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a.m.7:30-8:10  作者: 春井 武修
2月中旬
20/95

相対的なこと


「そんなことも答えられないのかいシノちゃんは」

 花田はいつもの調子で言う。

「うるさいな。ゴリラにそんなことを説教されたくないんだよ」

 僕はそう言って眉間に皺を寄せながら、自分の机の上に腰掛ける。僕の席で、金森が困ったように口をゆがませているのが見えた。

「まったく、これだから哲学のない奴は」

「どうせお前の哲学は、破壊と創造だとか言うんだろ?」

 僕は言った。それから少し間があって、

「分かってねえなあ、それは世界の真理なんだよ」と花田は言う。どんな顔をしているのかはだいたい創造がつく。真理だなんて、また大きく出てきたものだ。

「あ、っそう」

 僕は浅いため息をついた。

「なんだかかっこいいね」

 たいやきさんが言った。

「だろ?」

 花田は、少し照れたように言った。



 僕にだって哲学はある。ただ、僕のそれを担ぎ出したところで、「なんだかかっこいい」だなんて、誰からも言われやしない。

 そして、それは僕が口にすると、とたんに意味を失ってしまうほど、脆くて不確かなものだ。それは僕の中だけでしか存在できない理屈だと言うべきなのかもしれないし、あるいは僕以外の誰かが同じことを口にすれば、ちゃんと意味をなすようなことなのかもしれない。そういうことはよくある。誰にでも語るべきこととそうでないことがあって、同じようにそれぞれのとるべき方法がある。そう思わなければしょうがない。


「あんまり大きいこと言ってると、うそっぽさが増すぞ」僕は言った。「なあ、ヒロ?」

「アハハ、まったくだな」金森は答えた。それから、何かを取り繕うように話を切りだした。

「なあ、価値についての話だけどさ、黒い羊と専門家たちのジョークを知ってる?」

 皆は首を振る。

「そう?それじゃあ・・・・・・

 ある日、いろいろな分野の専門家たちが、ヨーロッパの田舎で電車に乗っていたとき、電車の窓から牧場が見えて、そこに一匹だけ黒い羊がいた。

 電車に乗り合わせていた羊飼いは、その黒い羊を見て、『あの羊はアジアが原産の種類で、いい羊毛が採れる』と言い、横にいた羊毛のバイヤーと、この地域では黒い羊毛がいくらで売れるかの話で盛り上がった。その様子を見ていた地理学者は、『この地域で黒い羊が飼育されているなんてデータは聞いていないぞ!』と驚いているのを、物理学者はなんでもなさそうな顔で、『なあに、今分かるのは、この地域の羊の少なくとも一匹だけが黒いというだけ、単なる誤差だよ』と言った。それを付け足すように、数学者は、『厳密に言えば、少なくとも片方が黒色の羊が少なくとも一匹いる』と言った」

「ああ」僕は金森が話し続けるところへ横やりを入れる。「思い出したよ。最後にアインシュタインが出てきて、『すべては相対的問題です』って言うんだろう」

 金森は、フフン、と笑った。フフン。

「さあ、そういうのもあったかもな。でも、俺が知っているのはこうやって終わる。他の専門家たちが羊のことでわいわい騒いでいる間、エッセイストはずっと目を閉じて、白い羊と黒い羊、どっちを数えた方が早く眠れるかを試していたとさ。チャンちゃん」

 そう言って、金森は両手を肩の横で広げて、これで全部、のポーズをする。花田はなんだそりゃ、と言ってぽかんと口を開け、たいやきさんは分かったのか分かってないのか、とにかくほんわかと笑った。

「それで、結局君が言いたかった教訓はなんだったんだ?」

 僕は眉をひそめて聞く。金森は一度二度と目をパチパチさせてから、ニヤリと笑った。

「要するに、ここで一番重要なのは、俺がこのジョークを言ってみたかったってことだな」

「なるほど、確かにそいつは重要だ」

 僕は時計に目をやった。時計の針は8時ちょうどを指している。それから、机から立ち、僕の席に座りっぱなしだった金森を小突いてそこに座った。金森は少しムッとしながら、今度は僕の机に座った。



 あるいは(僕は、あるいは、というのが好きだ。なぜかは知らない。あるいは、その事実は僕の優柔不断を表しているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない)、僕の哲学とやらが、口に出した瞬間に嘘っぽくなってしまうタイプのものであるというのなら、それはむしろ、はじめからすべて嘘っぱちなのかもしれない。そもそも、それが嘘か本当かというのはそれほど根本的な問題ではないのかもしれない。少なくとも、白い羊を数えるか、黒い羊を数えるか程度のことでしかないだろう。

 否、きっとすべては嘘なのだ。言葉の中に真実はない。いくら言葉を費やしても、本当のものと取り替えることはできない。その意味では、言葉に価値はない。・・・・・・これは、真実だとか価値だとかの言葉を使うと、一気に意見が嘘っぽくなる例だ。あるいは、僕が言うから嘘っぽいのかもしれない。どのみち、僕にできるのは言葉遊びぐらいのことだけだ。すべてをうやむやにしてしまうことなら朝飯前である。



「結局、人間の価値を考えようっていう時点で間違ってるんだよ」

 僕は言った。

「価値っていうのは、それがどんなものと妥当に交換できるかっていうことだろう。でも、人間は何かとは交換できないことになってる。だから、人間に価値を付ける意味はないはずだ。少なくとも奴隷制はもうないんだし」

「きれいごとじゃねぇか」

 花田が言う。

「すべては相対的問題です」僕は言った。



 もとの話がなんだったのかさえ忘れて、僕と花田の席を囲んで談笑していると、すぐに時間は過ぎた。そのうちにシャンプーさんが入ってきたかと思うと、手際よく金森を引っ張って二人でどこかへ行ってしまった。

 最近はシャンプーさんもだいぶ大胆になってきて、ことあるごとに金森のところに押し掛けている。金森もそれにまんざらでもないのか、それとも断るすべを知らないのか、彼女に為されるままだ。彼が例のナントカ関係の中に組み込まれないのを祈るばかりである。



「ところで、永井さんはどう思うの? 人の価値がどうたらこうたらとか」僕はたいやきさんに聞いた。たいやきさんは、うーん、と少しの間迷ってから、

「篠原君みたいに難しいことは分からないですけど、やっぱり、誰かを幸せにできる人の方がいいかな」

 と、少し照れくさそうにはにかんで言った。

「いやいや、好みを聞いてるんじゃないんだから」

 僕が言うと、たいやきさんは、ウフフ、と笑った。白い歯が揺れる。花田も、きれいごとだとは言わなかった。


 あるいは、そうなのかもしれない。



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