約束の場所
昭和二十年。
南海の孤島、ナイスショッ島にて――
(おのれ……おのれ鬼畜米英め! 我が同胞の為にも必ず一矢報いてくれるぞ!)
大日本帝国軍少尉、井伊 嘉良派は、すでに弾の撃てない銃剣を手に、島の森部へと分け入っていた。
米国の圧倒的物量作戦に撤退を余儀なくされ、幾多の同胞の犠牲の末の無念の敗走。華々しく玉砕でも出来ればまだ名誉だったのだが、上からの命令ではそうもいかなかった。
挙句に撤退船を米機に沈められ、漂流して命からがら辿り着いたのがこの島だった。丘の上には憎きアメリカの旗がなびいており、ここが奴らの拠点のひとつであることは明らかだ。
(せめて……我が大和魂を持って、目に物見せてくれるッ!!)
三十五歳になる井伊は強靭な肉体と不屈の精神で、学歴に頼らず少尉までのし上がっていた。だがこの撤退でもはや栄光は望めず、生きて帰っても妻や子が肩身の狭い思いをするだろう……ならばここで敵兵を一人でも減らして、お国の為に散るまでだとの悲壮な決意で、森を抜き足で進んでいく。
と、長い葦の草の生えている向こうで、わずかな潺を感じ取った。
(いるか、鬼畜米兵ッ!)
銃剣を構え、音を立てぬように一歩一歩近づいて……猛ると共に飛び出した!
「いざ参る、覚悟ぉっ!!!」
「エ……ジャ、ジャップ!?」
そこに確かに米国人はいた。だが、井伊はその振り上げた銃剣を突き刺す事が出来なかった。
「……子供ではないか! なぜこんな所におるッ!」
見れば十やそこらの少年がひとり、ぶかぶかの軍服を着ているだけであった。どう見ても軍属とは思えず、手にしているのも銃や剣の類ではない、鉄棒にT字型の板がついたものでしか無かった。
「それは……何を持っておる」
「エ……パター、デスケド」
井伊はその子供に話を聞いた。彼は米軍少将の御曹司で名前はシン・P・ヘイジョー。戦争が優位になり物見遊山気分で家族ぐるみで前線近くまで来たが、嵐にあって軍艦が座礁して転覆、家族や乗員はこの子を除いて溺れたりサメに食われたりして、唯一あったボートに乗せられたこの子だけがこの島に流れ着いて助かったそうだ。
それ以来ここでサバイバル生活を続け、見える所に米国の旗を立てて助けを待っていたらしい。
「日本語が話せるのは助かるな。しかし逞しいものよ」
「ミスターハ、ジャップ、ナンデショ? ミーヲ、コロサナイノ?」
「わしは栄誉ある帝国軍人である! 敵国人とはいえ子供に手をかける真似などせぬ、貴様ら鬼畜米英と違ってな!!」
「NO! ステイツ・ソルジャーハ、ソンナコトシナイ。ミンナ、ジェントルメンダヨ」
話すにつれ、お互いの敵国への認識がズレていることを知っていった。最も井伊には戦争という状況が、より人を残虐にすることは理解してはいたが。
「で、こんな所でそんなものを持って何をしておる?」
「……ゴルフダヨ、アンダスタン?」
見れば確かにパターと共に、足元には白い球が転がっている。
「呉竜府くらい知っておるわ。だかなぜそんな物を?」
「パーパノ、カタミダヨ、パーパハ、スーパープレイヤーナンダ」
彼の父は米国でその名の知れた名ゴルファー、”チーピン・D・ヘイジョー” との事。その説明を受けた井伊はふむ、と一考し、シンにこんな話を持ち掛ける。
「どうだ小僧、わしとそのゴルフやらで勝負せぬか?」
井伊は思う。いかに敵国人と言えど、こんな子供と戦う訳にはいかぬ。ならばこ奴の得意なゴルフとやらで勝利し、日本国民の優秀なるを知らしめるのも一興ではある。
ここには米国の旗がなびいておるゆえ、やがて来るのも日本の船ではなく敵兵であろう。もしその中にゴルフができる者がおれば、そやつをゴルフで打ち負かしてから処刑されるのもまた一興であろうな、と。
――――――――――――――――――――――――
「イェア! キョウモミーノカチダ、イーカラハ、ショクリョウヨロシクネ」
……それから十日連続、井伊はシン少年に惨敗を続けていた。罰の食糧集めに森に入り、バナナや山菜を集めつつ、あんな子供にも勝てない屈辱にその身を焦がす。
一方でシンはその間、ゴルフをする舞台や道具をせっせと整えていった。草を刈ってフェアウェイやグリーンを作り、クラブもパターしかないので固い木の枝を切って手製のウッドをこしらえたりした。大抵は2~3度打つとへし折れたりしていたが。
「ぬぅっ! 五打差まで詰めたのであるが……無念ッ!」
