紫炎との時間――その終わりの時
/最終洞、 ”三十八万岐路乃夢大地” 也╲
望遠鏡ドームから退室し、夜空に浮かぶ満月を見上げる瀧たちに、まさに月からのメッセージが降り注ぐ。
「……うわぁ、マジみたいなんですけど」
思わずそうこぼす太田 瀧。今までもいちいちとんでもないホールばかりだったが、さすがに誰もクリアした事のない最終ホールは無茶振りの桁が違った。
「届くわけねーじゃん、月まで何万キロあると思ってんだよ……」
そう、最終ホールのカップはあの月そのものなのだ。地球の重力圏を抜け、真空の宇宙の闇を38万kmも駆け抜けた挙句、別の天体へと到達させる一打など、誰が打てるというのだろうか。
月を見上げて固まる瀧の後ろから、ゴルフの妖精イーカラハ(筋骨隆々の大男)が、エフンと咳払いをした後に、追加ルールの説明を始める。
『尚、この最終洞に限っては一切の禁じ手は無い。球を一度だけクラブで打てば、後はいかなる手段でもよいから月まで到達させればよい』
「えーっと……つまり一度コツンとクラブで当てて、そっからボールを月まで持ってってもいいって事か?」
『左様。お主が宇宙飛行士となってかのアラン・シェパード氏に倣うもよし、月探査チームに依頼してロケットでボールを月まで運んでもらうもよしである』
つまり、要は瀧の手持ちのボールを、どんな方法でもいいから月面に届ければいい、というわけだ。
「どっちにしても不可能じゃねーかあぁぁぁぁ!!」
そう、庶民の瀧にそんなコネがあるわけがない。ましてアメリカのアポロ計画はとっくの昔に終了しており、今現在で月への宇宙ロケットを打ち上げるプロジェクトなどありはしない。
つまりどう考えても、瀧がこの球を月面に届けるのは無理な話だ。
「あーあ。そりゃ誰もクリア出来ない訳だよ。なんか話がうますぎると思ったんだよなぁ」
ハァ、と息を吐いて下に降りる階段に向かう瀧。この ”ゴルフ魔具の塔” の内部にあった商品は確かに魅力的だが、月まで行かなきゃ手に入らないんじゃ完全に絵に描いたモチでしかない。
『では諦めるか! ここまで来ておいて、お主もまた』
「しょーがねぇよ。俺にはどうやっても月まで行くアテなんてねーし」
『……そう、か』
頭の後ろで手を組んでやれやれと吐き出しながら階段に向かう瀧の後ろで、イーカラハは腕組みしたまま人知れず残念そうな表情を見せる。
が、瀧が階段を一歩踏み出そうとした時、その肩をちょんちょん、とつつく指があった。
「紫炎? なんだよ……なんかまだ手があるってのか?」
一瞬の淡い期待は、次のリアクションによって完全に飛んで行って消えた。
〝フンガー♪〟
くるっと後ろを向き、尻を突き出す変態ドラゴン。
「あー……どうせこの球、持っててもしゃぁないしな。だろ? イーカラハ」
『ウ、ウム。八番洞を達成した時点で、全て失っても命は失われぬが』
まぁつまりもうこの球は瀧の命ではなく、最終ホールをクリアした時のゴルフ魔具との引換券でしかないのだ。
「んじゃ残してもしょーがねぇか。よっしゃ紫炎、今までご苦労さん、3発全部くれてやるぜ」
そう言って球をセットし、ドライバーを構えて狙いを定め、至近距離からフルショットを食らわす!
――パキィン、ズボォーン――
〝ングフフフゥ~~ン♡〟
例によってアヘ声で反り返るドラゴン紫炎。
「んじゃあと二発……って、おい?」
紫炎がおかわりを要求せずに瀧の元に歩み寄ると、そのまま襟首を咥えて塔の壁際へと運んだ。そこに瀧を下ろすと、手で〝そのままそのまま〟とジェスチャーして、両手に紫の魔力をぼうっ、と灯し……
〝ฉันจะลงโทษในน(チャンジャロントートナイ)ามของดวงจันทร์(ナームコーンドゥアンジャン)〟
その呪文を唱えたと同時、瀧は壁へと叩きつけられた、いや……壁に向かって落下したのだ。
「な、なんだ? 体が、壁に貼り付けられてて……?」
『ぬぅっ、これはドラゴン流、重力操作の術に相違ない! 太田瀧よ、今のお主の下はその壁方向である!』
「え、下? ってことは……うわ、ホントだ、横向いて立てるぜ俺!?」
瀧は壁に足の裏を付け、大地と平行に立ち上がった。彼だけが重力の方向が他と90度ズレているようだ。
〝フンフンフフンフーン♪〟
鼻歌を歌いながら、その壁にティーを差しボールを乗っける。これらも瀧同様に、壁が下になっているようで、真横に刺されたティーのさらに横にボールが空中静止している。
〝フングーッ!〟
そして天空にある満月を差し示す紫炎。それは重力が90度ズレた瀧にとって、ショットを打ち込める真正面にあった。
「あはは、すげぇなお前。よっしゃ! 最後に一発ぶちかますか……お前に教わったドライバーショットで!」
〝フンガフンガ、フーン!〟
笑顔でこくこく頷く紫炎を見て、6番ホールで彼に教わったドライバーショットの姿勢に入る。
球をフェースから遠ざけ、極端なハンドファーストの姿勢を取る。スタンスを少しクローズさせ、バックスイングで上半身をできるだけねじり込み、意を決してクラブを振り下ろすと同時に、上半身を思いっきり逆方向にひねり込む!
