第八話:【第五幕:風の算盤と、完成された罠】(挿絵あり)
戦闘は終局へ向かっていた。
リナはすぐに冷静さを取り戻した。
このまま同じ戦い方を続ければ、勝率は下がる。
相手の力は、小瓶によって彼女の予測を超えた。
だからこそ、やり方を変えればいい。
不利に見える局面ほど、リナにとっては取引材料が増える。
青い瞳がさらに鋭くなる。獲物の動きを追う鷹の目だった。
彼女の思考は精密な算盤のように、瞬時にいくつもの手を弾き出す。
南西。
リナは試合前に頭へ入れていた地図を呼び起こした。
古い石壁と、根の傷んだ大樹が並ぶ複雑な地形。
地面には碎石と窪みが多く、足場が悪い。
あそこなら。
「全員、風壁を使って後退。南西へ誘導します。隊形を崩さないで。焦らないこと」
カテリーナも、青風学院が下がり始めたことに気づいた。
小瓶の効果が、彼女の自信を膨らませている。
相手が怯んだ。
勝利が近い。
そう見えたのだろう。
「追いなさい!」
カテリーナの声は弾んでいた。銀灰の瞳に、勝利の光が宿る。
「逃がしてはなりません。私たちの力を証明する機会です!」
隊員たちの士気も高かった。彼女たちは小瓶のもたらした力を感じている。
勝てる。
その甘さが、視野を狭める。
青風学院の撤退は、見た目には乱れていた。
しかし実際には、リナの指示通り、少しずつ相手を予定の場所へ導いている。
やがて、両者は複雑な地形へ入った。
一方には古い石壁。
もう一方には、見た目こそ茂っているが、根がすでに腐りかけた大樹。
足元には碎石と窪みが散らばり、踏み込みにくい。
カテリーナは異常に気づかない。
小瓶の高揚が、彼女の判断を前へ前へと押していた。
彼女が欲しているのは、最後の一撃。
自分の力を示すこと。
フォン・シュタイン家の栄光を証明すること。
「全員、融合魔法の準備を!」
その号令に、中核隊員たちが彼女の周囲へ集まった。密な陣形が組まれる。
融合魔法。
複数人で一つの術式を編み上げる高位魔法だ。威力は単独魔法を大きく上回る。
その分、難度も高い。
参加者全員の集中、そして主術者による精密な魔力制御が必要になる。
わずかなズレが、術式の崩壊につながる。
カテリーナたちにとって、これが切り札だった。
「聖なる光よ、ここに降りたまえ」
カテリーナの詠唱が始まる。声は清く、荘厳だった。
古い鐘の音のように、林間へ広がっていく。
仲間たちも同じ聖詩を重ねた。歌声が響き合い、聖堂の聖歌隊のような共鳴を作る。
大気が震えた。
カテリーナの掌に白い光が集まる。先ほどよりも濃く、眩しい。
仲間たちの魔力が、細い流れとなって彼女の掌へ注がれていく。
白光は膨らみ、明度を増し、周囲の空気を歪ませた。
低い唸りが響く。
やがてその光は、天へ伸びる柱のようになった。
空気に焦げた匂いが混じる。
空間そのものが焼かれそうなほどの魔力だった。
「今です!」
カテリーナの声は、判決を告げるように響いた。
「聖潔なる裁きの光よ、降りなさい!」
まばゆい聖光が、神罰のように青風学院へ落ちていく。その軌跡は、目を焼くほど白い。
リナの唇が動いた。
「散開」
静かで、短い命令だった。
青風学院の隊員たちが、風に乗って一斉に散る。
聖光が叩きつけられたのは、彼らがいた場所ではない。
大樹の根元だった。
轟音が森を揺らした。
腐りかけていた根が、聖光に貫かれる。
大樹は獣のような軋みを上げた。幹の奥で、乾いた骨が折れるような音が鳴る。
そして、傾いた。
倒れる方向は、カテリーナ隊のいる場所。
彼女たちは反応できなかった。
小瓶は魔法能力を引き上げても、戦術判断までは鍛えてくれない。
さらに融合魔法を放った直後で、彼女たちの魔力には一瞬の空白ができていた。
巨大な樹冠が、山崩れのように落ちてくる。
葉が激しく擦れ合い、空を覆う音が響いた。
「いけな――」
カテリーナの声は、倒木の轟音に呑まれた。
最後の瞬間、彼女の目に浮かんだのは怒りだけではない。
困惑。
そして羞恥。
小瓶の力を得た。
かつてないほど魔法は滑らかに流れた。
彼女は勝利を掴んだと思った。
だが結末は、力の不足ではなかった。
正面からの敗北でもなかった。
相手の知略に、盤面ごと動かされた。
その事実が、彼女の誇りを刺した。
次の瞬間、青い防護球がカテリーナたちを包み込んだ。
試合の保護結界が作動し、安全区域へと弾き飛ばす。
彼女たちは脱落した。
戦闘は終わった。
けれど、リナに勝利の喜びはなかった。
彼女はその場に立ち、結界に運ばれていくカテリーナたちを見つめていた。
敵を倒した快感はない。
胸の中にあるのは、深い疑問と不安だった。
本来なら、軽く片づくはずの戦闘だった。それが、あの小瓶一つで、策を使わなければならない戦いへ変わった。
「あれは何?」
胸の中で呟く。
「これほど顕著な効果を持つものを、どうして私は知らないの」
リナは傍らの隊員に告げた。
「少し休ませて。私は戦場を確認します」
隊員は頷き、他の者たちを少し下がらせる。
リナは一人、先ほど戦闘があった場所へ歩いた。




