25 どうでもいいよ!
追尾の矢はバースの近くを旋回し攻撃を続ける。矢には生贄の血が塗られており、血魂銃と同じような効果がある。
ハァズはともかく魔物のバースが食らえば命が危ない。
輝士団がこんな恐ろしい武器を持っているなんて聞いていない。矢を何とかしない限り、ここから外に出ても攻撃は止まらないだろう。
奴らがが突入してきた時に強引にでも脱出するべきだったと、バースは今更ながら後悔していた。
正確に追尾されてはかく乱も意味が無く、分身も無駄な力を使うだけだ。
ならば、と彼は分身を全て消し去った。当然輝士団の視線は自然と中心にいる自分達に向けられる。
バースが長髪をかき上げ肩を露出させると、肌には黒いハートマークが浮かんでいた。
「転・身」
ハートマークがピンク色の光を放つと、バースが眩い光に包まれた。
次の瞬間、現れたのは青い長髪の美青年ではない。
流れる金髪と悩ましいボディを持つ絶世の美女が男達の前に姿を現した。しかも裸に男物のシャツ一枚というツボを押さえた装い。
インクは人間を誘惑して生きる魔物。どんな相手でも堕とせるよう性別を変化させる事が出来るのだ。
輝士団はほぼ全員が男。バースの艶やかな姿に見惚れた隊員達は武器を落とし動きを止めた。
兵装の対魔物用遮光フィルターを突き抜ける程の威力。
全ての力を注いだ誘惑は文字通りバースの最後の手段で、もう戦う余力は残されていない。
追尾矢も標的の姿が変わった事で僅かに速度を緩めた。ハァズはチャンスを見逃さず展開していた血の武器を元の液体へと戻す。
降り注いだ血液は矢に巻かれた予言札を染め、効果を失わせる。追尾矢は普通の矢に戻り壁や床に突き刺さった。
「浄化剤を散布しろ。ああくそ!そっちもか」
怒羅魂を操る鬼雀の乗組員もバースのセクシー攻撃にやられて反応しない。
とりあえず近場の隊長を殴りつけて正気を取り戻させる。原始的な手段だが手っ取り早い方法だ。
他の隊員達は重装備過ぎるので後回しだ。
「う、もうちょっと優しく起こしてもいいじゃないか」
「やかましい!死に損ないの老人のくせに盛りやがって。魔物を逃がしやがったら貴様の退職金を頂くからな」
痛む頬をさすりながら目覚めた隊長は、浄化剤の用意のため機体に戻る司令官の姿を見送った。
これで司令官が女で良かったなどと口にしたら、自分の財産や土地全てを根こそぎ奪われたかもしれない。
「さて」
隊長は血魂銃を手にバースの前に立った。
果たしてたった一人でこの魔物と子供を足止め出来るだろうか。
未だバースの放ったフェロモンは辺りを漂っていて、気を抜けばまたすぐにでも精神を持っていかれそうだ。
鍛え抜かれた隊員達は誘惑と戦い、体を動かせない程度で済んでいるが、一般人なら即座に魔物に寝返り味方に攻撃を加えるレベルだ。
「愛しいあの人のために死んで下さい~!」
瓦礫の中から復活したロベオはすっかり虜になり、ライーザに襲い掛かろうとしている。
占い師なのに一般人レベルに影響を受けている彼を見て、彼女もさすがに情けなく思った。ふらふらと近寄るロベオを正気にさせようと彼女は顔面パンチを繰り出した。
「ぶへっ」
間抜けな声を上げて倒れたロベオは再び瓦礫の山へと逆戻りとなった。
頭を打った彼の意識はぷっつりと途絶えた。金髪美人に鼻の下を伸ばす彼を見て、怒りを感じた拳には思いのほか力が入っていたようだ。
戦いの巻き添えにならないようライーザはロベオを引きずって部屋の隅へと移動した。
怒羅魂の攻撃を切り抜け、邪魔な輝士団は一名を除いて攻撃不能。おまけに厄介な占い師は両手が塞がっている。
逃げるなら今しかない。あの老人の攻撃などハァズがいれば通用しない。
バースは逃走のため今度こそ足を踏み出した。
が、なぜか二歩目を踏み出せない。まるで床に足が固定されたかのようにびくともしない。
どうした事だ。輝士団の妙な武器が動いた様子は無いし、占い師の女はこちらを向いてもいない。
ハァズには全力で守れと命令したのだから、予言や占いでこちらに危害を与えようとすれば自動的に対処するはずだ。
ほら、あの男が予言無しで投げようとしているナイフ。あれもすぐに止められる。
「?」
夜衣がナイフを投げるモーションにバースは違和感を覚えた。妙にゆっくりとしている。
攻撃してくれと言わんばかりの動作に、すぐにハァズが反応し攻撃を加えるだろうとバースは思った。
だが、ナイフが夜衣の手を離れてもハァズは動かない。
「何をやってる!」
