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執務室を飛び出した私は、階段を駆け上がり廊下を走って自分の部屋に飛び込んだ。ちなみに隣はレンナートの私室だ。
「な、なんとかごまかせたかな。あんなに苦悩しちゃって、一体何があった?
とにかく、落ち着いて態勢を立て直さないと」
私は手早く荷物を鞄に詰めると、公爵家敷地内の端にあるメイドさんや侍従たちが暮らす社員寮のような棟へ向かった。
私が以前使っていた部屋が、『奥様(予定)が使っていた部屋』として空いたまま残されているから。
この棟ではまだ屋敷のメイドとして半人前のメイド見習いちゃん達六人が棟内の清掃や雑務に勤しんでいる。
真っ昼間に突然やってきた私に、食堂に勢揃いしていたみんなが動きを止める。
ちょうど昼食前のようだ。ダイニングテーブルには大皿がドンと置かれ、パンとジュースが用意されている。
「こんにちは~。またお世話になります!よろしくね~うわ、美味しそう!私もいただいていいかな?」
努めて明るく声をかけた私をメイド見習いちゃんたちはどう扱っていいのかわからないようで、首をとにかく縦にふっている。
(その困惑わかるっ。文句ならレンナートに言ってちょうだい。)
六人のうちの一人が慌てて棟から出て行った。メイド長に知らせに行ったのだろう。
そんなみんなの困惑という痛い視線をよそに、勝手知ったる遠慮のなさで昼食をもりもり食べた。
*
翌日、メイドの制服を着てしれっと点呼の列に並んだ。
メイド長に「またよろしくお願いします」と頭を下げると、「アリス様…何がどうしたのでしょうか」と手を頬に当ててため息をつきながらたいへん困った顔をしていた。周りのメイドさんたちも「きっと何か事情がおありなんですわ」とオロオロしていた。
そんな中で「なんか別の人と結婚するらしいですよ」と当事者の私がケロッと元気にしているのも変なので、何も言わず悲しそうに微笑んでいると、それがまたみんなの憐憫を誘ってしまった。ホント、いい人たちだ。
私がメイドさんたちに憐れまれているのはご都合主義マジックが発動しているからだけではなく、レンナートから命じられた私の仕事内容にも理由がある。それは、『彼の部屋の用事に限る』。
(ああレンナート、冷たく突き放すならもっと徹底しないと。)
ところが、やってみると意外にたいへん。部屋と言っても執務室と私室のリビング、寝室、バスルームとなかなかの広さがあり、拭いたり掃いたり整えたりなどなど、真面目にせっせとやらないと結構時間がかかる。
シビアな忙しさに、これが狙いか!と、雑巾を床に投げつけツッコんでしまった。
でも、レンナートはメイドとして働く私の姿をいつもそっと覗き見しているのだ。それはもう、見つかっちゃいけない臆病猫のようにそっとうかがっている。
*
「あれからもうひと月ほどか…。相変わらずの現状維持状態。レンナートは忙しそうに屋敷を出入りしてるけど、たまの休みには暗い顔してこっち見てるし…」
(レンナートの様子から何か真相があるとは思うけど…
でも本当にどっかの国の高貴な女との結婚話が進んでいったらどうしよう。
どうしてか最近、嫌なことばかり考えてしまう。)
「アリス」
(大丈夫だよね?
だって、あなたはいつも私を見つめてくれている……)
「アリス」
「……?」
薔薇園で薔薇をチョキチョキ切り取りながらぼんやりと考えごとをしていて、呼ばれて振り向いた先には、レンナートの友人が立っていた。
「アルフレッド様?」
そういえばこの前会った時は春で薔薇が咲いていた。今は秋でまた薔薇の時期。
(薔薇・金髪・碧眼・美形・ブラウス……耽美だ、ふふ、うける。)
「アリス、どうだい、やっぱり俺は薔薇たちに惑わされずに君を見つけただろ?
いや、こうして忍んで来て再びこの薔薇園で会えるなんて、むしろ薔薇たちが俺たちを引き合わせてくれたのかも知れないな」
(…………。あ、そうだこの人に前に手袋借りてたんだった。)
「季節を一つ越えるほど君に会えなくてさびしかったよ」
(外用のエプロンだからたしかポケットにそのまま…あった!)
「君という花を求めてこんな季節まで生きながらえた俺という蝶を憐れんでくれるならーーー」
「これ、ずっとお借りしたままで申し訳ありませんでした」
いよいよ寒いことを言うアルフレッドを無視して、ポケットに突っ込んで忘れたままになっていた春以来の皮の手袋をさも返すつもりだったかのように差し出す。
「これは……。君はこれをずっと?」
「いつお返しできるかわかりませんでしたが、いつかお返ししたいと思っておりました。あの時はありがとうございました」
(こんな嘘に罪悪感を持つような繊細な私ではない。)
「いつ会えるとも知れないのに……君は俺をずっと」
両手で手袋を差し出す私の手をじっと、何やら感極まった様子で見ている。
すると急にアルフレッドは私の手を両手でギュッと握りしめ、
「手もこんなに荒れて……。ああ、こんな状況みていられない。アリス、俺のところにこないか?」
と真剣な眼差しでそう言った。
一陣の風が薔薇園を吹き抜け、私とアルフレッド様の周りを真紅の花弁が舞う―――――
「私がお役に立てることなど何もありません。アルフレッド様のお屋敷へ行くなど……」
(全く興味ありません。)
緩く首を振り、握りしめられた手をアルフレッド様のもとからそっと引いた。
だが、アルフレッド様は追いすがるように私の手を取ると、自らの胸に導き私の手のひらを抱き締めた。
ジャケット下の薄い繻子のブラウスを隔て、温かい体温と厚い胸板、そして、早鐘のように打つアルフレッド様の心臓の鼓動が手のひらに伝わる。
「愛しいのだっ…。俺は、アリスを愛しいと思っている。
だから、側にいてくれないか?アリス」
(ああ、私って、やっぱりレンナートが好きなんだなあ。
ごめん、アルフレッド。あなたの言葉はちっとも私の心を震わせない。)
「人の屋敷でメイドを口説くなど、お前も随分暇なのだな」
(レンナート?!)
「アリス、こちらにおいで」
私の二の腕をつかみ、少し乱暴にアルフレッドから引き離す。
「貴様どういうつもりだ。アリスをこのままここに置いておけば危けんっ…」
「黙れアルフレッドッ!帰れ!」
レンナートは私の肩を抱き、アルフレッドに背を向けて屋敷の中へと促す。
肩越しに振り返ると、アルフレッドの周りに真紅の薔薇の花弁が悲壮感たっぷりに舞っていた。
肩に置かれた手にグッと力が加わり、レンナートの胸元まで引き寄せられたため、それ以上振り向いてはいられなかった。
「レンナー…主様っ、アルフレッド様がっ、」
「君は私のメイドだろ?あいつの名など呼ぶな!」
「でも、あの、いまアルフレッ…」
言いかけた私の唇をレンナートは強引に唇でふさいだ。こんなに乱暴に奪われたのは初めてだった。
何か事情があるとは分かっていても、レンナートの冷たい態度はやっぱり哀しくてとても寂しかった。だからこうしてアルフレッドに嫉妬してくれたのがたまらなく嬉しい。
レンナートは苦しいほどにきつく私を抱きしめると振り向くこともなく行ってしまった。だから、私はアルフレッドが言った「危険」という言葉の意味が物凄く気になるまま放置されてしまった。




