表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

128/143

第九話:【第四幕:戦の形を変える泥の砦】

 リナはしばらく黙っていた。


 軍事学院の教本に載る標準的な防衛陣地。堅い柵。厚い木壁。何重にも守られた門。巡回する見張り。


 それらは、多くの兵を必要とする。細かな指揮を必要とする。鍛えられた者たちの連携を必要とする。


 だが目の前の泥の砦は、その前提を踏み越えていた。


「教本の守りは、まるで前の時代の遺物ね」


 リナの声は軽い。だが、その奥には震えがあった。


「重くて、高くて、動かしにくい」


 クリシーは言葉を失った。


「でも……あれは何百年も使われてきた守りの考え方でしょう?」


「ええ。何百年も」


 リナは頷いた。


「でも、その考え方は、多くの兵と、難しい指揮と、高価な砦を前提にしている」


 彼女は、泥の砦を見た。


「これは違う。必要なのは、基礎の魔力を注げる者が十人ほど。戦いに熟達していなくてもいい。戦の読みが浅くてもいい。極端に言えば、考える力さえ最小限でいい。決められた手順通りに動ければ、それで足りる」


 リナの指先が、剣の柄を軽く叩いた。


「昔ながらの守りには、石材、木材、兵の育成、食料、給金がいる。でもこの守りは、いくつかの魔法仕掛けと、魔力を注げる人手で成り立つ」


 彼女はゆっくり息を吸う。瞳の奥に、深い憂いが宿った。


「ここまで安く、ここまで簡単に扱えるなら、守りは貴族と軍だけのものではなくなる」


 リナは、ヴァンデル商会の商隊を思い出していた。国境近くを通る商路。大国と小国のあわい。力の差に屈した小さな町。守りを持たず、踏みにじられた村。


 もし、この仕組みがそこにあったなら。


「十人」


 リナは小さく呟いた。


「基礎の魔力を持つ者が、たった十人。それだけで要所を守り、自分たちの何倍もの敵を退けられるかもしれない」


 声はさらに小さくなる。けれど、冷たさは増していた。


「そして、その十人は精鋭でなくてもいい。長年鍛えられた戦士でなくてもいい。農民でも、基礎の魔力さえあれば足りる」


 クリシーは、ようやくリナの憂いを理解した。


「もし、この守りが広まったら……戦の形が変わる」


「戦だけではないわ」


 リナは首を横に振った。


「力の釣り合いも変わる。小さな貴族がこれを持てば、わずかな代価で堅い防線を作れる。大貴族が誇る精鋭の兵も、こうした守りの前では――」


 彼女は言葉を飲み込んだ。その短い間にも、青い光球は次々と安全区域へ弾き出されていく。潮が引くように、学生たちが戦場から消えていった。


 これは安全な試合だから、青い光で済んでいる。本当の戦場なら、あれは命を刈る鎌になる。


 リナは観測塔を見上げた。逆光の中に、貴族と教授たちの影が並んでいる。魔導透鏡が、弾き出される青い光の一つ一つを冷たく記録していた。


 もし、この完璧な姿が、そのまま見られ、記録され、写し取られるなら。


 次に伸びるのは、試合の手ではない。


 権力の手だ。


 神話が固まる前に、その殻へ傷を入れなければならない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