こちらは今身動きが取れないというのに。あの男の事だ、きっとまた妙な仕掛けを仕込んでいるに違いない。
だったら風圧で吹き飛ばしてやろうと羽を動かそうとしたところで、ふと気付く。
この軌道は自分を狙ったものではない。後ろにいるハァズに向けられている。
予想通りナイフはバースの側を素通りした。だからハァズは反応しなかったのだ。
どうする?迎撃させるべきか。今すぐ自分を動けるようにしろと言うべきか。
「いや待て、さっきも同じような事が」
ハァズに攻撃と認識させない攻撃。もしかして自分が動けないのもそのせいではないかと、バースは足元をよく観察した。
先程顔を映していた破片が無くなっている以外は何も変わっていないように見える。
足元にあるのは大きな水溜りだけ。ただの水に見えるが、異様な吸着力で足が縫い付けられたように動かない。
普通の水にこんな性質があるわけない、と考えたところでバースは気付いた。
仲間割れをしたとばかり思っていたロベオとライーザが、いつの間にか裏で動き夜衣に協力していた事。そして仲間割れの理由を。
「あ~ら、ようやく気付いたようですわね」
足元から声が響いたと思うと、水面に緊張感の無いファンシーな顔が浮かび上がった。
そう、ハァズに引き裂かれて死んだはずの離津留が水に擬態し、バースの足を止めていたのだ。
「あの程度の攻撃でわたくしがやられるとでも思って?こちとら最先端科学と予言の力で作られた合成生物ですのよ。野蛮で教養の無い魔物とは訳が違いますわ」
離津留が死んだフリをしたのは、たった一人で襲撃者を迎え撃つバースを不審に思い、罠があると警戒していたからだ。
夜衣も同じ事を考えていたため、離津留がバラバラにされても動揺せずあえて彼女を死んだように扱った。
万が一の時に敵の目を欺いて形勢逆転を狙う為に。
ライーザが怒り出したのは計算外だったが、離津留が生きている事とバースを騙すための作戦だと知ると、納得して自身も仲間割れの演技をした。
ちなみに、ロベオに知らせてしまうと作戦がバレてしまう可能性があるため、柱の上に上ってからも教えられる事は無かった。
もし知っていたら誘惑を受けた時に全てを話してしまっていただろう。
夜衣も予言を使わず余力を残していなかったら、ロベオのように操られていた。
鉄壁のガードを誇るハァズも見えない物までは対処出来ない。相手を傷付けない足止め目的だったのなら尚更だ。
協会がハァズをお蔵入りにしていたのは、感情を持たないがために融通が利かず、扱いづらいというのが本当の理由だったのかもしれない。
「わたくしの目の前で夜衣様を誘惑しようだなんていい度胸ですわ!」
離津留は体を伸ばし、バースの足元に巻きついてギリギリと締め付けた。
上半身まで行くと誘惑の効果が上がってしまうような気がしたため、足から下の位置に留めておく。
「このっ、下等生物のくせに」
バースは自由な尻尾をゼリー状の体へと打ち込んだ。インクの尻尾には猛毒が仕込んであり、人間は元より大型の魔物の命をも奪う威力がある。物理攻撃が効かないのなら内部から、という考えは間違っていない。
通常の魔物相手なら。
「オーホホホ、毒なんて効きませんわよ。わたくしを分解させたいのなら濃縮聖水でもお持ちになる事ね。もっとも、巻き添えを食って心中するつもりがあればの話ですけど」
「ハァズ!引きちぎって油をかけて燃やせ」
「灰になっても水があれば復活しますわ」
「溶鉱炉に投げ入れて蒸発させろ!」
「換気ダクトから外に出て以下略ですわ」
二人の会話を聞いていたリリガスは、ブラッドマンが最強の魔物だという自信が揺らぐのを感じた。
倒すべきなのは人道を無視した協会より、最弱の魔物にここまで外道な能力強化を施す技術を持つ夜幻秘密結社ではないのかと。
「とにかくこいつを引き離せ!」
いつまでも動かないハァズに業を煮やしたバースは振り返り叫んだ。ところが肝心のハァズは下に視線を向けたまま動かない。
足元には破れたビニールパック。漏れ出た液体が床にシミを作っていた。
ハァズの点滴棒の先にあるべき物が無い。夜衣が放ったナイフは制御剤のパックを切り離していたのだった。
これではバースはハァズに命令出来ない。
「馬鹿が、制御剤を失ったらハァズは本能的にしか動けなくなる。人間は皆殺しだ」
今まで様子見だった隊長はバースにガードが無くなったのを知り、血魂銃の引き金を引こうとする。
すかさず離津留が声を出した。
「ちょっと待って下さいな、おじ様」
「お、おじ様?」
