19 愛LOVE
「やめときなよ、いくら予言者でも人間が魔物に勝てるわけ」
「ふん」
バースが言い切る前に一気に距離を縮めた夜衣が、顔面に拳を叩き込んだ。ボロキレのように吹っ飛ぶ羽の生えた男。
だが壁に叩きつけられたバースは先程の男のように黒い霧に変わり消えてしまった。
「おー、こわっ。夜幻秘密結社の予言者は危険だって聞いてたけどホントだな」
声の方へ振り向くと柱の上に座る二人のバースの姿があった。
彼が余裕のある態度を取っていたのは、身代わりを用意して自分は安全な場所にいたからだ。
となると今喋っているのも本人とは限らない。本物を見つけない限りいくら攻撃しても無駄だ。
協会に属するインクの男は予言者の厄介さを良く知っていた。最初からまともに戦うつもりは無い。
時間稼ぎのために逃げ回られては、いずれ輝士団本部からの増援が駆けつける。
早く制圧を完了しなければ一斉攻撃を受けてしまうだろう。
体力と精神を使い果たしてしまえば生きて帰るのは不可能。侵入者の口さえ塞いでしまえば後からどうにでもなる。
だから総帥はすぐさま避難し、インクに足止めを任せたのだ。バースが侵入者を倒してしまえば儲けもの。
もし敗れても輝士団が駆けつければ問題無い。
夜衣は一つ溜息をつくと、能天気に笑っているバースに向き合った。
「間抜けなてめぇに一つ助言をくれてやる。人間、特に女を簡単に信用するもんじゃねぇぜ。奴等は平気で理性を捨てる生き物だからな」
合成生物だから自分は当てはまらないと離津留は知らん振りをした。占い師二人組が注視しているのも無視する。
「ハァ?何言ってんの。俺に夢中の女が裏切る訳無いじゃん」
「モテないからってひがむなよ」
二人のバースは非対称に動き口を開いた。それぞれが意思を持っているようで全く見分けが付かない。
「そうだな、女に裏切るつもりは全く無い」
軽口を否定せず悪口にも動じない夜衣にバースは違和感を覚えた。こちらを動揺させて本体を見破ろうという魂胆かと思ったが、どうやら違うらしい。予言を使うつもりだろうか。
しかし占い師の予知では協会に侵入した予言者は予言を使わないと出ていた。相手は予言よりも己の力に自信があるらしく、口より先に手が出る性格だとか。
実際輝士団本部を襲撃したこの男は、大勢の隊員を相手に素手で渡り合ったという。
本来の力を持たないとはいえ、身代わりの分身も簡単に殴り倒されてしまった。
予言も使わずにこの男は一体何をするつもりなのか。笑みを浮かべながらもバースは注意深く夜衣の言動を観察していた。
「何が言いたいワケ。俺、男とのお喋りは好きじゃないし」
「命乞いしても受け付けないよ」
一人は飽きた様子で柱に座り、もう一人は空中で頬杖をついている。軽い調子ながら二人とも夜衣に視線を集中していた。
「てめぇは人間に対する経験が足りねぇな。奴等は愛情が強過ぎるとある思考に到達するのさ」
一旦言葉を区切ると、夜衣はゆっくりとこう言った。
「自分だけのものにしたい。他の誰かに渡すくらいなら殺してやるってな」
バースの背に悪寒が走った。
そういえばあの女、なるべく時間を稼げと言っていた。輝士団の増援が駆けつけるまで奴らを足止めするだけでいい。
後は手を出さずに白百合のふりをしていれば全て片付くと。
予言者は危険で何をするか分からない。部屋の防衛設備は利用される恐れがあると撤去された。
占い師の予知があれば大丈夫だろうと俺が言うと、予言によって未来が書き換えられる事もある。鵜呑みにするとかえって危ないと却下し、占い師共を全員連れてここを離れた。
女が必死に俺を心配していたのがおかしくて言う通りにしてやったが、もしあれが嘘だったとしたら。
バースの能力は相手を魅了し心を奪うものだが行動を完全に操れる訳ではない。
愛の形は多種多様。中には夜衣の言うように危険な考えを持つ者があってもおかしくない。
彼が今まで落としてきた女性の中にはそのような者はいなかった。ただ今回の相手は世界を掌握する地位を持った人物。
