第十話:【第五幕:女王の独舞、閉ざされた盤面へ】(挿絵あり)
東側の戦いは終わった。
マシューの小隊は塹壕を取ったが、全員が疲れ切っていた。何人かは土壁にもたれ、大きく息をしている。魔力の揺らぎは薄く、次へ進む力はほとんど残っていない。
マシューは、それでも剣を杖のようにして立ち上がろうとした。
リナは振り返らず、片手だけを軽く上げる。その仕草だけで、彼は足を止めた。
その手は、次の役目を静かに告げていた。
マシューは唇を噛み、やがて剣を下ろした。
彼の周囲で、ほかの隊員たちも言葉を失っていた。彼らはようやく気づき始めていた。この戦いは砦を奪うだけのものではない。リナが、あの中にいる一人へ辿り着くための道でもあったのだ。
霧が引いていく。
その白い残り香の中から、一つの細い影が現れた。
リナだった。
制服には泥一つない。金の髪が微風に揺れ、周囲の煙、土、疲労、倒れた防線とは残酷なほど対照的だった。
彼女は戦場を歩く。
散歩でもするように。あるいは、自分の庭を横切るように。
背後には、クリシーが無言で続いていた。
短剣はもう収められている。霧の残り香が彼女の輪郭に触れるたび、小柄な身体は白い揺らぎの中でふっと薄くなる。歩いているはずなのに、足音は土の上へ落ちなかった。
クリシーの指先は、時折、髪際の黒曜石へ触れていた。
彼女の視線は木扉だけでなく、地面、射撃孔、砦の影、崩れた土壁の隙間まで滑っていく。首筋、死角、逃げ道。彼女の目は無邪気な少女のものではなく、獲物の終わり方を先に数える者の目だった。
リナは中央砦から五十歩ほどの場所で足を止めた。
右手を軽く振る。小さな旋風が生まれ、残った霧を裂き、彼女と砦の間だけに細い通路を作った。
その道からだけ、互いの姿が見える。
それは礼儀であり、宣告でもあった。
ここから先は、彼女とアーガスの盤面だ。
リナはゆっくりと歩いた。
一歩ずつ、優雅に、確かに。踏むたびに、戦場のざわめきが彼女の後ろへ退いていく。
倒れた守り手も、膝をついた攻め手も、誰も声をかけなかった。
リナの足音だけが、薄く乾いた土の上へ落ちる。その音は小さいのに、戦場全体へ命令を下しているように響いた。
中央砦の中では、かすかな震動が続いていた。
木扉の向こう、どこか低い場所で、黒鉄の箱が細く鳴っている。
リナはその音を聞き取った。
ほんのわずかに、笑みが深くなる。
やっぱり、まだ何かを隠している。
中央砦の木扉の前で、彼女は止まった。
白い指先が、粗い木目へ触れる。向こう側には、彼女が待ち望んでいた相手がいる。
リナの口元に、愉悦と征服欲を含んだ笑みが浮かんだ。
青い瞳が、獲物を見つけた鷹のように細くなる。
彼女は静かに言った。
声は木扉を越え、砦の中へ染み込んでいく。
「盤面は片づいたわ」
ひと呼吸。
彼女は、わざと間を置く。
「さあ、私の可愛い生徒と、顔を合わせる時間ね」




