第十三話 END:【第三幕:額装された真心】(挿絵あり)
そこにあったのは、一つの額縁だった。
深い色の胡桃材で作られた額縁だった。縁には蔓の模様が丁寧に彫られ、控えめでありながら上品な気配をまとっている。
本棚の中央。
最も目立つ場所。
まるで、この部屋で大切に扱われるべきものの一つであるかのように。
額縁の中には、一枚の写真が収められていた。
アーガスの呼吸が止まる。
あれは。
俺が撮った、あの写真か。
写真の中のリナは、窓辺に立っていた。
秋の陽光が背後から差し込み、金色の髪の輪郭を淡く照らしている。横顔は光の中で静かに浮かび、澄んだ青い瞳は、遠くを見るように細められていた。
額にかかった数筋の金髪。
風に揺れた、その一瞬。
そして、陽光の下で半透明に透ける、半精霊特有の耳。
アーガスは、その瞬間を覚えている。
いたずらな秋風が窓から忍び込み、彼女の額の髪を揺らした。
リナが手を上げ、それを耳の後ろへ払った。
その時、彼の心臓は一拍だけ跳ねた。
指はほとんど本能で、撮影の魔導具を起動していた。
なのに。
どうして、あの写真が額縁に入っている。
どうして、こんな目立つ場所に飾られている。
アーガスはその場に立ち尽くした。
頭の中が、真っ白になる。
彼女は、あの写真を大切にしているのか。
だが、彼女は怒っていた。
廊下で、そこには誰もいないと言った。
さっきも、氷のような声で彼を追い返そうとした。
それなのに。
なぜ、彼が渡した写真を、こんなふうに飾っている。
二つの事実が噛み合わない。
まったく、合理的ではない。
その時だった。
一つの言葉が、記憶の底から突然浮かび上がった。
『私はあなたの足を折ってでも、二度と錬金室から出られないようにしておくべきだった』
リナの声だった。
歪んでいて、暴力的で、それでも、奇妙なほど切実だった。
アーガスの身体が、わずかに震える。
足を折る。
あれは、砦の中で彼女が言った言葉だ。
どうして、あんな言葉を口にした。
アーガスの視線が額縁から離れ、虚空へ落ちた。
黒髪の侍女は、扉のそばで静かに待っている。
まるで、彼が答えに辿り着く時間を与えているかのように。
アーガスの頭が、猛烈に動き始めた。
記憶が、次々とつながっていく。
『金の首輪をつけて、部屋に閉じ込めておくべきだった』
あれは、冗談ではなかった。
『記憶の鏡だけでも、どれほど面倒だったと思っているの』
記憶の鏡。
面倒。
どうして、あの発明が彼女を困らせた。
アーガスは一歩後ずさりした。
手が本棚の縁を掴む。
指先に力が入り、白くなる。
違う。
今までの理解は、何かが違っていた。
彼は、商会の事務所での午後を思い出した。
蒸気の怪物、暗箱一号。
醜く、無骨で、自分の設計理念を嘲笑うかのような歯車と管の塊。
その前で、リナはかつてないほど厳粛な声で言った。
『鞘のない神兵は、敬意ではなく恐怖をもたらすだけなのよ』
鞘。
リナは、彼の発明に鞘を与えようとしていた。
あの醜い蒸気の怪物で、彼の技術を覆い隠した。
『アーガス、あなたは時代を先取りしすぎているのよ』
先取りしすぎている。
では、それが引き寄せるものは何か。
寒気が、背筋を這い上がった。
アーガスの呼吸が速くなる。
記憶の鏡。
あの発明ですら、彼女は頭を痛めていた。
彼女は砦の中で言った。
『記憶の鏡なんて、今回あなたが作ったものに比べれば、ただの玩具よ』
玩具。
砦と地雷に比べれば、記憶の鏡は玩具にすぎない。
ならば、記憶の鏡が商人や芸術家を引き寄せるのだとしたら。
あの砦と地雷は、何を引き寄せる。
貴族の欲望。
軍の幽閉。
敵国の暗殺。
アーガスの顔から血の気が引いた。
彼女は、俺の発明に怒っていたんじゃない。
心配していたんだ。
俺が、どうにかなってしまうことを。
『あなたは相変わらず学習しないわね』
学習しない。
初めてではない。
記憶の鏡の時から、すでにそうだった。
彼女は、ずっと。
ずっと、俺を守ろうとしていたのか。
リナは観測塔の上で、すべての者の前で、彼の防衛体制を破ってみせた。
見せつけるためではない。
権力者たちに、この仕組みは完璧ではないと思わせるため。
彼への興味を、少しでも鈍らせるため。
『彼らに、あなたを過剰に欲しがらせないこと。分かる?』
アーガスは、強い眩暈を覚えた。
視線が、再び額縁へ戻る。
柔光術の下、写真は温かな光をまとっていた。
彼女は、あの写真を大切にしている。
その事実が、今度は別の記憶を呼び起こした。
砦の中で、リナが言った。
『あなたの仕組みを破る手は、少なくとも二つ思いついていたわ』
その時、アーガスは答えた。
『俺には、まだ改良する方法があります』
彼女は彼の発明を知っていた。
彼の創造を評価していた。
それでも、自分の手で壊すことを選んだ。
守るために。
その瞬間、アーガスの頭の中で何かが崩れ落ちた。
俺は、何を言った。
彼女の目の前で。
彼女が必死に壊そうとしていた危険を。
もっと改良できると。
アーガスは、あの時のリナの目を思い出した。
あれは怒りではなかった。
絶望だった。
『黙りなさい』
『あなたが改良を重ねるたびに、あの怪物たちがあなたを狙う理由が増えていくのよ』
『この、大馬鹿者』
灼けるような羞恥が、胸の奥から噴き上がった。
アーガスの顔が熱くなる。
あの時の自分は、点数のことしか見ていなかった。
どう勝つかしか考えていなかった。
自分の設計がどれほど完璧かを示すことしか、頭になかった。
彼女はずっと守ってくれていた。
彼女の知恵で。
彼女の資源で。
さらには、アーガスには理解できない人心の駆け引きまで使って。
それなのに、自分は。
彼女の心配を、技術への疑問だと勘違いした。
彼女の保護を、能力への否定だと受け取った。
あろうことか、砦の中で、彼女に向かって、もっと改良できると言い放った。
手が、羞恥でかすかに震える。
無理もない。
彼女が怒るのは、当然だった。
そこには誰もいないと言ったのも、当然だった。
自分は、彼女の気遣いを踏みにじった。
アーガスはゆっくりと振り返った。
黒髪の侍女は、扉のそばに立ったまま、静かに彼を見ていた。
その目に、ほんの一瞬だけ安堵が走る。
彼女は何も言わず、扉を開けた。
だが、アーガスは出ていかなかった。
深く息を吸う。
胸の中の灼けるような羞恥を、別のものへ変える。
決意へ。
アーガスは身を翻した。
窓の外を見ているふりをして背を向けたままのリナへ、ゆっくり歩き出した。