「イェア! コレデ30レンショー、ジャア、イーカラハ、マキヒロイプリーズ♪」
連日連日子供に負け続ける日が続いた。が、もう井伊はそれを屈辱とは思わない。やってみるとこのお遊びが想像以上に奥深い物である事を思い知ったからだ。
「特にあのパターとかいうもの……あれほどに難しいとは!」
シンのパッティングはもう異常なほどに毎回穴に吸い込まれていった。雑草を刈って踏みつけただけのデコボコなグリーンを乗り越えてカップに辿り着くその様は、まさに魔術のようであった。
それはシンの親による英才教育の賜物らしく、この戦争が終われば彼は間違いなく世界に名を知らしめるゴルファーになるであろうことを、井伊はもう確信していた。
薪を拾いながら、フフ、とほくそ笑む井伊。自分の命などここに米軍が来るまでであろうが、その先の未来に自分とゴルフで遊んだ子供が英雄になるのなら、悪くは無いのかも知れぬ、と思いを馳せて。
「ヌ……これはまさか、柿の木か!?」
薪拾いの最中、見覚えのある一本の木を見て思わずうなる井伊。南国の孤島故に近異種のなにかであろうが、それは確かに柿の木に近い樹木であった。
(確かシンが、柿の木は最高の ”どらいばー” とやらの材料になる、と言っておった)
柿の木のドライバー。 ”パーシモン” と呼ばれるそれは、金属製のクラブの登場までは主流であった。固く重量のあるその木で作ったクラブは、芯を食えば強烈な伸びを実現する、未来でも愛好家を多く持つ古の逸品ともいえるものだ。
早速シンを呼んで、その木を吟味してもらう井伊。
「イッツ、エークセレントッ! コレデツクレバ、ビッグドライブマチガイナシ!!」
歓喜するシンに井伊はようやく一矢報えた気がして、満足げにうんうんと頷く。ここに来てからこの子供にしてやられっぱなしであったが、やっと目上らしい貫目を見せられたか、と。
その日から早速ドライバーの制作に入った。住み着いている洞穴の中で木を削り、形を整え、水にぬらしたり火であぶったりしてしなりを調整。何度も失敗し、折れ、ひん曲げ、削り過ぎて不格好になり廃棄。そんな事を繰り返しながら……
ついに一か月後の夜、一本のドライバーが完成した。
「見事な出来栄えであるな!」
井伊がぶぅん、とそれを振って感触を確かめる。もちろん本職が作ったものに比べればいびつで不格好ではあるが、それでも二人にとっては極上の逸品である事は間違いない。二人とも、このドライバーを振る明日を想像してワクワクを押さえられないでいた。
「イーカラハ、コノパーシモンニ、レッツネーミング!」
「ふむ……真名を付けようというのだな」
二人であーでもないこーでもないと名前を考える。基本英語にする事はシンが譲らなかったので、井伊は日本的な ”魂” という単語を入れることで妥協した。
――ドラコンスピリット――
飛距離を競うドライビングコンテスト。そのドラコンに誰よりも遠くへとの「魂」を込めた一本として、そう名付けられた。
翌朝。ドライバーを持つ井伊とパターを握りしめたシンが、期待に胸躍らせて洞窟から飛び出した時、目にしたものは――
戦闘機から投下された、目の前に迫る、一発の爆雷弾であった。
米軍のものか、日本軍のものかは分からない。単機であったことからも軍事作戦の類ではないであろう、偵察機が気まぐれに落としたのか、位置を失った迷走機が燃料切れで墜落寸前に自棄になって放ったのか、それは分からない。
そんな事は、どうでもよかった。
ただそれが、井伊とシンの楽しい時間の、終わりを告げる事だけは確かだった。
――――――――――――――――――――――――――
「……シン、シンよ……生きて、おるか?」
地面に倒れたままそう言うイーカラハ。全身に火傷と裂傷が走っており、その右手はヒジから先が無かった。全身をむしばむ激痛と熱に耐えながら、シンがいた方向に向かって何とか寝返りを打つ。
「おお、無事であった……か!?」
シンは両手でパターを抱いたまま、あおむけに寝そべっていた。ついさっきまでと同じ、少年らしい澄んだ顔のままで。
ただ、腰から下は……吹き飛んで、失われていた。
「なん、と……いう事だッ!」
自らの激痛も忘れて臍を噛む井伊。シンの輝かしい将来も、せっかく作ったドライバーの記念すべき第一打も、すべてあの爆弾が持って行ってしまった……
(おのれ、おのれえぇぇ! これが……戦争、かっ!)