――スッパアァァァァァーーーン――
天に向かって。瀧にとっては前方に向かって、真っ直ぐに打ち出される白球。
『……見事である』
イーカラハが思わずそうこぼすだけあるそのショットは、優に200mも上昇を続けただろうか。だが、徐々に重力に負け、その勢いを次第に削がれていく。やがては落下していくのみであろう……!?
〝グオォォォォーーン!〟
ぶわさあぁぁぁっ!!
その時だった。ドラゴンの紫炎が雄叫びを上げ、猛然と羽ばたいて飛翔したのは!
同時に瀧にかかっていた横重力の魔法が溶け、どたっ、と地面に横倒しに倒れる。
「な、なんだ紫炎、どうした?」
すでに紫炎はそこには居なかった。猛然と上昇したそのドラゴンは、あっという間に瀧が打ったボールに追いつくと、それを口先でパクッと器用に咥えた。
そして、まるでトンビのように、上空をゆっくりと旋回し始める。
◇ ◇ ◇
――我がプレイヤー、オオタ・タキ――
天から、声が、降って来た。
「し、紫炎? まさか……紫炎なのか??」
『念話であるな、お主の心に直接語りかけておる』
上空を旋回する、まさかのキャディからのメッセージに、瀧は「しゃべれたのか」とツッコむ余裕もなく、天を見上げて言葉に聞き入る。
――わたしはコースの精霊獣として生を受け、幾星霜もの長き時を生き――
――あなたは初めて、私をキャディにしてくれた――
――わたしに快感を、命の球を打ち込んでくれた――
――わたしを孤独から解放し、教える喜びを与えてくれた――
「ば……バッカ野郎。かしこまってんじゃねぇよ、礼を言うのはこっちだぜ」
思わず恐縮して、頬をかきながらそう返す瀧。訳も分からず連れ込まれた怪しげなコースで最後までプレイ出来たのは、ひとえに紫炎の支援があったからに他ならない。
――わたしは貴方のキャディが出来て、本当にうれしかった――
――永い眠りから覚ましてくれて、キャディとしての本懐を遂げられた――
――短いラウンドでしたが、とても楽しかった、充実していた――
――ありがとう――
「だ、だから、そりゃこっちのセリフだって」
崩落から体を張って救われ、ゴルファーの試練と言われるスライスを直してくれた。過酷な山登りを、不可能なはずの富士登山コルフを、共に成した。
この経験は瀧にとって、何よりも代えがたいものがあったのだ。
――だから、わたしは――
――キャディとしての、最後の使命を果たす――
その言葉と同時、紫炎の体が満月に負けないほどに輝き始める。赤紫色の炎を全身にまとい、より力強い羽ばたきと魔力の解放を持って、瀧たちのいる場所にまでそのエネルギーの圧を届かせる。
『まさか……月まで飛ぶと言うのか!!!』
イーカラハがついに腕組みを解き、紫炎の力と意志を感じて思わずそう叫ぶ。
「なん、だって? そんなコトが……」
『あ奴もまた我と同じ精霊、その全てを注げば、あるいは……』
「む、無理に決まってんじゃねぇか! 月まで何キロあると思ってやがる、それに真空! 宇宙線の放射能! 生き物が行ける場所じゃねぇだろが!!」
いかにこの世のものとも思えぬ力の持ち主である紫炎をもってしても、それは不可能に思えただろう。だが、イーカラハはそこに一縷の可能性を見出していた。
『精霊獣たるあ奴が、その霊魔力を持ってすれば、月の重力圏までの到達は……不可能ではない!』
「マジかよ……だけど、帰りはどーすんだよ!?」
その問いに瞑目して答えないイーカラハ。その態度に瀧も悟る、紫炎は、その身を犠牲にして……
「や、止めろ紫炎っ! そこまでする事は無ぇ、いいじゃないか、俺の為にそこまでしなくてもっ!」
悲痛な声で叫ぶ瀧。さっきこの塔の中を見て物欲に駆られた自分が、紫炎に無茶をさせようとしている事に罪悪感を感じて。
だが、紫炎はそんな瀧を見下ろして、そして……
にっこりと、微笑んだ。
――たのしかったよ――
宙を舞うドラゴンが、己の体から発せられた焔によって、世界を赤紫色に染める。
魔力の爆発を、まるでカタパルトのように蹴り出して、轟音を残して上昇していく……まるで、まさに、宇宙ロケットのように。
「や、やめろーっ! 紫炎、紫炎ッ、行くなあぁぁぁぁーっ!!!!」
瀧の絶叫はもう、紫炎には届かない。だが、それでもその想いは、しっかりと、あの不器用なキャディに、届いている。
その光景を見て、イーカラハは滝のような涙を流していた。
(奴は我がコースのキャディとして生を受け、初めて己が支援する選手に出会えた……長く暗い孤独に耐え、そして真名まで授かった)
彼の心を理解するイーカラハ。そんな彼が自分の運命に準じる姿を見て、熱い涙を止める事が出来なかった。
(このコースを作りしゴルフの神よ……やはり全ホールアウトをするのは、あのドラゴンの存在がカギであったのか)
ここまで誰もあのドラゴンを従え得ず、そして誰も最終ホールをクリア出来なかった。太田瀧があの竜を従えた時にもしやと思ったのは、やはり間違いではなかったのだ。
紫炎は飛ぶ、月に向かって。
イーカラハは見守る。念願敵った同志の最後の軌跡と、そして奇跡を。
そして……プレイヤーの瀧は、今も失う物の大きさを嘆いて……もう一度天に向かって、その思いの丈をぶつける――
夜の富士山麓に、彼、太田 瀧の、悲しみの叫びがこだまする。
「シエエェェェェーーン!! カムバァァァァァーーックッ!!!!」




