第一話-【第一幕:帰途の夕景と、冷たい報告書】(挿絵あり)
第三卷:『女王と、太陽』 第一話:温かな食卓と、冷たい報告書
黄昏の光が車窓をすり抜け、アーガスの手元にある羊皮紙の上へ、淡い橙色の影を落としていた。
ヴァンデル商会の馬車は、驚くほど穏やかに揺れている。柔らかな座席には上質な布が張られ、小さな茶卓には菓子と保温された茶壺が用意されていた。
すべて、リナが用意したものだ。
いつもの気遣いと、いつもの先回り。そこに少しだけ、彼女らしい計算高さも混じっている。
車輪が砕石の道を踏み、こと、こと、と規則正しい音を立てていた。
その音は、不安を隠そうとするアーガスの心臓を、外側から叩いているようだった。
窓の外では、パラディア平原のなだらかな輪郭が、少しずつ鉄峰山脈の荒々しい稜線へと変わっていく。
夕日は山肌を橙色に染め上げていた。
それは、溶鉱炉に残る余熱のようにも見えた。アーガスにとって、それは見慣れた色だった。
故郷の色。
アイアンソーン家の鍛冶炉の色。
けれど今、その懐かしい光景は、彼の胸を少しずつ重くしていた。
アーガスは目を伏せ、膝の上に置いた報告書をもう一度開いた。
ヴァンデル商会の印が押された、正式な苦情報告だった。
そこに並ぶ文字は、氷のように冷たかった。
「顧客より報告。車椅子に異常あり」
「鉄木板の突然の断裂により、転倒負傷事故が三件発生」
「複数の顧客が返品、または交換を要求」
アーガスの眉間に、深い皺が刻まれた。
あり得ない。
トール兄さんの手技に、俺の設計を合わせた。安全率は、少なくとも三倍は取ってあるはずだ。
なぜ、断裂する。
構造設計の欠陥か。
アーガスは目を閉じた。
頭の中に、車椅子の構造が浮かび上がる。
鉄木の強度。ホゾ継ぎの噛み合わせ。車軸の公差。荷重がかかる位置。揺れを受け流す角度。
すべて、計算した。
少なくとも、通常の使用で突然折れるような構造にはしていない。
人為的な加工ミスか。材料の劣化か。それとも、使用環境に彼の想定していなかった条件があったのか。
答えは、紙の上にはない。
実物を見なければならない。
家に戻り、トールと一緒に破損した車椅子を調べるしかない。
結論は冷たく、明確だった。
けれど、その明確さは彼を少しも安心させなかった。
問題の原因を見つければ、解決に近づく。いつもの彼なら、そう考えただろう。原因があるなら、対策もある。構造に欠陥があるなら直せばいい。材料に問題があるなら選び直せばいい。加工にずれがあるなら工程を変えればいい。
だが、今回の報告書の向こうには、人がいた。
車椅子に座る誰かがいて、その誰かが転倒し、傷を負っている。
数字ではない。
試験結果でもない。
失敗した実験なら、もう一度やり直せばいい。だが、傷ついた人の痛みは、やり直せない。
その事実だけが、羊皮紙の文字よりも重く、アーガスの膝の上に沈んでいた。
彼は報告書を閉じかけ、また開いた。
何度読み返しても、文字は変わらない。
けれど、読むたびに重さだけが増していく。
自分の設計が、誰かの生活を支えるはずだった。
そのはずだったものが、誰かを倒した。
それは、まだ原因の分からない失敗であると同時に、彼が初めて直視しなければならない責任でもあった。
その時、窓の隙間から冷たい風が入り込んだ。
鉱石と松の匂いが混じった風だった。
アーガスは報告書から視線を外し、懐へ手を伸ばした。
【あとがき】
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次の章も、全力で鍛えます。
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