第八話:【第四幕:聖女の窮地と、赤く染まる聖詩】(挿絵あり)
林間の空地で、戦闘が全面的に始まった。
樹冠を抜けた陽光が、地面に斑の模様を落としている。
空気には魔法の波動が満ち、詠唱が走るたび、細かな気流が生まれた。落ち葉が舞い上がり、旋回し、また地に落ちる。
青風学院二年の隊員たちは、一年生とは明らかに違う戦闘経験を見せた。
一人の青風学院生が、片手だけで相手二名の挟撃を受け流す。
動きは軽い。熱身運動でもしているような余裕さえある。
指先に生まれた風刃が、指揮棒のように振るわれ、二つの火球をたやすく軌道から逸らした。
やはり一年生ね。
彼の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
青い風刃が空気を裂いた。
鋭い音を残して、カテリーナ隊の側面へ走る。
途中の枝が一瞬で切断され、木屑が陽光の中できらめいた。
「左です!」
カテリーナ側の隊員が慌てて防護盾を掲げる。
金色の聖光が空中に凝り、薄い壁を作った。
風刃がそれを叩き、鈍い音と白い火花を散らす。魔力同士が焦げ合う、鼻を刺す匂いが広がった。
だが、それは始まりにすぎない。
反対側では、青風学院の二人が同時に魔法を組み、小さな旋風を作り上げた。
旋風は落ち葉と土埃を巻き込み、濁った幕となってカテリーナ隊の視界を奪う。
葉の擦れ合う音が、耳元で無数の虫が囁くように響いた。
「見えない!」
「陣形を崩さないで!」
カテリーナの声が飛ぶ。そこには、隠しきれない焦りが混じっていた。
「その程度の小細工に、惑わされないこと!」
彼女は聖詩を唱えはじめた。声は清らかで、儀式めいた荘厳さを帯びている。
「聖なる光よ、ここに降り――」
掌に白い光が集まる。古い聖堂で焚かれる香のような、淡い匂いが漂った。
だが、放つ前に風の壁が彼女の正面で跳ね上がる。
詠唱の間が乱れた。
聖光球は制御を失い、空中で不安定に震え、やがて力なく散る。
「……っ」
カテリーナは唇を噛んだ。
戦闘全体は、まるで青風学院が一つの交響曲を指揮しているようだった。
風刃が空中で交差し、鋭い破空音を響かせる。
風壁が次々に立ち上がり、半透明の障壁が木漏れ日の中で薄青く光る。
複数の魔法が同時に励起され、空気の奥で低い共鳴が鳴っていた。
地面の落ち葉は巻き上げられ、散らされ、また新たな気流に拾われる。
森全体が、終わらない嵐の中に沈んでいく。
泥の匂いと青草の匂いが、かき混ぜられていった。
カテリーナの小隊の魔法は華やかだった。
聖光は神殿の聖火のように美しく、正統で、儀式的だ。
だが正面からの美しさは、森の戦場では重い。
「くっ!」
一人の隊員が風刃に掠められ、腕に淡い光痕を刻まれた。試合用の結界が痛みを抑えているとはいえ、痺れが動きを鈍らせる。
「耐えなさい!」
カテリーナは前へ出た。
その魔法は華麗で、正統で、儀式の気配を濃くまとっている。
「慈悲の甘露よ、乾いた魂を潤し、迷える者を光の懐へ導きたまえ」
掌の中で聖白の光が花開く。
彼女がそっと押し出すと、光球は羽根のように傷ついた隊員へ漂い、腕の光痕を柔らかく包んだ。
低い共鳴とともに、痛みを示す輝きが薄れていく。
しかし、戦局は変わらない。
青風学院は正面から彼女とぶつからない。
削り、乱し、分ける。
風の戦術は、カテリーナの聖詩を少しずつ息切れさせていった。
リナは戦場を静かに見ていた。
判断は速い。
相手の個々の能力は高い。だが戦術が硬く、連携は浅い。
典型的な一年生の精鋭部隊。
このままなら、五分以内に終わる。
「仕上げます。無駄に――」
リナが最後の指示を出そうとした、その時だった。
カテリーナと数名の中核隊員が、自然な動作で懐から小瓶を取り出した。
細い瓶だった。
工芸品としては最上級ではないが、十分に整っている。
貴族が携帯する増幅薬の小瓶に見える。
口元には金糸が巻かれ、封には薄い蝋が残っていた。
彼女たちは、誰の目も避けなかった。ためらいもない。
まるで普通の支援薬を飲むように、同時に瓶の中身を飲み干した。
淡く、どこか清らかな香りが空気に広がる。
思わず深く吸い込みたくなる、独特の匂いだった。
飲み終えたカテリーナは、リナに向けて微笑んだ。
自信に満ち、わずかに挑発的な笑み。
北境の荊棘の花。
フォン・シュタイン家の誇りが、そこにあった。
次の瞬間、変化が起きた。
カテリーナの瞳に、赤い光が一瞬だけ走る。
ごく短い瞬きだった。
だがリナは見逃さなかった。
カテリーナの全身を流れる魔力が、突然滑らかになった。
詰まっていた川筋が一気に開いたように、魔力が奔流となって巡る。
詠唱の速度が上がる。魔法の威力が跳ね上がる。
さらに、彼女は高位の魔法使いでなければ扱いにくい曲射に近い制御を見せた。
白い聖光の矢が、本来の直線軌道を離れ、空中で優雅な弧を描く。
風壁を回り込み、青風学院の隊員を正確に撃った。
「ぐっ!」
光矢が肩で弾け、まばゆい白光が散る。
隊員は枝から落ちかけたが、仲間の風壁に支えられた。
変わったのはカテリーナだけではない。
同じ小瓶を飲んだ隊員たちの魔法もまた、流れが変わっていた。
魔法は滑らかに、精密に、強くなった。
ぎこちなかった連携が、急に噛み合いはじめる。
硬かった戦術に、奇妙な柔軟さが混じった。
戦局が、一瞬で傾いた。
リナの表情が引き締まる。
いつもの計算と戯れを含んだ青い瞳に、深い警戒が宿った。
彼女は無意識に重心を低くする。
観察者の余裕が消え、強敵を前にした緊張が全身を満たしていく。
何なの、あれは。
増幅薬。
けれど、効きが早すぎる。
魔力の流れは荒れるどころか、むしろ細く滑らかに整っている。
単なる強化ではない。
リナの胸中に、商人としての不快感が走った。
これほど目立つ効能を持つ品を、ヴァンデル商会の耳目が掴んでいない。
強敵よりも、出所の知れない品のほうが怖い。
それは知らぬまま市場に流れ込んだ、掌の外にある価値だった。
だが今は、そこへ意識を割く場面ではない。
「全員」
リナの声が風に乗って届く。珍しく、そこには硬い緊張があった。
「相手の魔法の勢いが増しました。やり方を変えます。無理に押し切らないで。陣を保ったまま下がります」




