表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

137/141

第十一話:【第一幕:女王の訪問と、逆暗黒森林の答え】

第十一話:問題があれば、C4ですべて片づけられる

 リナ・ヴァンデルが中央砦に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに冷えた。


 彼女の足音が、伽藍堂とした石床に澄んだ響きを落とす。一歩ごとに、砦の中に残っていた焦げた土の匂いと、乾いた魔力の気配が、静かに道を譲っていくようだった。


 深青色の生徒会制服は、淡い照明の下で絹のような光を返していた。胸元の銀の紋章だけが、冷たい星のように小さく瞬く。


 リナは急いで口を開かなかった。まず、砦の内部をゆっくり見渡す。塹壕につながる通路、壁際に積まれた図面、机の上に残された戦術盤。即席の拠点とは思えないほど、すべてが目的を持って置かれていた。


 青い瞳に、ほんの一瞬だけ称賛の光が走った。けれど、それはすぐに沈む。称賛の奥から、より深い憂慮が浮かび上がった。


 アーガスは砦の中央に置かれた粗末な木机の傍らに立っていた。机の上には、簡素な戦術盤と、書き込みで黒ずんだ羊皮紙が広げられている。


 彼は顔を上げなかった。指先だけが羊皮紙の上を進み、線と印を一つずつ追っている。だが、リナの足音が近づいた時、その指先が半秒だけ止まった。


 確認するまでもない。


 あの正確さ。あの手際の良さ。仕組みの弱いところだけを選んで切り落としていく、あまりにも嫌な鮮やかさ。そこにある気配を、彼はもう知っていた。


 やはり、あなたか。


 アーガスはゆっくりと顔を上げた。深い黒の瞳に、驚きはない。怒りもまだ浮かんでいなかった。ただ、長い対局の途中で、ようやく相手が盤面の向こうに姿を現した時の、静かな納得だけがあった。


「知っているかしら?」


 先に沈黙を破ったのはリナだった。声は夜風が絹を撫でるように柔らかく、それでいて、奥には刃の薄さがあった。


「普通、守る側は自分を森の奥に隠したがるわ。臆病な兎みたいに、猟師が巣穴を見つけないことを祈りながらね」


 彼女は机に近づき、図面の束の端に指を滑らせた。ざらついた羊皮紙が、かすかに音を立てる。


「でも、あなたは違った」


 リナはそこで顔を上げた。青い瞳が、アーガスをまっすぐ射抜く。口元には、称賛と呆れが混じった微笑みが浮かんでいた。


「森のど真ん中で、いちばん派手な花火を打ち上げた。ここに餌があるわよ、と世界中に知らせるみたいに」


 彼女の声が少し低くなる。


「本当に、華麗な自殺行為ね」


 リナは一拍置き、再び口を開いた。


「さあ、話してごらんなさい。あなたの考えは、そんな浅いものではないのでしょう?」


 アーガスはここでようやく身体ごと振り返った。


 少し青白い顔に、見透かされた焦りはない。彼はただ静かにリナを見つめていた。その目には、理性だけで動く獣のような、冷たい光が宿っている。


「俺には点数が必要でした」


 アーガスの声は大きくない。だが、定理を読み上げるような確かさがあった。


「敵を捜して回るのも、来るまで待つのも、効率が悪すぎる。なら、点数のほうから歩いてくるようにすればいい」


 彼は指の関節で机上の図面を軽く叩いた。


 コン、コン。


「最短で、最も確実な解です」


 リナは細い指で、戦術盤の上に描かれた花火の印をなぞった。そこに残された線は、あまりにも理路整然としていた。


「暗い森の中で、いちばん眩しい明かりを灯す。蛾は勝手に寄ってくる。ええ、成功したと言うしかないわね。私まで、あなたの火に引き寄せられてしまったのだから」


 リナは小さく息を吐いた。


「あなたは味方だけではなく、敵の虚栄心まで盤面に乗せてしまったのね」


 その理解は、あまりにも正確だった。


 アーガスの張り詰めていた顔に、ごく薄い笑みが浮かぶ。本人さえ気づいていないほどの、短い微笑だった。


 やはり、彼女は分かる。


 この人は、俺の逆暗黒森林の答えまで自分で辿り着いた。


 リナはその笑みを見て、目元の色をわずかに深めた。彼女は知っている。これがアーガス・アイアンソーンという少年の本質なのだと。


 世界を感情ではなく、仕組みとして見る。人も、戦場も、貴族の面子さえも、彼の目には構造として映る。恐ろしいほど純粋で、恐ろしいほど危うい。


「正直に言うわ」


 リナの声が柔らかくなった。そこには、偽りのない称賛が含まれていた。


「あなたの設計は見事よ。まるで戦争のために作られた魔導具みたい。特に、地面に仕込んだ爆発の罠。あれのせいで、昔ながらの正面突破はほとんど意味を失った」


 彼女は戦術盤を見下ろし、もう一度だけ小さく笑う。


「軍学校の教本を何冊か燃やしてもお釣りが来るわ」


 アーガスは称賛を受けても、ほとんど表情を変えなかった。背筋だけがまっすぐ伸びている。まるで、次に飛んでくる矢の角度を待っているようだった。


 彼は分かっていた。リナ・ヴァンデルの試験は、褒め言葉の後に始まる。


 案の定、リナの瞳から柔らかさが引いた。


「私はあなたに、人の心をどう導くかを教えたつもりだった。名誉、誇り、見栄。そういう面倒なものを、どう盤面に乗せるかをね」


 彼女の指が、机の上の図面を軽く叩く。


「でも、あなたが出した答えは、人の心が揺れなくても動く仕組みだった」


 リナの声は軽い。だが、その軽さの奥に冷たさが滲んでいた。


「徹底しているわ。そして、傲慢よ」


 その一言は、小石のようにアーガスの胸へ落ちた。


 アーガスの眉がわずかに動く。黒い瞳に、初めて感情の波が立った。怒りというには静かすぎる。けれど、不快感は確かにそこにあった。


「違います」


 彼の声は平穏だった。平穏すぎるほどだった。


「俺は人を使い捨ての部品として扱っているわけじゃありません」


 アーガスは顔を上げた。その目の奥に、技術者特有の純粋な熱が灯る。


「能力も性格も違う人間が、失敗しにくい位置を用意する。迷わず動ける手順を作る。怖がりでも、弱くても、才能が足りなくても、自分の役目を果たせるようにする」


 彼は戦術盤へ視線を落とした。


「それが信頼性です。防呆設計です。人が完璧でなくても、結果を安定させるための設計です」


 その声に悪意はなかった。


 だからこそ、リナは息苦しさを覚えた。


 アーガスは本気でそう信じている。人を救うための仕組みだと。失敗しない道を作ることが、弱い者への慈悲なのだと。


 そして、その純粋さこそが、リナには恐ろしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