第一話-【第三幕:兄の自信と、姉の帰還】
「アーガス!」
工房の奥から、太い声が響いた。
トールだった。
油に汚れた革のエプロンを着た兄が、熱気の向こうから大股で歩いてくる。
濃い髭には汗が光り、炉の火を受けて赤く輝いていた。
「お前、そんなところで何をぼんやり突っ立ってるんだ!」
トールの太い手が、アーガスの肩を勢いよく叩いた。
それから、まだ呆然としている弟を、半ば引きずるように工房の中へ連れ込む。
兄の顔には、まぶしいほどの笑みがあった。
昔、彼の目にあった陰りや迷いは、もう見えない。
代わりにあったのは、自信だった。
地に足の着いた、熱い自信。
「どうだ、アーガス。すごいだろ」
トールは得意げに胸を張った。
「新しい炉のおかげで作業はかなり速くなった。見習いたちも、俺が直接選んだ見込みのある奴らばかりだ」
彼はアーガスを作業台の前へ連れていき、製作途中の車椅子の骨組みを指差した。
「見ろよ、この噛み合わせ。お前の元の設計を少し調整して、さらにきつく仕上げた。公差もかなり詰めてある。今の俺なら、髪の毛半分ほどの狂いでも見逃さない」
トールの目は輝いていた。
彼はただ弟の設計をなぞっているのではない。
自分で考え、自分の手で確かめ、自分の感覚で仕上げている。
作業台に並べられた部品には、その跡があった。角の処理、手すりの丸み、車軸の滑らかさ。どれも、以前のトールなら見過ごしていたかもしれない細部だった。
それは、自分の成果を誇る職人の目だった。
もはや彼は、弟の影に怯える兄ではない。
自分の腕で立つ、一人の工匠だった。
そのことが、アーガスには嬉しかった。
同時に、怖かった。
トールの自信は本物だ。彼は努力し、学び、自分の技を磨いた。その積み重ねが、この笑顔を作っている。
だからこそ、これから告げる報告は、その笑顔を正面から打ち砕くかもしれなかった。
アーガスは兄を見つめた。
胸の奥で、複雑なものが重なっていく。
誇らしい。嬉しい。けれど、苦しい。
彼は口を開きかけた。
だが、言葉は喉の奥で詰まった。
褒めるべきだった。
兄の努力を認めるべきだった。
けれど、懐の報告書がそれを許さない。そこに書かれた断裂の二文字が、目の前の骨組みと重なり、胸の内側を冷たく撫でていく。
今この場で笑えば、嘘になる。
だが、今この場で告げれば、兄の笑顔を壊す。
アーガスは、どちらも選べないまま立ち尽くした。
トールはそんな弟の沈黙を、照れ隠しか、長旅の疲れだと思ったのだろう。
彼は気にした様子もなく笑い、次の部品を手に取って説明を続けようとした。
その無防備な明るさが、アーガスには余計につらかった。
兄は何も知らない。
この工房に降りかかろうとしている影の形を、まだ何一つ知らない。
アーガスは、作業台の上の車椅子から目をそらした。
完成すれば、誰かを前へ進ませるはずの道具。
そのはずなのに、今の彼には、そこに小さな亀裂が走っているように見えた。
もちろん、実際には何も壊れていない。
ただ、彼の中にある報告書だけが、その完成前の骨組みに不吉な影を重ねていた。
「アーガス! 帰ってきたのね!」
奥の部屋から、澄んだ声がした。
アイリーンだった。
彼女は車椅子を器用に操り、軽やかに姿を現した。
顔には、素描よりもさらに明るい笑みが浮かんでいた。




