第九話:【第二幕:泥の砦と三重の守り】(挿絵あり)
リナはもう一度、遠眼鏡を上げた。今度は、戦場の中央へ視界を合わせる。焦点が合う。
最初に見えたのは、泥の砦だった。粗い泥壁。低い高さ。不格好な射撃孔。目立たない細い水路。人影は、ほとんど見えない。
もし目の前で結果を見ていなければ、こんなものを守りの要にする者がいるなど、信じられなかっただろう。
「これで……?」
思わず、声が漏れた。けれど、砦の周囲へ視線を移した瞬間、困惑は警戒へ変わった。
一つの隊が接近している。陣は整っていた。重装の戦士が前へ出て、魔法使いたちが中ほどに固まり、後方に遠距離支援がいる。どこかの学院の精鋭隊だろう。
リナは焦点を調整し、その攻め方を観察した。
隊は加速する。重装の戦士が盾を上げ、魔法使いたちが詠唱を始めた。そして、砦の外側に広がる一帯へ足を踏み入れた。
最初の異変は、そこで起きた。
「なっ……!」
先頭の戦士が叫んだ。足が重くなる。膝が沈む。地面が、彼らを捕まえたのだ。
「泥沼だ!」
誰かが叫ぶ。隊の進みは、一瞬で鈍った。重装の戦士たちはもがき、抜け出そうとする。だが、厚い鎧は彼らをさらに深く沈めた。
「泥沼。第一の守りね」
リナは低く呟いた。
「一年生にしては、悪くないわ」
その隊は、すぐには乱れなかった。火の魔法で地面を乾かそうとする者が出る。だが、彼らが足を止めた瞬間だった。
細い音が響いた。
リナには、その正体までは見えない。だが、水路のそば、小さな土の盛り上がりの陰で何かが動いた。次の瞬間、土の陰から数人が立ち上がった。
射撃孔から、魔法弾が放たれる。泥沼に足を取られた隊は、慌てて盾を掲げた。魔法弾が盾を叩き、重い音を響かせる。
彼らは反撃した。火球と氷錐が塹壕へ飛ぶ。しかし守り手たちはすでに身を沈め、土壁の陰へ戻っていた。攻撃は泥壁を焦がしただけだった。
「早く動け、この愚図ども!」
先頭の戦士が怒鳴る。
その時、リナの視界に、同じ青風学院の一年生が映った。彼は泥沼に沈んだ戦士たちの頭や肩を足場にして、軽々とその一帯を越えた。
「じゃあね、間抜けさんたち!」
彼は自分のこめかみを指で叩いた。
「戦う時は、頭も使いなよ!」
その足が、地面へ降りた。
直後。
「轟!」「轟!」「轟!」
連鎖する爆発が、人の群れの中に咲いた。死神の鎌のようだった。
リナは、彼らが反応する暇すらなく吹き飛ばされるのを見た。青い保護結界が次々と灯る。致命傷と判定された学生が、一人、また一人と戦場から弾き出されていった。
先ほどから聞こえていた爆発音の正体。それが、今ようやく繋がった。
「地中に……罠が埋まっている……」
リナの声が震えた。恐怖ではない。抑えきれない衝撃だった。
「これ……」
クリシーの声も、かすかに震えていた。それでも、リナは目を逸らさなかった。
後退しようとした者たちは、すでに逃げ場を失っていた。前には罠。後ろには泥沼。そして、塹壕の守り手が第二射を始めた。
今度は散発的な攻撃ではない。密な弾幕だった。火球、氷錐、石弾。いくつもの魔法が、雨のように降り注ぐ。
三十秒もかからなかった。
二十人の小隊は、泥沼でもがいていた戦士たちごと、四十近い光球となって戦場から消えた。
完全な殲滅だった。