普通の女とは違う部分があるかもしれないという考えが頭をよぎった。
「なんてな」
女の恐ろしさを真面目に語っていた夜衣がにやりと笑う。
「はァ?」
急な態度の変わりようにバースは間抜けな声を洩らした。
何を言っているのだと思った彼の耳に、ふとそれまで入らなかった小さな声が聞こえた。
音の方に視線を向けると離れた位置にある柱の影から顔を出しているライーザの姿があった。他の二人も隠れたのか姿が見えない。
それはいい。予言者の仲間など自分にとって大した障害にはならない。隠れようが逃げようが後から始末すればいいだけの話。
問題なのは占い師の女が花を片手にこちらを指差し、口にしていた言葉。
「偽物、本物、偽物」
花弁を全て落としたライーザが二人のバースのうちの一人を指していた。
「ご苦労さん」
ライーザの声に反応し、夜衣から視線を外した一瞬のうちにバースは強烈な一撃を食らっていた。
足場から叩き落された彼が見たのは、柱の上でもう一人に蹴りを加えている夜衣の姿。偽者は耐久値を超えたダメージを与えられ、煙を上げて消滅した。
落下したバースが体勢を立て直す間を与えず彼は追撃。
高所にある足場から飛び降り某バイク乗り改造人間さながらのキックを炸裂させた。床に叩きつけられた魔物を下敷きに着地した夜衣は攻撃の手を緩めない。
馬乗りになったまま頭突き・肘鉄・膝蹴りなど容赦無い打撃を加えてゆく。魔物を相手に肉弾戦を行うなんて常識では考えられない光景だった。
「どっちが魔物デスか」
ロベオが思わず呟いたのも無理は無かった。痛めつけるのをあらかた終えた夜衣は最後の仕上げへと取り掛かった。
「離津留」
「お任せを!」
声を掛けられた離津留は既に変身を解除しており、夜衣の背に張り付いてスタンバイしていた。
体を伸ばしバースの体を拘束する。彼女が人間ではないと気付いたバースは驚きに目を見開いた。
「軟体生物だって?最下位の魔物に変身能力が有るなんて聞いてないぞ!」
「別にてめぇに教えてやる義理は無ぇよ」
床に固定されて身動きの取れない男に向かって、夜衣は両の拳を思い切り振り下ろした。怒涛の攻撃で思考する時間を与えず、一気に追い詰める。相手が人間でも魔物でも変わらない。
夜幻秘密結社での地位は最下位だが、戦闘能力で彼を上回る者はいない。
魔物の力を封じ込め圧倒する程の強さに、本当はバースがただの人間で夜衣が魔物なのではないか、とライーザも柱の影で思っていた。
「トドメだ」
夜衣は服の下に隠し持っていた弾丸の入った血魂銃を取り出した。
先程投げ捨てられた銃は壊れ、自分にとって大きな危険は無いとバースは高をくくっていた。いくら秘密結社の予言者といえども、人間の攻撃は魔物に対して致命傷は与えられない。
現にこれだけ一方的な攻撃を加えられてもバースを倒す決定打とまでにはなっていない。
魔物の息の根を止めるためには予言を使用するか、聖水や血魂銃の弾丸のような特殊な力が必要だ。
「てめぇが自分で言ったよな。人々を苦しめてきた奴を仕留めるに相応しい武器だってな」
銃口を眉間に突きつけられ、ようやくバースは自分が危機的状況にある事を悟った。全ては罠だったのだ。
そうだ、女が自分を裏切るなんてありえない。こいつの口車に乗せられて一瞬疑ったが、あの女は間違い無く自分に心酔していた。
かつて協会を守っていたブラッドマンが遺した物まで差し出したのだ。全てを無に還すとも言われた最終兵器を。
「望み通りこいつで脳天をブチ抜いて終わらせてやる」
協会の最重要機密。本当に最後の手段だが、これなら仲間もろとも目の前の男を葬れる。
たかが人間のくせに散々自分をコケにしやがって。馬鹿な予言者には似合いの最期だ。この部屋に呼び出したのも万が一という時のため。隠し部屋にある兵器はすぐに起動できるのだ。
うかうかしていれば短気そうなこの男はためらわずに引き金を引く。下手に動こうとすれば気配を察して鉄拳を上乗せされるだろう。
ここまでの思考時間わずか一秒。
バースは追い詰められた状況を打開すべく即座に行動を起こした。
