第十話:【第三幕:失われた節点と最後の箱】
中央砦で、アーガスは東側の戦況へ意識を集中していた。
霧のせいで見えるものは少ない。それでも、残ったわずかな視界と音の乱れから、ヴァレリウスの防線が焼けつくように消耗していることは分かった。
彼の指が操作盤を走る。
ほかの防区から支援を回す方法を探していた、その時だった。
南、西、北。
三つの防区を示す魔力灯が、一つずつ、何の前触れもなく消えた。
薄暗い操作盤に、大きな穴が三つ開く。
夜空から星を削り取ったようだった。
アーガスはまず、反射的に復旧を試みた。
左手の曙光が淡く光る。彼は広い範囲へ魔力を流し、切れた節点を外側から起こそうとした。
何も返らない。
魔力は水底のない井戸へ落ちたように、吸い込まれて消えた。
アーガスは目を開いた。額に汗が浮かぶ。
これは魔力の乱れではない。回路そのものが断たれている。しかも、ただ切られたのではない。魔力の戻り道まで潰されている。
手練れだ。
驚きは一秒で消えた。
代わりに、技術者の冷たい計算が顔を覆う。
「三つの防区が、ほぼ同時に落ちた。単独ではない。少なくとも二人、あるいはそれ以上。感知網を避け、充填装置だけを潰している。守り手を倒すのが目的ではない」
彼は操作盤を見下ろした。
東側だけが、まだ頑固に光っている。だが、その周囲はもう暗い。
孤島。
ヴァレリウスは囲まれた。
そして、おそらく本人はまだそれを知らない。
アーガスの指が拳になる。爪が掌へ食い込んだが、痛みは遅れてしか届かなかった。
防線は落ちた。
修復は間に合わない。
外へ資源を戻せば、中央まで空になる。
ならば、残ったものを中央へ集めるしかない。
彼は踵を返した。
乱れた操作盤を見ない。指揮台の下にある暗い仕切りへ手を伸ばし、掌ほどの黒鉄の箱を取り出した。
最後の予備案。
箱の表面には、微細な符文が密に刻まれていた。薄闇の中で、それらはかすかに赤く瞬いている。
アーガスは箱を握り、目を閉じた。
次の瞬間、残った魔力を一気に流し込む。
探るためではない。
試すためでもない。
すべてを注ぎ込むためだ。
箱が低く唸った。
赤い符文が一つずつ明るくなり、暗紅から、さらに深い色へ変わっていく。眠っていた獣へ心臓を与えるように、魔力を入れるたび、震えは強くなった。
汗が頬を伝い、顎から落ちた。
それでも、アーガスは止まらない。顔にあるのは悲しみでも怒りでもなく、ただ逆転へすがるような、冷たい執着だった。
外の戦闘音が遠ざかる。
霧の中の叫びも、ヴァレリウスの詠唱も、すべてが厚い壁の向こうへ沈んでいった。
彼の世界には、掌の箱と、流れ続ける魔力だけが残った。




