第三話:【第六幕:証拠の鎖と届かない証明】(挿絵あり)
帳簿を追っていたアーガスの指が止まった。
「姉さん。このロットは車椅子だけに使いましたか」
アイリーンの目が開く。
「いいえ。旅行鞄の注文分にも使ったわ」
トールが勢いよく振り返った。
「もう納品したぞ。ヴァンデル商会の商隊が持っていった」
工房から音が消えた。
アーガスは帳簿の出荷欄を追う。数量、納期、送り先。記録の横には、アイリーンの整った字で検品済みと記されていた。
その時点では、外から見える傷などなかった。
「車椅子と同じ材料なら、旅行鞄の骨組みも内側から弱っています」
ブレイクの拳が作業台へ落ちた。
「荒野の途中で壊れたら、積み荷を失うぞ」
「積み荷だけで済むとは限りません」
アーガスは帳簿を閉じた。
「積み降ろしの最中に支えが折れれば、人を巻き込む。危険な魔導具や薬品を運んでいれば、二次被害も出ます」
アイリーンの顔から血の気が引いた。
「商会へ知らせないと」
「今すぐです。同じロットの製品を止める。倉庫に残る材料も、一本ずつ内部まで検査します」
アーガスは作業台へ戻り、記録を並べた。
ゲイルの証言。
呪いの測定結果。
赤く染まったリトマス草。
内部から粉へ崩れた鉄木。
老サムの伐採記録と、工房の出荷帳簿。
「ようやく源へ辿り着いた」
彼は羊皮紙を一枚引き寄せ、四本の線を引いた。
「第一。ゲイルが鉄木林で遭遇した怪物は、熊の身体に八本の蜘蛛脚を持ち、苦杏仁の匂いがする腐食性の分泌液を残した」
一本目の線に、熊と蜘蛛脚の図を置く。
「第二。その液体は熊の縄張り標識と同じ間隔で残され、近くに生えた鉄木の根から吸い上げられた。外皮を残したまま内部の繊維を分解した」
二本目へ、獣道と赤く染まったリトマス草を置く。
「第三。老サムの伐採場は、怪物が出た鉄木林北部にある。工房が三ヶ月前に仕入れたロットは、その場所から運ばれた」
三本目へ、仕入れ帳簿を重ねる。
「第四。その材料で作った車椅子は、内部から強度を失って断裂した。同じロットは旅行鞄にも使われ、すでに商会へ納品されている」
最後の線に、出荷記録を置く。
四本の線が、羊皮紙の中央で一つに集まった。
「木材の選別、トール兄さんの加工、父さんの組み上げ。その記録には、破損へ直結する欠陥がありません」
アーガスの声は、一句ごとに硬くなった。
「森にいる合成獣が、熊の本能で縄張りを示し、蜘蛛に似た分泌液で鉄木を内側から壊した。その木が工房へ入り、製品になった」
指が、中央の怪物の輪郭を押さえた。
「奴は姉さんを傷つけた。ゲイルの腕を奪った。工房の信用を壊し、客まで危険に晒している」
拳が作業台へ落ちた。杯の水面が揺れ、赤く染まった葉が縁へぶつかる。
「ようやく、お前へ辿り着いた」
声は低かった。
怒鳴り声よりも、その静けさの方がブレイクたちの背を冷やした。
短い沈黙の後、アイリーンが口を開く。
「でも、これで竜税官を納得させられるかしら」
アーガスが姉を見る。
「リトマス草の結果も、木材の酸性残留も、ゲイルの証言もある。私たちには一本の筋として見えているわ」
アイリーンは唇を噛んだ。
「バロックにとっては、工房が責任を逃れるために作った話よ」
ブレイクも重く頷く。
「奴が見るのは、売った車椅子が壊れた事実だけだ。森の怪物など、聞く前から言い訳と決めつける」
「熊に蜘蛛の脚が生え、その分泌液が木を腐らせた」
トールは乾いた笑いを漏らした。
「俺たちだって、ゲイルの腕とこの木を見なければ信じなかった」
アーガスは羊皮紙を握り締めた。
真相へ届いた。
だが、公の場へ持ち出せる証明には、まだ足りない。
森にいる怪物そのもの。分泌液が鉄木を侵す現場。誰の目にも否定できない形で持ち帰れるもの。
「だからといって、何もせずに待つことはできない」
アーガスは窓の外を見た。
月光の下で、鉄木林の枝が揺れている。硬い葉が擦れ合い、乾いた音を立てた。
「姉さんの傷も、ゲイルの腕も、壊れた製品も、全部あの森から来た。次に壊れるのが旅行鞄だけとは限らない。次に傷つくのが、腕だけとも限らない」
「森へ入るつもりか」
ブレイクの声が険しくなる。
「まだ方法は決めていません」
アーガスは父を見た。
「俺は猟師でも戦士でもない。正面から挑めば死にます。だから、今すぐ飛び込むつもりもありません」
拳を開き、もう一度握る。
「それでも、源を確かめなければ、次の被害は止められない」
アイリーンが弟の横顔を見つめる。
怒りの奥で、計算が始まっていた。森へ入る人数。毒と呪いへの対策。近づかずに痕跡を採る手段。撤退できる距離。
アーガスは答えを口にしなかった。
まだ、形になっていない。
「先に商会へ警告を出す」
彼は帳簿を閉じた。
「残った材料を封じ、同じロットの製品を止める。その上で、森へ入らずに済む方法から考えます」
ブレイクは息を吐いた。
「今夜はそこまでだ。怒りだけで動くな」
「分かっています」
返事は短かった。
アーガスは再び窓の外へ目を向ける。
真相は見えた。
証明する手段は、まだ見えない。
月下の鉄木林は、何も答えず黒く沈んでいた。
どう破る。
その問いだけが、炉の消えかけた火よりも熱く、彼の頭に残り続けた。




