第一話-【第六幕:冷たい報告書と、凍りつく食卓】(挿絵あり)
ブレイクはアーガスを見た。その目には、涙と誇りがあった。
「こいつのおかげで、俺たちはもう一度、胸を張って鉄を打つことを思い出した」
「こいつのおかげで、竜の税に怯えずに済むようになった」
「こいつのおかげで、アイアンソーンの名が、もう一度輝き始めたんだ」
「アーガスに乾杯!」
トールも立ち上がり、杯を掲げた。
「俺の最高の弟で、最高の相棒に乾杯!」
家族全員が杯を掲げ、食堂に歓声が満ちる。
その中で、アーガスだけが黙って座っていた。
彼は杯を持ち上げ、苦い麦酒を一息に飲み干した。
酒は喉を滑り落ちたが、温もりは残らなかった。
彼は家族の笑顔と、希望に満ちた瞳と、温かな食卓を記憶に刻み込む。
これが、この美しい夢が保たれている最後の時間なのだと、彼には分かっていた。
やがて食卓は、いつもの賑やかさを取り戻した。
トールはアイリーンと来月の生産計画について話し合っている。
「姉さん、見ててくれよ。俺が今作っている車椅子は、城門にぶつけても壊れないくらい頑丈なんだぜ」
その冗談は、アーガスの胸に焼けた鉄のように突き刺さった。
彼は無意識に、懐の報告書を握りしめる。
そこには、断裂事故という文字がある。
すべてが、温かかった。
温かすぎた。
だからこそ、脆かった。
アーガスは目を閉じた。
深く息を吸う。
ごめんなさい。
彼はゆっくりとナイフとフォークを置き、立ち上がった。
食卓の音が、少しずつ止まっていく。
全員が彼を見た。
アーガスは懐から報告書を取り出し、食卓の上へ広げた。
「ヴァンデル商会から提出された、製品に関する重大な事故報告です」
全員の視線が、報告書へ集まった。
「主力製品であるアイアンソーン製の車椅子において、過去二ヶ月の間に、構造部の無警告な断裂事故が三件発生しています。使用者はいずれも負傷。現在、ヴァンデル商会は信用維持のため、賠償と補償を単独で負担しています」
アーガスは一度言葉を切った。
「リナ先輩は、こちらに連帯賠償を求めてはいません。ですが、我々は主体的に事故原因を分析し、正式な改良案を提出するべきだと考えます」
時間が、凍りついた。
サラの手が、空中で止まっていた。
見習いたちは声を出せない。
トールの杯は、口元で止まっていた。
アイリーンの手から、羽根ペンが落ちた。
ブレイクの大きな手も、ゆっくりと下がっていく。
暖炉の薪が、ぱん、と小さく爆ぜた。
トールが勢いよく立ち上がった。
「あり得ない!」
彼は吠えるように言った。
「どの木材も、どの車軸も、俺が自分の手で見た! どの噛み合わせも、どの接合も、お前の設計通りに仕上げた! どうして折れるんだ!」
顔が赤くなり、次の瞬間には青ざめる。
それは、自分の手技を守ろうとする抵抗だった。
アイリーンの笑みは消えていた。
彼女は叫ばなかった。責めもしなかった。ただ、すぐに工房の管理者として考え始めた。
「負傷した顧客への対応は、商会がどうしているの? 在庫の材料は、すぐに封鎖して確認する必要があるわね。すでに販売した分は? 回収が必要になるかもしれない」
けれど、誰も答えなかった。
全員の視線が、ブレイクへ向かっていたからだ。
ブレイクは報告書を見ていなかった。
ただ、アーガスを見ていた。
その目は、怒りよりも重かった。
「……アーガス」
問い詰める声ではなかった。怒鳴る声でもなかった。
ただ、深く疲れた声だった。
「今日は……家族の祝宴なんだぞ」
その短い一言は、どんな叱責よりも重かった。
アーガスは立ったまま、家族の反応に囲まれていた。
父の失望。兄の崩れかけた自信。姉の険しい沈黙。母の震える手。
彼は、首席顧問として必要なことをしただけだった。
事実を告げただけだった。
だが今この瞬間、その正しさは、あまりにも残酷だった。
彼は冷たい理性で、家族の最も温かい時間を刺し貫いてしまったのだ。
それでも、彼には別の選択肢はなかった。
彼はアーガス・アイアンソーンだ。
この家の首席工匠であり、この家を動かした歯車であり、そして過ちの可能性を背負わなければならない者でもある。
たとえ、それが自分自身であっても。
このすべてを、再び絶望の灰の中へ押し戻すことだけは、許してはならなかった。
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物語の続きを待つあいだ、よかったら作者のXにも遊びに来てください。
案内役のOC「考古エルフ」は、実はアーガスたちと同じ世界の住人です。
本編を読んだ方なら、思わぬ繋がりや小さな仕掛けに気づくかもしれません。
▼考古エルフの記録
https://x.com/LowAngleMuse/status/2075863155583185199?s=20
作者X:
Isekai Tour 異世界の旅
@LowAngleMuse
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