「―――!」
突然響いた超音波。耳をつんさく音はバースの翼から発せられていた。
押さえ込まれた状態では本来の威力を発揮出来なくとも、至近距離にいる夜衣には確実に届く。今の夜衣の体勢ではすぐに立ち上がれないだろう。
長く聞き続ければ耳どころか脳まで破壊する超音波は、とても人間が耐えられる代物ではない。
夜衣が取るべき行動は二つ。両手で耳を塞ぐか、音波を発する元凶のバースの息の根を止める。
耳を塞ぐには血魂銃を手放して両手を自由にしなくてはならない。バースを始末するにも銃の照準は超音波で乱され、一撃で仕留めるのは困難だ。
少しだけ時間を稼げればいい。それまでこの高慢な男が焦る姿を見物してやろうと顔を上げたバースは、衝撃を受けた。物理的に。
「うるせぇ」
夜衣に顔を殴られたとすぐに分かった。血魂銃に頼らず攻撃を当てるには正解だとしても、今の状況では無意味な行動。致命傷を与えるどころか致命的なミスだ。
勝った。秘密兵器をわざわざ呼び出す必要も無かった。
「バッカじゃねーの!」
バースは笑いを堪えきれず噴き出した。
一発逆転を狙うならせめて羽を狙えばいいものを。どちらにしても超音波を放つ羽に拳を打ち込まれても、大したダメージは受けないので意味が無いのは同じ。馬鹿過ぎる。
馬鹿なこいつは迂闊な行動で数秒のうちに命を落とすのだ。
協会の連中が恐れる予言者にどんな凄い力があると身構えていたのに。ここまで頭の悪い男だとは思わなかった。
秘密結社などという仰々しい看板を掲げても、所詮は人間。魔物の力には敵わない。
先程追い詰められたのも単なる偶然だ。どうしてこんな予言者を協会も輝士団も恐れていたのか。
「馬鹿はてめぇだ」
夜衣の声と共に額に感じる金属の感触。
「へ?」
バースの頭には再び銃口が押し付けられていた。夜衣は超音波を真っ向から受けていながらも涼しい顔をしている。
痩せ我慢には見えない。
なぜだ。この攻撃を受けて平気な人間など存在するはずがない。いくら奴が人間離れしていたとしても限度がある。
予言をするような素振りは見えなかったし、暇も無かったはずだ。
「所詮野良は野良。エリート教育を受けたわたくしと夜衣様の最強コンビに勝てるものなどありませんわ」
夜衣の背中から見下ろす離津留の声には優越感が滲んでいた。最低ランクの単細胞生物に見下されたバース。
瞬殺したいところだが手足をぐるぐる巻きにされたうえ、夜衣に圧し掛かられているので身動きが取れない。
ゼリー状の体には超音波攻撃も効かず、表面がぷるぷると振動しているだけだった。
体に巻きついた触手から本体の離津留へと視線を動かしたバースは、そこでようやく気付いた。
自分を拘束する他にもう二本、触手が伸びていた。触手は真っ直ぐ夜衣へと続いている。
彼は思わず驚きの声を上げた。
「耳栓だって?」
夜衣の耳は離津留がしっかりとガードしていた。耳あてのような形で覆い、超音波の衝撃を吸収している。夜衣は両手が自由なままバースに銃を向けていたのだ。
「わたくし達の連携と愛の力に、偽物の愛しか語れぬインクの攻撃など通用しませんわよ」
愛の力と聞いた夜衣は今この場でややこしい事になっても面倒だと思い黙っていた。代わりに顔面で思い切り否定する。
「まぁそういう事だから。とっととくたばれ」
バースの相手をするのが面倒になってきた夜衣は、全く躊躇せずに引き金を引いた。
命乞いなどする間も与えない。最初から話を聞いてやるつもりもない。
銃声の乾いた音が部屋内に響いた。思わずロベオは目を閉じ、柱の影に隠れた。
相手が人間だろうが魔物だろうが、誰だって生きている者が命を落とす瞬間など見たくない。人の未来を見る事が出来る占い師だってただの人間なのだ。
ともかくこれでようやく恐ろしい魔物とおさらば出来る。後はどうしたらこの予言者が世界征服するのを防げるかという事だけ。
ロベオが目を開こうとした矢先の事だった。
「きゃー!夜衣様!」
離津留の叫びの後、べしゃりという音と共に彼の足元に何かがぶちまけられた。