「……ネェ、イーカラハ」
「い、生きておったか! しっかりせい、傷は浅い。さぁ、いつものゴルフをやろうではないか!!」
無論それが無理な事は井伊自身が分かっている。だが、それでも彼に対してそう声をかけずにはいられなかった。
「ウン……イツカ、イッショニ、プレイデキルト、イイ――」
そこで言葉を途切れさせ、両手でパターを抱いたまま、安らかな表情で、ふっと――
少年は、事切れた。
「うおぉぉぉぉぉぉーっ!!!!」
顔を地に伏せて絶叫する井伊。あまりにも非情な結末に運命を呪う。せめてあと一日、たった一日が何故待てなかった、運命よ!
同時に、ごふっ、と吐血して、井伊の視界もまた闇に包まれる。
――――――――――――――――――――――――
「あ……なんだ、これは」
井伊はそこに立っていた。失ったはずの右腕も元通りに、全身の痛みも熱も全て消え去っていた。
そして己の足元に、自らの死体を認める。
『これは……わしの魂か』
自らの死体と霊体を交互に眺めてそうこぼす井伊。肉体が朽ちても精神は不滅と言うが、自分は死に、魂が抜けたのだなと実感する。
『そうだ! ならば、シンは!?』
すぐ先にある少年の死体に目を向ける。すると、シンの体からも霊体のような物が煙となって立ち上り……そして一瞬、シンの顔が見えた気がした。
――アハは、イーカラハ、マルデ妖精みタイ――
そう言って笑ったシンの顔が、また煙になってぐにゃりと歪んで形を失った。井伊の霊体はしっかりと人の形を保っているのにである。
それがお互いの霊力の差なのか、あるいは宗教の違いなのかは分からない。だが幽霊になってもしっかりと四肢を存在させる井伊は、確かに妖の存在、妖精と言っていいかもしれない。
――ねぇ、イーカラハ――
煙のままのシンがそう言って、そのゆらめく霊体を、自らの死体が抱えるパターへと収束させていく。そして……
――イツかマタ、一緒に、ゴルフ、シようね――
まるでパターにしみ込むように一体化して、消えた。
ずちゃ、と歩いて自らの死体から、夕べ作ったばかりのドライバー ”ドラコンスピリット” を拾い上げる井伊。
そしてシンの死体まで歩いて行き、彼が抱えている一本のパターを静かにその手から引きはがす。
(そうか、お主はこのパターになったのだな……シン・P・ヘイジョー。さしずめ ”平常心のパター”と言った所か)
二本のゴルフクラブを手にした井伊。いや、妖精となったイーカラハが、名残惜しそうにしつつも、そこからふわりと宙に舞う。
(シンよ、待っておれ。いつか必ず……ここでゴルフを、やろうぞ)
◇ ◇ ◇
孟子 蘭と、彼女を乗せたドラゴン紫炎が島の中央、ティーグラウンドに降り立つ。そこはいかにも手作りのホールといった感じではあるが、孤島にもかかわらず、それほど荒れてはいなかった。
「上から見て無人島っぽかったけど、案外キレイよねここ。整備する人が居るとも思えなかったけど」
〝フングー、フンフンッ〟
蘭の言葉に紫炎もこくこく頷く。芝の狩り方なんかは素人丸出しで、現代のコースとしては落第点だが、それでも最低限ゴルフが楽しめる環境ではありそうだ。
遅れてイーカラハも降りてきた。そして何か感慨深そうに瞑目して、足元の感触を確かめている……月面を腕組みホバリングしてたさっきまでとは、明らかに違う雰囲気で。
―――――――――――――――――――――――――
(待たせたな、シンよ。ついにお主と共に、このコースを回る時が来た――)
瞑目するイーカラハの言葉を、蘭も、そして紫炎も、悟る事は出来ない。
だが彼は、長い時を経て、ついにこの ”約束の場所” に、確かに戻って来たのだ。
シンのパターを手にした、当時の彼とほぼ完全に同じ腕前を持った、ある女性と共に。
『それでは今より、このナイスショッ島ゴルフコースにて!』
イーカラハが右手を高々と掲げ、彼にとっての約束の、そして蘭にとっての最大の試練のラウンドの開始を、高らかに歌い上げる!
『反呉竜府九神将、ゴルフの妖精イーカラハと、孟子 蘭の最終戦を開始するッ!』
その宣言に、蘭のバッグの中にあるゴルフ魔具八聖剣 ”平常のパター” が少しだけ、喜びの光を瞬かせた事に、蘭は気付かなかった――




