始まりの街5
チンピラ男に詰め寄られたアカリは、キャリーバッグを盾にしてその場に踏みとどまる。
するとチンピラ男は首をかしげながら、アカリを指さした。
「上級冒険者の俺を弾き飛ばすなんて、この馬鹿力は人間じゃねえ。まるで雌ゴリアテだ」
「今この人、私をゴリラって言った?!」
男に間違われないように一生懸命化粧したのに、人間どころかゴリラ扱いされるなんて。
にじり寄るチンピラ男に気を取られていると、いつの間にか巨漢男がアカリの背後に回り、二人の男に前後をふさがれ逃げ場がなくなる。
「俺たちに逆らって無事で済むと思うな。とりあえず十発殴らせろ、その綺麗な顔をぐちゃぐちゃにしてやる」
巨漢男は、太った見た目からは想像できない敏捷な動きで、ボーリング球みたいな拳を振り上げてアカリに殴りかかる。
あれに殴られたら絶対痛い。
その瞬間アカリの身体は条件反射で動いて、近所のカルチャースクールで習った護身術(空手)の型で右手の拳を固め、相手の拳めがけて殴り返す。
ガツンッと拳同士のぶつかる鈍い音が聞こえたが、アカリは小石が当たった程度の衝撃しか感じない。
しかし巨漢男の顔が歪み、目は血走り苦痛の表情を浮かべると、大きな悲鳴を上げた。
「ウガァアッ、痛、痛ぃいーーっ!!」
アカリの腕は細くてひ弱に見えるが、世界樹にチート強化された剛腕だ。
巨漢男は拳の砕けた痛みで地面をのたうち回り、アカリを遠巻きに眺めていた人々からざわめきが起こる。
「なんだあの女、冒険者ギルドNO.3の巨漢男を一撃で倒したぞ」
「それに女の持っている黒い鞄、オーケ刻印が押されている」
「みすぼらしい身なりだが、長い黒髪に美しい顔立ちはまるで……」
「おい、街の衛兵がこっちに向かっているぞ!!」
先に巨漢男が殴りかかってきたから、自分は悪くないと思うけど、この状況では完全にアカリは加害者だ。
どうしようと立ちすくんでいると、後ろにいたドワーフが担いでいた大樽をチンピラ達に向かって転がした。
「樽の水がこぼれてる、タダで水が汲めるぞ」
バシャバシャと音を立ててこぼれる水に群衆が殺到して、チンピラ達はそれに巻き込まれる。
アカリはその様子を呆気に取られて見ていると、強く腕を引かれた。
「あんた、俺の後をついてこい!!」
振り返るとドワーフがアカリの腕を掴んでいて、ふたりはその場から逃げ出した。
始まりの街中を二区画ほど走ると、目の先に背の高い教会の塔が現れる。
ドワーフと一緒に建物の影に隠れ、周囲を見回して追っ手がいないことを確認する。
「はぁはぁ、ここまで来れば大丈夫だ。助けてくれてありがとうよ。でもあんた、なんで俺みたいな見ず知らずのドワーフを助けた?」
アゴヒゲを綺麗に切り揃えて知的な顔をしたドワーフが、アカリに話しかける。
「だってここでは水が貴重品でしょ。あの男が水の入った樽を蹴るから、やめさせようと思ったの」
「あんた、大樽の水1000ウェンのために連中に逆らったのか。下手したら殺されていたぞ」
「えっ、ちょっと待って。あの大樽一杯で1000ウェンって、私宿屋で5000ウェンも払わされたよ!!」
思わず大声を上げたアカリを、ドワーフは気の毒そうに哀れみを込めた目で見つめる。
「あんたは宿の連中に水代金をぼったくられたんだ。オーケの鞄を持っているし水の値段を知らないし、どこか偉いところのお嬢さんか」
「やっぱりこの世界は私がプレイしていたゲームと全然違う。プレイヤーを騙すなんてハートフルファンタジーから、ダークファンタジーにシナリオ変更したの?」
「なに意味の分からないこと言ってんだ? 俺達はチンピラ連中に顔を覚えられて、うかつに街中を歩けないぞ」
ドワーフは親身になって注意するが、宿屋でぼったくられたアカリはそれどころではない。
この異世界で生きてゆくには、食事をしたり住む場所を探したり、モンスターに備えて武器や防具をそろえる必要がある。
アカリの現在の所持金、六十万では全然足りないだろう。
ゲームではお金を手に入れるためクエストでモンスターを倒したけど、ひ弱な乙女の自分は狩りなんてできない。
異世界でお金を稼ぐとしたら、せいぜい薬草摘みくらいだ。
「私、これから生活費を稼がなくちゃ。こっちの世界にハローワークは無いよね。そうだ冒険者ギルドに行こう」
「冒険者ギルドなんてチンピラ連中の寝倉だぞ。本当に何も知らないんだな、危なかしくて放っておけない……あんたを教会で保護してもらう」
「そうね、私もこの異世界について、色々と聞きたいことがあるし」
昨日はケンタウロスで今日はチンピラの追っ手を気にしながら、アカリはドワーフと一緒に教会へ向かうことにした。
あのイケメン神官は、化粧したアカリをちゃんと女と認識してくれるだろうか?
