表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

136/142

第十話:【第五幕:女王の独舞、閉ざされた盤面へ】(挿絵あり)

 東側の戦いは終わった。


 マシューの小隊は塹壕を取ったが、全員が疲れ切っていた。何人かは土壁にもたれ、大きく息をしている。魔力の揺らぎは薄く、次へ進む力はほとんど残っていない。


 マシューは、それでも剣を杖のようにして立ち上がろうとした。

 リナは振り返らず、片手だけを軽く上げる。その仕草だけで、彼は足を止めた。


 その手は、次の役目を静かに告げていた。

 マシューは唇を噛み、やがて剣を下ろした。


 彼の周囲で、ほかの隊員たちも言葉を失っていた。彼らはようやく気づき始めていた。この戦いは砦を奪うだけのものではない。リナが、あの中にいる一人へ辿り着くための道でもあったのだ。


 霧が引いていく。


 その白い残り香の中から、一つの細い影が現れた。


 リナだった。


 制服には泥一つない。金の髪が微風に揺れ、周囲の煙、土、疲労、倒れた防線とは残酷なほど対照的だった。


 彼女は戦場を歩く。

 散歩でもするように。あるいは、自分の庭を横切るように。


 背後には、クリシーが無言で続いていた。

 短剣はもう収められている。霧の残り香が彼女の輪郭に触れるたび、小柄な身体は白い揺らぎの中でふっと薄くなる。歩いているはずなのに、足音は土の上へ落ちなかった。


 クリシーの指先は、時折、髪際の黒曜石へ触れていた。

 彼女の視線は木扉だけでなく、地面、射撃孔、砦の影、崩れた土壁の隙間まで滑っていく。首筋、死角、逃げ道。彼女の目は無邪気な少女のものではなく、獲物の終わり方を先に数える者の目だった。


 リナは中央砦から五十歩ほどの場所で足を止めた。

 右手を軽く振る。小さな旋風が生まれ、残った霧を裂き、彼女と砦の間だけに細い通路を作った。


 その道からだけ、互いの姿が見える。


 それは礼儀であり、宣告でもあった。


 ここから先は、彼女とアーガスの盤面だ。


 リナはゆっくりと歩いた。

 一歩ずつ、優雅に、確かに。踏むたびに、戦場のざわめきが彼女の後ろへ退いていく。


挿絵(By みてみん)


 倒れた守り手も、膝をついた攻め手も、誰も声をかけなかった。

 リナの足音だけが、薄く乾いた土の上へ落ちる。その音は小さいのに、戦場全体へ命令を下しているように響いた。


 中央砦の中では、かすかな震動が続いていた。

 木扉の向こう、どこか低い場所で、黒鉄の箱が細く鳴っている。


 リナはその音を聞き取った。

 ほんのわずかに、笑みが深くなる。


 やっぱり、まだ何かを隠している。


 中央砦の木扉の前で、彼女は止まった。

 白い指先が、粗い木目へ触れる。向こう側には、彼女が待ち望んでいた相手がいる。


 リナの口元に、愉悦と征服欲を含んだ笑みが浮かんだ。

 青い瞳が、獲物を見つけた鷹のように細くなる。


 彼女は静かに言った。

 声は木扉を越え、砦の中へ染み込んでいく。


「盤面は片づいたわ」


 ひと呼吸。

 彼女は、わざと間を置く。


「さあ、私の可愛い生徒と、顔を合わせる時間ね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