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耽美な異世界に落ちてしまったのですが、耽美系女子演じるのも限界です。  作者: ちよのまつこ


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(レン…ナート…)


 冷や汗がどっと吹き出し、こめかみから頬を伝い顎へ流れる。レンナートも目を見開き荒い息をハアハアと吐いている。


 お互い見つめ合っていた。聖剣は私の心臓の真上ギリギリのところで止められていた。


「既(すんで)のところで止めたか。つまらぬ」


 どうでもいい余興を見たように素っ気なくそう言う吸血姫に、レンナートはギリリと奥歯を噛み締め激昂した。


「貴様ッ!アリスを操ったな!」


 レンナートはすぐさま私に手を伸ばしたが、一瞬早く吸血姫が私を後ろに引き飛び退いた。


「アリスッ!」


 手を伸ばせば触れられる近さにいたのに、伸ばされた彼の手が目の前で虚(むな)しく空(くう)を切るのを見ていることしかできなかった。


 吸血姫は後ろからゆっくりと私の手を取ると、どこから取り出したのか(そんなことはもうどうでもいい)立派な短剣の柄(つか)の部分を私の手のひらにのせた。吸血姫の手は白く滑らかだがひやりと冷たく、短剣はズシリと重い。


 短剣の刃がレンナートの方を真っ直ぐ向いている時点でもう何をさせられるのか大方予想ができ、表情筋も動かせないのに目に涙が盛り上がってくる。

 吸血姫は、まるで死刑宣告の秒読みをするように開いていた私の指を一本一本順に折りまげながらしっかりと短剣を握らせると、もう一方の手もそこに添えさせ上から固めるようにぐっと圧(あつ)をかけた。

 まるで両手を包帯でぐるぐる巻きにされているように短剣は私の手に固定され、ぴくりとも指を動かすことはできない。


「美しき銀の公爵よ。もうお前の血など要らぬわ。だが私を狩ろうなど無礼千万。命で贖(あがな)え。

さあ、愛しい恋人に殺してもらえ。だが、死にたくなくば、その剣で娘を貫け。言っておくが『お前を殺す』までこの娘は止まらぬ。

まあ、お前が死んだ後にこの娘も後を追ってくれればよいがなあ、公爵」


 次の余興は楽しませてくれと言わんばかりの口調で、「それ、行け」と人形のようになってしまった私の背をレンナートに向かって押し出した。


 十数歩ほどの距離をゆっくりゆっくりと足が勝手に進む。


(どうしたらいいの?!このままじゃあなたを刺しちゃう!抵抗できないよ!

どうしたらいいのよ!こんなの嘘、嘘!ヤダヤダヤダッ!!)


 無表情な顔に涙だけがダラダラと流れ、何とか抵抗しようと必死で藻掻(もが)くが全く体が言うことを聞かない。自分の無力さが情けなくなりいっそう涙が頬を伝う。


「アリス…」


 そんな私を痛々しそうに見ていたレンナートが構えていた聖剣を下ろした。そして、ついには穏やかに微笑みながら自ら手にあった聖剣をスルリと落とし私を迎えるように大きく手を広げる。


 聖剣が大理石の床に落ちる大きな音が悲しく辺りに響いた。


「アリス。いいんだ、おいで」


 レンナートから醸(かも)し出される穏やかなオーラが私を包みこむ。

 すると会場の修羅場から一転、彼と私だけが鏡のように静かな湖面の上に立っていた。静寂の中、見渡す限り湖面が広がり、空の青が水面に映る。

 優しい風がどこからともなく白いやわらかな綿毛を運んで来て辺りにいい感じに舞う。そして、いい感じの風が私と彼の髪をいい感じに揺らす。


(ここは…レンナートの心象風景?

こんなことも出来るんだ…この世界

なんて心が穏やかに澄んでいるんだろう……)


 なんて感心してる場合ではない。こんな心象風景シーンいらないからとにかくこれをどうにかして欲しい。

 こんな時こそ超絶ご都合主義を発動すべき!と心の中で泣き叫んだが、レンナートはどうぞご遠慮なくと言うような顔して私が来るのを待っていた。


(逃げなさいよッ!逃げて!!)


 目でなんとか訴えようとするが、レンナートから見れば無表情の人形の目から雫(しずく)がポロポロとこぼれているようにしか見えないだろう。

 それでも私が泣いて嫌がっているということは充分伝わるはずなのに、この婚約騒ぎが起こってからずっと遠くから苦しげに私を見つめていた紫の瞳は今は本当に穏やかだった。

 何故彼は穏やかに死を受け入れようとしているのか理解できず、もう何がなんだか分からなくなりただ涙をこぼすしか仕方がなかった。

 それでも足は勝手に進み確実にレンナートへと近づいていく。


 手が届くところまで近づくと、ついに短剣の切っ先がレンナートの胸に突き立てられようとした。すると、あろうことか彼は私の背に腕を回すとぐんと力強く引き寄せぐっと抱きしめた。


 穏やかな空間は、騎士たちが私たちの名前を叫ぶ声で再び会場へと一転する。

 吸血姫の高笑いが聞こえ、そして…レンナートが私を抱き込んだまま膝をつき崩れ落ちる────


「ぃ…ヤぁーーーーっ!!」


 理解が追いついた瞬間叫んでいた。私の悲鳴が会場に悲痛に反響する。

 レンナートの首筋に顔を擦り寄せ、何度も何度も名前を呼ぶ。


 そして──、違和感に気づいた。声を出し、泣きじゃくっていることに気づいた。体が……自由を取り戻している。


 顔を上げ慌ててレンナートを見ると、その視線は吸血姫をきつく睨みつけていた。私を抱きしめる腕の力が緩まず、それどころか力強さすら感じる。

 そして、振り向いた視線の先には、レンナートによって投げられただろう聖剣が吸血姫の心臓に深々と突き刺さっていた。


 驚愕の表情で言葉にならない断末魔(だんまつま)の咆哮(ほうこう)をあげ急速に老化していく吸血姫。

 レンナートは見るなと言うように振り向く私の頭を自分の首筋に抱き寄せる。

 抱き込まれるとき視線の端に最後に見えたのは、吸血姫の指先が土色に変色しひび割れ崩れていく様(さま)だった。


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