軟体生物に妙な呼び方をされ、戸惑う隊長の前に夜衣が進み出た。
ハァズを無力化する前にバースを始末されては困る。
不運の呪いを活用して事態を収拾するには、呪いを受けた本人に生きていてもらわなくてはならないのだ。
「残念だがそいつは通常時の話だ。てめぇがガキに全力を出せと言ったのを忘れたのか」
「どういう意味だね」
魔物という共通の敵を前にして争うのは不利益だと判断した隊長は、一旦銃を下ろしてお色気バースから視線を外した。
これ以上長く見つめていると、またフェロモンに惑わされてしまいそうだ。
正直司令官の攻撃を二度も受けて意識を保っていられる自信が無い。
隊長が話を聞く態勢に入ったのを確認した夜衣は話を続ける。
「ガキの制御剤が底をつけば暴走の危険があるが、あくまで協会の実験の範囲内。想定外の事態を計算に入れていない」
「何言ってんだ?ハァズは優秀な兵器。魔物相手の実戦経験だってあるんだ」
仲間を呼ぶための時間稼ぎか。悠長にしていたら逃げ遅れてハァズの餌食になるだけだ。
だったら夜衣の無駄話を利用してやろうとバースも口を出した。
ハァズが殺戮兵器として再起動すれば奴らはすぐにでもあの世行き。
主人か死んだらこの馬鹿な下等生物も己の愚かさを知り、自分を解放するだろう。そう思って夜衣達を嘲った。
しかし、同じように夜衣にも笑みが浮かんでいる。
「予言者とブラッドマン、両方を相手にしての消耗を計算していると思うか?」
ぱたりと、小さな体がうつ伏せに崩れた。力を使い果たしたハァズはすやすやと寝息を立てている。
バースの命令に応えるために自らの身を削り、戦い続けたハァズはこれ以上の消耗は生命の危険があると本能的に判断。
獲物を狩る事より休息を選んだのだ。
協会兵器とはいえ、まだ小さな子供。ハァズの身を心配していたリリガスはほっと胸を撫で下ろした。
バースが呪いを受けていなければ一か八かの賭けになっていた。呪い無しなら夜衣の不幸が上回ってハァズは暴走していただろう。
「さてと」
夜衣と隊長の視線が金髪美女へと化したバースへと向けられた。
最大の守護者を無力化出来た今、バースを生かしておく必要も無くなったというわけだ。
「もう撃ってもよろしくてよ。でもわたくしは狙わないで下さいな」
隊長にウィンクを送る離津留。ちなみにインクと違って誘惑の効果は無い。
「私に任せてもいいのかね」
「別に魔物を倒しに来たわけじゃねぇ。あんたが始末するつもりなら好きにすればいい」
協会に侵入し、総帥代理で指揮を執っていたバースを打ちのめす事で当初の目的は達成された。
総帥が愛人の魔物を白百合と偽り、協会を捨てて逃げたと輝士団に知られてしまった。
権力の崩壊も時間の問題だ。
これ以上留まれば復活した輝士団を相手にしなければならない。
下手をすると警備隊が輝士団本部からの増援を要請している可能性もある。
夜衣は待たせている破切果を拾って脱出するつもりだ。今なら鬼雀も精鋭部隊も動けない絶好のチャンス。
「は、早まるな!元々オレは協会の、人間の味方なんだよ。本当だって」
頼みの綱のハァズが使えないと分かると、バースは最早逃げられないと悟り命乞いを始めた。
幸い銃を向けている隊長も夜衣も男。最後のフェロモンを振り絞って強力な誘惑を仕掛ける。
「離津留」
「お任せを」
バースの企みを察した夜衣に応え、離津留が触手を伸ばし絡みつかせた。美しい顔へ。
「ふが!」
絶世の美女の顔は歪められ見る影も無い。
こんな不細工顔ではどんなにフェロモンを駆使しても男を誘惑出来るはずがない。むしろ滑稽だ。
「その顔で夜衣様をたぶらかそうだなんて千年早いですわ。まぁ元の顔でもわたくしの美貌には敵いませんけど」
「全く、女性というのは恐ろしいものだね」
夜衣に話しかけるでもなく呟いた隊長は、血魂銃の照準を再びバースへと向けた。
「待っへ!待っへっへは!ほうは、いへにえをふはわはいへへっほんひゅうをふくうほうほうを教へ」
「悪いが、私の好みは黒髪ロングだ」
「聞いてねえよ!」
バースの最期のツッコミと血魂銃の銃声が響いたのはほぼ同時だった。
「よしっ。これで完成ですね」
同時刻、破切果はようやく夜衣に命令された指令を完遂していた。
足場の少ない高所での作業を命綱無しで行うのは、人間とは違う感覚を持つ合成生物だから出来る事だ。
文字に間違いが無いか、破切果は書いた字の最終チェックを行った。
外壁には大きくこう書かれている。
“制圧完了 夜幻秘密結社”と。




