第三・五話-【第一幕:静寂なる戦情室】
【第三・五話:千里を駆ける女王、傲慢なる令嬢の口にできない過保護】
パラディアの深夜。街の喧騒は分厚いベルベットのカーテンに遮られ、ただ魔導灯台が規則正しく放つ微光だけが、時折、壁に掛けられた星象図の上へ流れるような影を落としていた。
ヴァンデル商会総本部の最上階。ここは、商会の貿易の流れを掌握する心臓部だった。だが今、その部屋は息が詰まるほど静まり返っている。
空気中に香の匂いはなかった。あるのは古い羊皮紙の乾いた匂いと、机の隅に置かれた、すっかり冷めきったジャスミン茶のかすかな苦味だけだ。
リナ・ヴァンデルは、学生会の権威を象徴する深藍色の制服を着ていなかった。今の彼女は、深紫色のシルクのナイトガウンを羽織っている。金色の長い髪は秘銀の簪で無造作にまとめられ、数筋の髪が白く透き通る首筋に垂れていた。
彼女は裸足のまま、柔らかなナーガ織りの厚い絨毯の上に立っていた。向き合っているのは、壁一面を覆う巨大な交易路図だ。そこには、各都市を結ぶ商路が、細かな注記とともにびっしりと書き込まれている。
その手の中では、恒久の温かな光を放つガラス球が弄ばれていた。それはアーガスが彼女に「贈った」最初の試作品であり、永遠に消えないかもしれない魔法の電球だった。
「コン、コン、コン」
扉の外から、極めて軽いノックの音が三度響いた。間隔は正確で、力加減は抑えられている。
「入れ」
リナの声は気だるげだった。だがそこには、有無を言わせぬ冷たさがあった。
執事のウォーレンが、影に溶け込む幽霊のように音もなく部屋へ滑り込んできた。彼の手には銀の盆があり、その上には、鮮紅の封蝋で封じられた一通の緊急書簡が置かれている。
「お嬢様。北の境界宿場から飛ばされた渡鴉が、たった今、過労で息絶えました」
ウォーレンの低い声が、静かな部屋に落ちた。
「これは、その鴉が命を削って運び届けた最後の報せでございます」
リナは振り返らなかった。指先で電球の滑らかな表面を撫で、その一定した微かな温もりを確かめている。
「読みなさい」
「はい。アイアンソーン工房の製品に関する緊急報告です」
ウォーレンは手紙を開封し、素早く内容へ目を走らせた。その眉が、誰にも気づかれないほどわずかにひそめられる。
「状況は……悪化しております。過去三日間、交易路の各所で新たに二件の苦情が入りました。いずれも車椅子の支持構造の断裂によるもので、使用者が軽傷を負っております。以前の報告と合わせますと、総数はすでに五件に達しました」
リナの指が止まった。
部屋の空気が、一瞬で凍りついたようだった。
「五件……」
彼女は低い声で繰り返した。その語気には、危険なほどの平静さが漂っている。
「三日前、まだ数件の散発的な報告しかなかった時、私はクリシにその報告書を彼へ渡させたわ。何の要求も、期限も添えずにね」
リナは手の中の電球を見つめた。まるでこの光を通して、遥か彼方にいるあの少年を見透かそうとしているかのようだった。
「あの時は、ただの職人の偶発的な失敗か、輸送中の事故だと思っていたの。だから私は、それを小さな抜き打ち試験として扱った」
彼女の口元に、かすかな冷笑が浮かぶ。
「あの首席顧問さんが小さな問題に直面した時、見て見ぬふりをするのか。それとも、自分から責任を背負うのかを見たかったから」
彼女は振り返った。口元の弧が、一気に冷たくなる。
「けれど今、数字は五になった。これはもう偶発的な事故ではない。連続した災難よ」
青い瞳が、薄闇の中で鋭く光る。
「つまり、彼の設計に致命的な欠陥があるか、あるいは私の見る目が間違っていたか。そのどちらかだということになる」
リナは軽く笑った。その笑いには温度がなく、ある種の荒唐無稽さに対する嘲りだけがあった。
「ウォーレン。あの頭の固いハーフドワーフの首席が、設計図に何と書いていたか覚えている?」
「はい、お嬢様」
ウォーレンは静かに答える。
「アーガス若旦那の設計図では、大きな支柱だけでなく、小さな鋲一本に至るまで、力のかかり方が細かく計算されておりました」
「つまり」
リナの声が、さらに冷えた。
「城門にぶつけても壊れないと豪語していた車椅子が、今は平らな地面で勝手に折れている。しかも立て続けに」
彼女の青い瞳は、捕食者のように細くなった。
「これは、私の知性に対する侮辱よ。そして、私の人を見る目に対する侮辱でもあるわ」
彼女は手の中の魔法電球を軽く空中へ放り投げ、すぐに受け止めた。すぐには結論を下さず、視線をウォーレンへ向ける。
沈黙が三秒だけ、部屋に落ちた。
その三秒の間に、リナの頭脳は冷たく動いていた。設計の欠陥。工芸のミス。輸送中の損耗。いくつもの可能性が浮かび、即座に削ぎ落とされていく。
最後に残ったのは、混乱した情報の背後に隠された一つの変数だった。
だが、彼女には確認が必要だった。
「ウォーレン」
リナの眼差しが凛と引き締まる。
「関連するすべての貨物伝票を探しなさい。この五件の苦情について、私は出荷日と生産ロットを見たいわ」
「はい」
ウォーレンはすぐに書類棚へ向かい、分厚い帳簿を開いた。熟練した指が、びっしり並んだ数字の列を滑っていく。
部屋には、紙をめくる乾いた音と、リナが机を軽く叩く音だけが残った。
しばらくして、ウォーレンの指が止まった。
「見つかりました、お嬢様」
その声には、わずかな驚きが混じっていた。
「この五件の注文は、発送先の都市も、顧客層もまったく異なります。しかし出荷日は、すべて先月の中旬に集中しております。秋収月の第二週から第三週の間です」
「秋収月の中旬……」
リナはその時期を噛みしめるように繰り返した。
「それ以前の注文は?」
「それ以前の半年間で、アイアンソーン工房が出荷した車椅子は五百台を超えております」
ウォーレンは帳簿を見たまま、低く告げた。
「苦情は、ゼロです」
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物語の続きを待つあいだ、よかったら作者のXにも遊びに来てください。
案内役のOC「考古エルフ」は、実はアーガスたちと同じ世界の住人です。
本編を読んだ方なら、思わぬ繋がりや小さな仕掛けに気づくかもしれません。
▼考古エルフの記録
https://x.com/LowAngleMuse/status/2075863155583185199?s=20
作者X:
Isekai Tour 異世界の旅
@LowAngleMuse
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