第十三話 END:【第二幕:無音の拷問】
リナ・ヴァンデルは、机の奥に座っていた。
窓の外では、夕日がすでに地平線へ沈みかけている。部屋の中には、いくつかの柔光術だけが静かに浮かび、冷たくも優雅な空気を作っていた。
リナは生徒会の正装をまとっていた。金色の髪は一糸乱れず整えられ、青い瞳は手元の羊皮紙に落とされている。
彼女は顔を上げなかった。
手元の作業を止めることもない。
羽根ペンだけが羊皮紙の上を滑り、さらさらという音を立てていた。
だが、アーガスは気づいた。
彼女は何の書類にも署名していない。
ただ余白に、意味のない絵を描いているだけだった。
最初、それは優雅な薔薇だった。
輪郭は精巧で、線は柔らかく、蔓が花の周囲へ流れるように絡んでいる。貴族が便箋の端へ描く飾り模様のようだった。
黒髪の侍女が音もなく歩み寄り、アーガスのために茶を注いだ。
その動作は優雅で、正確だった。茶が磁器の杯へ注がれても、音はほとんど立たない。
やがて侍女は部屋の隅へ下がり、精巧な彫像のように静かに控えた。
アーガスは机の前に立った。
一分が過ぎる。
リナは顔を上げない。
二分が過ぎる。
彼女はまだ線を引いている。
薔薇の茎が、何度もなぞられ始めた。柔らかかった線は太くなり、少しずつ絡まり、歪んでいく。
三分。
アーガスはついに我慢できず、口を開いた。
「リナ先輩、俺は……」
「言いなさい」
たった一言だった。
平坦で、冷たい。
しかし、有無を言わせない響きがあった。
アーガスは深呼吸し、用意していた言葉を口にした。
「リナ先輩、まずはあなたに感謝したいんです」
声は少し不器用だったが、そこには誠実さがあった。
「人心掌握について、あなたが教えてくれたことです。試合の中で、俺はそれを使いました。過程は少し混乱しましたが、最終的に俺たちのクラスは、確かに一つにまとまった。これは、あなたの指導のおかげです」
「他には?」
リナが彼を遮った。
声は平穏だった。
けれど、氷水を浴びせられたような冷たさがあった。
彼女はまだ顔を上げない。
羽根ペンは紙の上を動き続けていた。
柔らかかった蔓は歪み始めている。リナのペン先は、茎に鋭い棘を足していた。
一本。
二本。
三本。
茨は少しずつ密になり、鋭さを増していく。
アーガスは一瞬、呆然とした。
他には。
俺は今、何か言い間違えたのか。
彼は眉をひそめ、頭の中で答えを探し始めた。
数秒後、彼は言葉を続ける。
「それと、試合で使った配置についても……あなたが言っていた、他人に自分が用意した道を歩ませるという考え方を参考にしました。だから、あの花火は――」
「他には?」
また同じ言葉だった。
羽根ペンが紙をこする音が、少し強くなる。
薔薇はもう、美しい花ではなかった。
幾重にも重なる茨に包まれ、攻撃的な形へ変わっている。ペン先が羊皮紙を擦り、耳障りな音を立てた。
アーガスの呼吸が、少し荒くなる。
また、他には。
何なんだ。
俺は何を見落としている。
彼はさらに深く記憶をたどり始めた。眉間の皺は深くなり、視線は一点へ集まっていく。片方の手が無意識に持ち上がり、空中で何かをなぞるように動いた。
部屋には、羽根ペンの音と、アーガスの呼吸だけが残った。
やがて、彼の目に小さな光が浮かぶ。
答えを見つけた、とでも言うように。
「それから、材料リストのことです」
彼の声には、今度こそという確信があった。
「試合前夜の調達リスト。異常な量の鉄片です。あなたなら、あれが通常の実験に必要な量ではないことに気づいていたはずです。俺がクラス対抗戦で使うためのものだと、見抜いていたはずです」
彼はゆっくりと言った。
「でも、あなたは却下しなかった。疑問も挟まずに、承認してくれた。俺は、そのことにも礼を言いたくて……」
「他には?」
羽根ペンが空中で止まった。
次の瞬間、それは重く紙の上へ落ちた。
最も鋭い茨の先へ、力任せに線が引かれる。ペン先は羊皮紙へ深く食い込み、醜い窪みを残した。
インクが滲み、黒い花のように広がっていく。
アーガスは、これまでにない圧迫感を覚えた。
俺は、完全に間違えたのか。
最初から最後まで、核心に触れていないのか。
なら、彼女は何を聞きたがっている。
思考が乱れ始める。
可能性がいくつも頭の中を回る。けれど、どれも噛み合わない。
「俺は……」
アーガスは歯を食いしばり、ついに本当の疑問を口にした。
「知りたいんです。俺は、何か間違ったことをしたのでしょうか」
リナのペン先が、わずかに止まった。
「廊下で、あなたはそこには誰もいないと言いました。あなたが俺を見ていたことは分かっています。でも、無視することを選んだ。それは、俺が試合で何か間違えたからですか?」
彼は一度言葉を切った。
声は少し弱くなる。
けれど、先ほどよりも真摯だった。
「不満があるなら、言ってくれればいい。以前みたいにからかってくれてもいい。怒鳴ってくれても構いません。でも、今みたいに……氷みたいに扱われるのは、やめてほしいんです」
「他には?」
アーガスは完全に言葉を失った。
彼はその場に立ち尽くした。
まるで、試験で白紙の答案を出してしまった学生のようだった。
リナの羽根ペンが止まった。
彼女はゆっくりと顔を上げる。
青い瞳が、ようやくアーガスを捉えた。
だが、そこに温度はない。
あるのは、審査するような冷たさだけだった。
「言い終わったかしら?」
語尾に、わずかな苛立ちが混じっていた。
アーガスは頷くしかなかった。
リナは軽く舌打ちした。
とても小さな音だった。
けれど、そこには言いようのない失望がこもっていた。
「他に用がないなら」
彼女は羽根ペンを置き、事務的な声で言った。
「もう帰っていいわよ」
その瞬間、アーガスはかつてない困惑に包まれた。
俺は、どこで間違えた。
彼女はなぜ、こんな態度で俺に接する。
これは合理的じゃない。
まったく、合理的じゃない。
黒髪の侍女が歩み寄った。
低く磁力のある声で、静かに告げる。
「旦那様、こちらへどうぞ」
彼女はアーガスを扉の方へ導いた。
ただし、まっすぐには歩かなかった。
わずかに迂回し、大きな本棚の横を通る。
その本棚の前で、侍女の足が一瞬だけ止まった。
半秒にも満たない停止。
けれど、それだけでアーガスの足も止まった。
彼は無意識に顔を上げる。
視線が、本棚の中央へ落ちた。
そこだけ、本が置かれていない。




