第三話:【第五幕:鉄木を蝕むもの】
夜になると、工房の中央は即席の検査場へ変わった。
床には三つの木桶が並び、横には壊れた車椅子から外した鉄木の部材が積まれている。作業台には小刀、柄杓、透明な杯、淡青色のリトマス草が用意された。
「父さん、トール兄さん。断裂した部材を全部ここへ。木材を浸していた水も持ってきてください」
アーガスの指示に、二人はすぐ動いた。
アイリーンは車椅子で作業台の近くへ寄り、ゲイルも治った右腕を庇いながら、その後ろに立った。
トールが小瓶を差し出す。
「リトマス草だ。父さんから、防腐液の調合を見る時に使えと教わった」
アーガスは木材処理に使った水を杯へ汲み、淡青色の葉を一枚浸した。
葉の縁から紫が広がり、やがて薄い桃色へ変わる。
「弱い酸性を示しています」
「待て」
トールが桶を見た。
「この水は井戸水だ。薬剤を混ぜる前なら、色は変わらないはずだぞ」
「木材から何かが溶け出しています」
アーガスは断裂した鉄木を取り、表面を薄く削った。
外側は硬い。
刃を深く入れると、手応えが急に消えた。
内部から、灰色の木粉がこぼれる。繊維は長く裂けず、指でつまむだけで細かな粒へ崩れた。
ブレイクが部材を取り上げ、断面へ爪を立てる。表皮に近い部分は爪を弾いたが、中心部は乾いた土のようにへこんだ。
「こんな腐り方は見たことがない」
アーガスは内部の木粉を清水へ入れ、よくかき混ぜた。二枚目のリトマス草を浸す。
葉はすぐに濃い桃色へ変わり、中心部まで赤く染まった。
「内部には、かなり強い酸性物質が残っています」
ブレイクが低く唸る。
「鉄木は腐食に強い。普通の酸なら、ここまで繊維を崩せん」
「酸だけの働きでは説明が足りません」
アーガスは灰色の木粉を指先で広げた。
「外皮を大きく傷つけず、内部の繊維へ染み込み、植物組織を選んで分解している。胃液に含まれる消化酵素に近い働きです」
ゲイルの表情が固くなる。
「森で見た根と同じだ。表面は残って、中だけが泥になっていた」
「この木材も、伐採される前から侵されていました」
アーガスは木目に沿って走る灰色の筋を示した。
「液体は根から吸い上げられ、幹の内部へ少しずつ広がった。乾燥と加工を経ても成分が残り、繊維を崩し続けた」
トールは壊れた部材を見つめた。
「俺たちが削った時には、もう傷んでいたのか」
「外側の硬さは残っていました。通常の検査では見抜きにくい。荷重を繰り返し受けたことで、弱った内部から割れました」
トールの肩が一度、大きく上下した。
「俺の組み方が原因じゃなかった……」
「組み方には問題ありません」
アーガスは断言した。
「原料の内部が、森に立っていた時から壊されていました」
「しかし、全部の鉄木が傷んだわけじゃない」
ブレイクが言った。
「同じ森から伐ったなら、無事な木が混じる理由は何だ」
「怪物が森全体へ液体を撒いたわけではありません」
アーガスは昼間に描いた獣道の図を広げた。
「縄張りを示す場所だけに残した。活動経路、休む場所、餌を隠した場所。その近くに生えていた鉄木だけが、根から液体を吸い上げたんです」
「熊の習性で印を残し、蜘蛛の消化液で木を溶かした……」
ゲイルが呟く。
「その鉄木が老サムの伐採場で切られ、工房へ運ばれた。そして車椅子になった」
アイリーンは赤く染まったリトマス草から目を離せなかった。
身体の内側を何かが這い、少しずつ肉を奪っていった夜が蘇る。胃が縮み、唇から短い息が漏れた。
ブレイクが低く言う。
「輪椅子が壊れた原因は、森にいる合成獣の分泌物だ。一部の鉄木が根から侵され、見えないところで腐っていた」
「ええ」
アーガスは壊れた部材を握った。
「ゲイルを傷つけた個体が、工房の材料まで壊したんです」
トールが立ち上がる。
「それなら、今すぐ何をすればいい」
アーガスは答える前に、アイリーンを見た。
「事故を起こした車椅子は、同じロットの材料で作られていますか」
アイリーンは目を閉じ、帳簿の並びを思い返した。
「納品日は同じ月に集中しているわ。あの時期は注文が重なって、仕入れた鉄木をまとめて加工した……同じロットよ」
ブレイクが本棚から厚い帳簿を取り出した。
「三ヶ月前、鉄木商会から一ヶ月分を仕入れている。供給元は老サム。伐採場は鉄木林の北部だ」
「俺が襲われた場所に近い」
ゲイルの声が沈んだ。
アーガスは帳簿へ手を置いた。
「場所も時期も一致します」




