第一話-【第二幕:姉の素描と、変わりゆく工房】
彼が取り出したのは、粗い木炭で描かれた素描だった。
絵の中には、アイリーンがいた。
線は不器用だった。けれど、その不器用さの奥に、描いた者の温かさがあった。
姉は車椅子に座り、長い髪を肩へ垂らしている。瞳には、アーガスがよく知る穏やかな笑みが浮かんでいた。
木炭の線には色がない。
それでも、アーガスの頭の中では自然に色が差していく。
淡い金色の髪。
翠緑の瞳。
姉に特有の、柔らかな気配。
アーガスは指の腹で、その粗い線をそっと撫でた。
目元が、ほんの少しだけ緩む。
姉さんの顔色は良さそうだ。
彼女が笑っている。
それだけで、胸の奥に温かいものが戻ってくる。
アーガスは報告書と素描を並べて、膝の上に置いた。
一方は、冷たい危機。
もう一方は、温かな帰る場所。
この二つが、今回の帰郷の意味を、あまりにもはっきりと示していた。
やがて、馬車は工房の前に止まった。
アーガスは思わず息を呑む。
ここは、本当にアイアンソーン工房なのか。
目の前に広がっていた光景は、彼の記憶にある小さな作業場とは違っていた。
工房は以前の倍近い広さになっていた。
新しい鍛冶炉が赤々と燃え、煙突からは勢いよく煙が吐き出されている。
壁には、各地から届いた注文書がずらりと掛けられていた。その羊皮紙の列は、まるで勝利の旗のように風に揺れている。
鉄鎚が振り下ろされる音が、あちこちから聞こえた。
重く、深く、安定した一つの音。
そこに、まだ少しぎこちない若い音がいくつも混じっている。
工房の空気も変わっていた。
石炭の煤。熱せられた鉄の匂い。そこに、加工された部品と機械油の匂いが加わっている。
ここは確かに彼の家だった。
けれど、彼の記憶の中にある家では、もうなかった。
かつての工房は、もっと狭く、もっと静かだった。
父の鉄鎚の音が中心にあり、家族の息遣いがその周囲にあった。壁に掛けられた道具は古び、炉の火も大きくはなかった。だが、そこには確かな温度があった。
今の工房には、勢いがある。
熱がある。
人がいて、音があり、注文がある。
それは成功の姿だった。
それなのにアーガスは、自分が知らない場所へ帰ってきたような感覚を覚えた。
自分が残した設計が、自分のいない間に歯車を回し、家の形まで変えてしまった。
その事実が、誇らしくもあり、恐ろしくもあった。
彼が投げ込んだ小さな歯車は、家族の暮らしを変えた。
父の背を伸ばし、兄に自信を与え、姉に役割を与えた。
それは、彼が望んだ変化だった。
けれど、変化は一度走り出すと、作った者の手の中だけには収まらない。
工房の煙は太く、明るかった。
その明るさが、報告書の冷たさをいっそう際立たせていた。
馬車の扉が開くと、熱気が押し寄せてきた。
鉄と煤と油の匂い。
懐かしいはずの匂いの中に、彼の知らない新しい匂いが混じっている。
アーガスは一歩を踏み出した。
足元の石畳まで、以前より踏み固められているように見えた。
ここにはもう、停滞していた頃の弱さはない。
あるのは、前へ進みすぎた者だけが持つ危うさだった。




