第三話:【第三幕:曙光代行】(挿絵あり)
アーガスは両手に曙光を装着し、完成した三枚の治療札を、左手甲の側面スロットへ順番に差し込んだ。
一枚目で青。
二枚目で銀白。
三枚目で金。
三色の光が細い回路を走り、手首を越えて両手の指先へ分配される。
かつて試作魔導盤V2・5・1が担っていた多重制御を、今は曙光が代行する。治療札に封じた術式を読み取り、条件ごとに選び、必要な順番で実行するための手だった。
「横になったまま、動かないでください」
ゲイルは喉を鳴らし、硬い表情で頷いた。
アーガスは左手を肩の傷跡へ、右手を肘の内側へ置く。瞼を閉じ、呼吸を一度だけ整えた。
次に発せられた声は、心停止を疑うほど平坦だった。
祈りの響きも、詩の抑揚もない。
処理順、条件、対象、出力。
地球の技術体系と、この世界の魔法を接続するためだけに組み上げられた、魔導工学詠唱。
「――『曙光代行』、統合治癒式、起動」
曙光が低く唸った。
「スレッド1:『神恩駆散』モジュール、常時実行。ターゲット:活性呪詛および毒素結晶」
青い光が肩の傷へ沈み込む。
皮膚の下に黒紫の筋が浮かび、逃げ道を探す虫のように蠢いた。
「条件分岐(IF):ターゲットが毒素結晶の場合、『岩石破砕』モジュール起動。出力係数0.003。実行時間0.1秒」
青光が一点へ収束する。
パキッ、と小さな音が鳴った。
神経に食い込んでいた黒紫の結晶が、砂より細かな粒へ砕け散る。散った欠片が再び集まろうとした瞬間、駆散の光がその結びつきを一つずつ切断した。
ゲイルの歯が鳴る。
「熱い……だが、痛い。痛みが分かる。三ヶ月ぶりだ」
「その反応を維持。スレッド1、継続」
アーガスの声に感情はなかった。
額から落ちた汗だけが、その言葉とは反対に、処理の重さを示していた。
「スレッド2:『神経網再構成』モジュール、ロード。断裂節点、十七。両端座標を固定。『橋接』プロトコル、実行」
銀白の光が、肩から肘へ細い線を伸ばした。
途切れた神経の両端を探り当て、一本ずつ位置を合わせる。触れれば崩れそうな細い束を、銀色の糸が何重にも包み、離れていた端同士を引き寄せた。
ゲイルの肘が跳ねた。
手首が震える。
動かなかった小指が、ほんのわずかに曲がった。
アイリーンは車椅子の肘掛けを握り締めた。爪が木へ食い込み、指の関節が白くなる。
「接続率30%」
銀白の線が増える。
「60%」
ゲイルの腕に細かな痙攣が走った。
「90%。末梢反応を確認。スレッド2、完了待機」
部屋にいた誰も息を吐かなかった。
杖は振るわれず、古語の韻律も流れない。アーガスの口から落ちる無機質な指示に従い、青、銀白、金の光だけが、精密な計器の表示灯のように規則正しく切り替わっていく。
「スレッド3:『聖癒新生』モジュール、スレッド2完了後、三秒の遅延を持って起動。対象:神経束、筋組織、末梢血流。再構築および復旧を順次実行」
三。
二。
一。
金色の光が肩から指先へ降りた。
青白かった皮膚に、ゆっくり血色が戻っていく。三ヶ月動かなかった筋肉が波打ち、眠っていた血管へ温かな流れが押し込まれた。
ゲイルが低く呻く。
アーガスは右手で脈を測りながら、左手から流す力を細かく絞った。
急激な再生は、弱った組織そのものを裂く。修復できるからといって、限界まで流せばよいわけではない。
「血流回復30%……60%……90%。異常膨張なし。末梢温度、上昇。全スレッド、曙光制御下で並列実行。異常値検出時、自動停止。手動停止まで継続」
曙光の唸りが一段低くなった。
青光が呪いの再結合を押さえ、銀白の糸が神経の接続を固定し、金色の流れが筋肉と血管へ命を戻していく。
その光を、アイリーンは瞬きもせず見つめていた。
青。
銀白。
金。
意識の底に沈んでいた色が、一つずつ戻ってくる。
血の匂い。遠くで重なる家族の声。砕けた身体の内側を走り、散らばった何かを拾い集めていく温かな力。
あの夜、自分を死の側から引き戻した光だった。
目覚めた後、家族は詳しいことを話さなかった。アーガスも、失敗と代償ばかりを口にしていた。
今、弟の額には汗が流れ、両手は小さく震えている。
この手が、自分の命をつなぎ止めた。
「アーガス……」
名を呼ぶ声は、息に近かった。
守るべき小さな弟だと思っていた。
その弟は、自分の知らない場所で、自分よりもずっと重いものを両手に抱えていた。
誇らしさが胸を満たすほど、喉の奥が痛んだ。涙が頬を伝っても、拭うことができない。
アーガスは姉の涙に気づかなかった。
彼の視線は、ゲイルの指先と脈だけを追っていた。
「全処理、完了。曙光代行、手動停止」
三色の光が同時に消えた。
アーガスは目を開き、長く息を吐く。
「指を動かしてください。一本ずつ、ゆっくり」
ゲイルは自分の右手を見た。
親指が曲がる。
次に人差し指。
中指、薬指、小指。
五本すべてが、震えながら掌へ折り畳まれた。
右手が、三ヶ月ぶりに拳を作った。
「動く……」
ゲイルは右手を胸元まで持ち上げ、左手で包み込んだ。
「温かい。触れているのが分かる……俺の腕だ」
声が崩れ、涙が落ちた。
「ブレイク大師……感じる。俺は、ちゃんと感じている!」
ブレイクは壁から背を離し、トールは口を半ば開いたまま弟を見ていた。
アイリーンの胸には、感謝も驚きも、遅れて知った痛みも押し寄せていた。言葉にすればどれか一つだけになってしまう気がして、何も言えなかった。
アーガスはゲイルの指先を一本ずつ確かめる。
「感覚は戻っています。ただし、筋力は大きく落ちています。しばらく重い物を持たず、毎日少しずつ動かしてください。痛みや痺れが戻ったら、すぐに来てください」
ゲイルは涙を拭うことも忘れ、何度も頷いた。
安堵が部屋へ広がりかけた時、アーガスは曙光を外し、三枚の治療札を布へ包んだ。
「ゲイル」
その一声で、全員の視線が戻る。
「治療は終わりました。次は、あなたを傷つけたものについて聞かせてください」
喜びの余韻を残したまま、ゲイルの顔から笑みが消えた。
「姿、動き、攻撃を受けるまでの経緯。覚えていることを順番に。一つも省かないでください」