街の中央にそびえたつ教会に近づくと、十人ほどのドワーフが教会の周囲で作業をしている。
教会の崩れ落ちたレンガを片付けていた長い白ヒゲのドワーフが、アカリ達に声をかけてきた。
「おい、こりゃどうしたんだ」
「やぁユウチ。お前も儲からない水運びなんか辞めて、教会の改修作業を手伝えよ。昨日の夜、教会に一千万ウェンもの寄付があったんだ」
「すげぇじゃないか。そんだけの寄付を集められるなんて、さすがは元オーケの神官様だ」
仲間に呼ばれたドワーフは、ユウチという名前らしい。
あれっ、昨日イケメン神官は、教会にはお金60万しか無いっていったのに、一千万の寄付はどこから持ってきたの?
「どこかの金持ちが教会に、一個20万ウェンもする世界樹の実を五十個も寄付したんだ」
「えっ、世界樹の実って……そんなに高価なアイテムなの?」
ドワーフたちの会話を聞いたアカリの顔色が変わる。
教会に世界樹の実を五十個(正確には四十九個)寄付したのは、きっと自分だ。
イケメン神官は、この世界に来たばかりで無知なアカリから、一個20万円の世界樹の実を1万3000円で買ったことになる。
「また騙されたぁ!! 教会で買いたたかれて宿屋でぼったくられてチンピラに喧嘩ふっかけられて、なんて酷い異世界なの」
突然大声で怒り出したアカリに、ドワーフ達は驚く。
「ちょっとイケメン神官、話があるから出てきなさい!!」
鼻息荒く教会に突進してゆくアカリに、ドワーフの制止の声が飛ぶ。
「やめろ、王家の印が刻まれた扉に触れたら、腕が焼け焦げるぞ」
ドワーフ達はアカリを止めようとするが、彼女のチート瞬足には追いつけない。
教会のボロい木の扉は、キャリーバッグと同じ雪の文様が刻まれた金属の扉に変わっていた。
ドアノブに手をかけると少し静電気のようなしびれが手に走るが、気にせず思いっきり扉をこじ開ける。
扉の向こうには、お約束のイケメン神官が立っている。
「そろそろ訪ねてくる頃だと思いました。あなたの寄付のおかげで、始まりの街の教会を改修出来ます」
「なにが寄付よ。昨日私から買った世界樹の実、本当は1個20万円するんでしょ。私が無知だから安く買いたたくなんて神官のくせに極悪非道、酷すぎるよ!!」
怒り心頭でまくしたてるアカリを、イケメン神官は面白いオモチャを見るように口元に薄ら笑いを浮かる。
「俺はちゃんと「世界樹の実のご寄付を承りました」と宣言して、貴女は了承した。たとえ口約束でも、この世界で契約は重要。それに魔法で鞄を直してやったじゃないか」
「あなた、昨日の申し訳なさそうな態度と全然違う。これは詐欺よ、この世界にクーリングオフとか無いの?」
アカリがイケメン神官を問いつめていると、教会の奥から赤毛の女の子が走ってくるのが見えた。
神官をかばうように前に出て、アカリを見ると一瞬立ち止まる。
「神官様、何の騒ぎですか? えっ、なんて美しい、まるで豊穣の女神様みたいな人」
「ティチ、彼女は昨日教会に世界樹の実を寄付してくださった、薄汚れた服を着たヒゲ面の男だよ」
そういうと神官はついに堪えきれず、肩を震わせて笑い出した。
赤毛の女の子は唖然と口を開いたまま、驚いた顔でアカリを凝視する。
「きゃあー、昨日のヒゲは忘れて。それに私は、世界樹の実を寄付したつもりないから!!」