第十一話:【第一幕:女王の訪問と、逆暗黒森林の答え】
第十一話:問題があれば、C4ですべて片づけられる
リナ・ヴァンデルが中央砦に足を踏み入れた瞬間、空気がわずかに冷えた。
彼女の足音が、伽藍堂とした石床に澄んだ響きを落とす。一歩ごとに、砦の中に残っていた焦げた土の匂いと、乾いた魔力の気配が、静かに道を譲っていくようだった。
深青色の生徒会制服は、淡い照明の下で絹のような光を返していた。胸元の銀の紋章だけが、冷たい星のように小さく瞬く。
リナは急いで口を開かなかった。まず、砦の内部をゆっくり見渡す。塹壕につながる通路、壁際に積まれた図面、机の上に残された戦術盤。即席の拠点とは思えないほど、すべてが目的を持って置かれていた。
青い瞳に、ほんの一瞬だけ称賛の光が走った。けれど、それはすぐに沈む。称賛の奥から、より深い憂慮が浮かび上がった。
アーガスは砦の中央に置かれた粗末な木机の傍らに立っていた。机の上には、簡素な戦術盤と、書き込みで黒ずんだ羊皮紙が広げられている。
彼は顔を上げなかった。指先だけが羊皮紙の上を進み、線と印を一つずつ追っている。だが、リナの足音が近づいた時、その指先が半秒だけ止まった。
確認するまでもない。
あの正確さ。あの手際の良さ。仕組みの弱いところだけを選んで切り落としていく、あまりにも嫌な鮮やかさ。そこにある気配を、彼はもう知っていた。
やはり、あなたか。
アーガスはゆっくりと顔を上げた。深い黒の瞳に、驚きはない。怒りもまだ浮かんでいなかった。ただ、長い対局の途中で、ようやく相手が盤面の向こうに姿を現した時の、静かな納得だけがあった。
「知っているかしら?」
先に沈黙を破ったのはリナだった。声は夜風が絹を撫でるように柔らかく、それでいて、奥には刃の薄さがあった。
「普通、守る側は自分を森の奥に隠したがるわ。臆病な兎みたいに、猟師が巣穴を見つけないことを祈りながらね」
彼女は机に近づき、図面の束の端に指を滑らせた。ざらついた羊皮紙が、かすかに音を立てる。
「でも、あなたは違った」
リナはそこで顔を上げた。青い瞳が、アーガスをまっすぐ射抜く。口元には、称賛と呆れが混じった微笑みが浮かんでいた。
「森のど真ん中で、いちばん派手な花火を打ち上げた。ここに餌があるわよ、と世界中に知らせるみたいに」
彼女の声が少し低くなる。
「本当に、華麗な自殺行為ね」
リナは一拍置き、再び口を開いた。
「さあ、話してごらんなさい。あなたの考えは、そんな浅いものではないのでしょう?」
アーガスはここでようやく身体ごと振り返った。
少し青白い顔に、見透かされた焦りはない。彼はただ静かにリナを見つめていた。その目には、理性だけで動く獣のような、冷たい光が宿っている。
「俺には点数が必要でした」
アーガスの声は大きくない。だが、定理を読み上げるような確かさがあった。
「敵を捜して回るのも、来るまで待つのも、効率が悪すぎる。なら、点数のほうから歩いてくるようにすればいい」
彼は指の関節で机上の図面を軽く叩いた。
コン、コン。
「最短で、最も確実な解です」
リナは細い指で、戦術盤の上に描かれた花火の印をなぞった。そこに残された線は、あまりにも理路整然としていた。
「暗い森の中で、いちばん眩しい明かりを灯す。蛾は勝手に寄ってくる。ええ、成功したと言うしかないわね。私まで、あなたの火に引き寄せられてしまったのだから」
リナは小さく息を吐いた。
「あなたは味方だけではなく、敵の虚栄心まで盤面に乗せてしまったのね」
その理解は、あまりにも正確だった。
アーガスの張り詰めていた顔に、ごく薄い笑みが浮かぶ。本人さえ気づいていないほどの、短い微笑だった。
やはり、彼女は分かる。
この人は、俺の逆暗黒森林の答えまで自分で辿り着いた。
リナはその笑みを見て、目元の色をわずかに深めた。彼女は知っている。これがアーガス・アイアンソーンという少年の本質なのだと。
世界を感情ではなく、仕組みとして見る。人も、戦場も、貴族の面子さえも、彼の目には構造として映る。恐ろしいほど純粋で、恐ろしいほど危うい。
「正直に言うわ」
リナの声が柔らかくなった。そこには、偽りのない称賛が含まれていた。
「あなたの設計は見事よ。まるで戦争のために作られた魔導具みたい。特に、地面に仕込んだ爆発の罠。あれのせいで、昔ながらの正面突破はほとんど意味を失った」
彼女は戦術盤を見下ろし、もう一度だけ小さく笑う。
「軍学校の教本を何冊か燃やしてもお釣りが来るわ」
アーガスは称賛を受けても、ほとんど表情を変えなかった。背筋だけがまっすぐ伸びている。まるで、次に飛んでくる矢の角度を待っているようだった。
彼は分かっていた。リナ・ヴァンデルの試験は、褒め言葉の後に始まる。
案の定、リナの瞳から柔らかさが引いた。
「私はあなたに、人の心をどう導くかを教えたつもりだった。名誉、誇り、見栄。そういう面倒なものを、どう盤面に乗せるかをね」
彼女の指が、机の上の図面を軽く叩く。
「でも、あなたが出した答えは、人の心が揺れなくても動く仕組みだった」
リナの声は軽い。だが、その軽さの奥に冷たさが滲んでいた。
「徹底しているわ。そして、傲慢よ」
その一言は、小石のようにアーガスの胸へ落ちた。
アーガスの眉がわずかに動く。黒い瞳に、初めて感情の波が立った。怒りというには静かすぎる。けれど、不快感は確かにそこにあった。
「違います」
彼の声は平穏だった。平穏すぎるほどだった。
「俺は人を使い捨ての部品として扱っているわけじゃありません」
アーガスは顔を上げた。その目の奥に、技術者特有の純粋な熱が灯る。
「能力も性格も違う人間が、失敗しにくい位置を用意する。迷わず動ける手順を作る。怖がりでも、弱くても、才能が足りなくても、自分の役目を果たせるようにする」
彼は戦術盤へ視線を落とした。
「それが信頼性です。防呆設計です。人が完璧でなくても、結果を安定させるための設計です」
その声に悪意はなかった。
だからこそ、リナは息苦しさを覚えた。
アーガスは本気でそう信じている。人を救うための仕組みだと。失敗しない道を作ることが、弱い者への慈悲なのだと。
そして、その純粋さこそが、リナには恐ろしかった。




