第八話:【第六幕:瓶の謎と、嵐の前】
戦闘後の林地は、奇妙なほど静かだった。
木漏れ日が葉の隙間から落ち、地面に斑の光を描いている。空気にはまだ魔法の余韻と、焦げた匂いが薄く残っていた。
リナは戦場確認を名目に、カテリーナたちがいた場所へ向かった。
その目は鋭く、獲物の痕跡を探す鷹のようだった。
すぐに見つかった。
落ち葉に半ば埋もれた、小さな瓶。
瓶身は整っているが、最高級の錬金容器ほどではない。
手作りの芸術品というより、ある程度まとめて作られた商品に近い。
だが、瓶口には淡く独特な香りが残っていた。
薄いのに、清雅で、思わず深く吸い込みたくなる香り。
リナは慎重に瓶を拾い上げ、鼻先へ近づけた。
目を閉じる。
知っている気がする。
それなのに、どこで嗅いだのかが掴めない。
一般的な薬草ではない。ありふれた香料でもない。
もっと複雑で、複数の成分が重なった匂い。
「この香り……」
リナは眉をひそめた。
答えはまだ出ない。
彼女は小瓶をハンカチで包み、腰袋へ収めた。その動きは冷たく、正確だった。
まるで密偵が重要な証拠を回収するように。
その時、急いだ足音が聞こえた。
先ほど拠点へ戻した隊員が、増援を連れて戻ってきたのだ。
人数は多くない。十数名ほど。
リナの一部だけという指示は守られている。
先頭に立っていたのは、マルコの副隊長だった。
彼はリナの前で足を止め、礼をする。
「リナさん。一部の人員を連れて支援に来ました。マルコ隊長の主力部隊は、予定通り任務を続行しています」
「よくできました。ありがとう」
リナは頷き、周囲を見渡した。
「戦闘は終わっています。相手は灰色学院一年の部隊。能力は高いけれど、経験が足りませんでした」
副隊長はほっと息を吐いた。
「では、次は――」
「増援を集めて」
リナは彼の言葉を遮った。声は重い。
「あの陣地を攻めます」
彼女は、遠くに伸びる狼煙の方向を見た。
副隊長は一瞬、戸惑った。
「ですが、リナさん。相手は一年生の部隊ですし、主力はもうこちらで倒しました。残りは大した脅威にならないのでは?」
「いいえ」
リナは首を横に振った。瞳の奥が、さらに深くなる。
「もしあの陣地を守っているのが、彼なら。簡単な攻撃にはなりません」
「彼、ですか?」
副隊長が怪訝そうに尋ねる。
リナは答えなかった。
視線だけを、狼煙の向こうへ向ける。
「私はあの子を知っているわ。あの子の発明は、どれも一見すると馬鹿げている。けれど必ず、予想外の形で牙を剥く」
彼女はそこで言葉を切った。
口元に、複雑な弧が浮かぶ。
期待と警戒が、微妙に混ざっていた。
青風学院の隊員たちが集結していく。
増援は少数だが、精鋭であり、装備も士気も十分だった。
「全員、集合」
リナの声は冷静で、よく通る。
「これより、あの陣地へ向かいます」
彼女の視線は、狼煙から離れない。
胸の中で、一つの名を呟く。
アーガス・アイアンソーン。
青い瞳に、珍しく戦意と期待が揺れた。
今度は、何を用意しているのかしら。
リナは全員へ向き直った。
声には、普段よりも強い緊張があった。
「覚えておいて。私たちが向かう先にいるのは、普通の一年生ではありません。あの平民工匠の技術を、絶対に軽く見ないこと。奇妙な装置や罠を見つけたら、触らずに報告しなさい。独断で動かないで」
隊員たちは顔を見合わせた。一年生の平民を、そこまで警戒する必要があるのか。その疑問が表情に浮かんでいる。
だがリナの顔を見て、誰も口には出さなかった。
彼女は本気だった。
「どうやら、この試合」
リナは胸の内で呟いた。
口元に、戯れと警戒が混じった笑みが浮かぶ。
指先は無意識に、腰袋の中の小瓶を包んだハンカチへ触れていた。
「思っていたより、ずっと面倒な盤面になってきたわね」
隊列が、狼煙の方向へ進みはじめる。
リナの腰袋の中で、小瓶は静かに横たわっていた。
残り香は、まだ淡く消えずに残っている。
さらに大きな戦闘が、始まろうとしていた。




