。


 危険度。高。複合毒性と大型獣に匹敵する物理的破壊力を有する可能性あり。


 推奨装備。解毒剤、大型捕獲網、重型の罠、または強力な拘束具。


「本当に……そんなものだと確信しているの?」


 アイリーンは最後の推測欄を見て、声をわずかに震わせた。


「キメラ……?」


「人工的に縫合された怪物以外に、蜘蛛に近い毒腺と、熊に近い爪痕を同時に説明できるものが思いつきません」


 アーガスの眼差しは冷たかった。


「これは病気ではありません、アイリーン姉さん。誰かが、あの『もの』を鉄木林に置いたんです」


 アイリーンの指が、羊皮紙の端を強く握った。


「懸賞金なら、まだ何とか工面できるわ。発生源を取り除けるなら、このお金は払う価値がある。すぐに見習いを街のギルドへ向かわせる」


「待ってください」


 アーガスが突然、手を上げた。


 彼の耳が動いた。続いて、地面がかすかに震える。


 工房の日常にはない音が近づいていた。田舎の荷馬車が出す鈍い轆轆音ではない。もっと整った、もっと重い、金属的な律動だ。


 かちゃり、かちゃり、かちゃり。


 精鉄で縁取られた車輪が砕石の道を噛み、複数の馬が同じ歩幅で地面を踏む音だった。


「誰か来ました」


 アーガスは扉の方へ顔を向けた。


「しかも……普通の客じゃありません」


 ブレイクとトールも作業を止め、驚きと警戒が入り混じった顔で入口を見た。


 この時間に、一体誰が。


 返品に来た客か。借金取りか。それとも、あの税務官か。


 次の瞬間、答えは現れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。