嘘のこと その1
嘘について書く。
僕はよく嘘をつく。非常にしばしば嘘をつく。たとえば、朝起きる時間を聞かれて、意味もなく本当より十分早く答えたりする。もちろん、それと同じくらい嘘じゃないことも言うし、嘘でも本当でもないことも言う。まあ、他人のことにはそれほど自信を持てないけれど、人並みと言えばそうかもしれない。嘘をつくことに反省はあるが、改善はない。それについてもやはり人並みである。
そういう訳で、僕は嘘というものに対して、人並みの意見しか持ち得ない。今更ではあるが、他のことにしたって同じである。まあ、予め断っておく必要もなかっただろうけれど。
もし僕が嘘の専門家だったら(いやな肩書きだ)、まずは嘘というものの定義から始めるかもしれない。それから嘘の起源を人類の起源に求め、人間の社会的性質における嘘の役割を小一時間は話し続けるかもしれない。しかし僕は嘘の専門家ではないから、そんなことはしない。それに今回はどこかからの引用もない。要するに、人並みの書く人並みの内容だと思ってもらえればいい。
ところで、認識論という考え方がある。国語の教科書を開けば、ほぼ必ずそれについて一つは文章が載っている。要するに、ひよこが先に産まれたのか卵が先に産まれたのか、そんなことをわざわざ考えるから頭が痛くなるのだという考え方だ。嘘だ。
しかし、実際のところ、それは念入りに体型づけられた言葉遊びのようにも見える。問題は主体をどこに置くかだ。そしていずれにしても、僕はこの論理をあまり快く思わない。それは、嘘もばれなければ嘘じゃないという論理と同じもののように見える。
嘘の話だ。嘘は、ともすればばれずに済むことも多いかもしれない。けれど、ばれなければ終わりというものではない。それは詰まった毛細血管のように、少しずつ、しかし確実に蓄積されていく。そういうタイプのものだ。それは蓄積され続けて、いつかもっと大きな流れをせき止め、淀みを生み、底の方から腐らせてしまうかもしれない。あるいは、そうならないかもしれない。
「おはよ」
「おはよう」
地下鉄の駅を出たところで、自転車を押すベルギーさんに出会った。ばったり、という効果音がどこからか飛んできそうなぐらい、ちょっと予想していなくて、どう挨拶をすればいいのか一瞬迷ったぐらいだった。結局僕は、彼女がにこりと笑うのに従った。
ベルギーさんと朝に会うのは、この前校門で会って以来だ。たいがいの人ともそうだけれど、朝以外には一対一で話をするという機会があまりない。もちろんそれは僕の問題だ。放っておけば誰ともしゃべらずに一日を終えかねないし、それでもたいして不満のない人間である。
「そういえば、大会って土曜日だったよね」僕は言った。
「うん。準決勝までは行けたよ。・・・・・・三決で負けちゃったけど」
ベルギーさんは言った。彼女の横顔は、少し残念そうに微笑んでいた。
「へえ、それでもすごいじゃん。お疲れさま」
「ありがと」
ベルギーさんの顔から翳りが消えて、いつものようににこりとする。僕は少しほっとした。
「それじゃあ、今日は勉強?」僕は聞く。すると、ベルギーさんは小さく首を横に振った。
「ん、勉強もしなくちゃいけないんだけど、次の大会に出る人が一人だけいるから、一緒に練習してあげようと思って」
「そうなんだ。やさしいね」
「ぜんぜん。そんなことないよ。わたしも急に運動しなくなると変な感じがするし」ベルギーさんは、少しはにかみながら言う。運動部らしく明るくて、率直な口調だ。真面目に褒めると、全力で否定しながら、満面にうれしそうな顔をする。褒めがいがあるのは金森と似ているかもしれない。僕も少し満足した。
空は鮮やかに晴れていた。いや、鮮やかと言うのはどうだろう。まだ冬も明け切らない二月の朝だから、空の色は、淡い青と橙と、その移り目に白が滲んでいるような、はっきりしない模様を為している。その描写に鮮やかという言葉が浮かんだのは、それがむしろ新鮮な心持ちを起こさせたからかもしれない。まあ、どうだっていいことである。まだ葉を落としたままの街路樹を吹き抜けていく風は冷たかったが、いくらか高いところから射すようになった朝日に漉される分だけ、暖かみが混じっているように感じた。二月中旬。
僕が暢気によそ見をしていると、ベルギーさんはしばらく話題に困ったようすで僕の視線を後追いして、それから、ふと僕に聞いた。




